創作ことわざ


[2021/2/10]-136日目

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【42】急がば急げ、急がずとも急げ

急がば回れ

この言葉はことわざの代表格のようなものです。

危険な近道を選ばず、遠回りでも安全な道を行け、という意味です。

ことわざ、あるいは格言とか名言とか、いろいろありますが、互いに矛盾するものもあり、当てにはなりません。

その代表的なものは、「善は急げ」と「急がば回れ」ではないでしょうか。

この二つをまとめると、「善は回れ」となります。

「よいことを行うときには、近道を選んでさっさとやってしまおう、というのはだめだよ、安全な遠回りの方法でじっくりとやるべきだよ」

結局、状況によってどのような選択をするのかが変わってくるのです。

別の見方をすると、「べつのやり方、考え方もあるよ」と教えてくれるのが"ことわざ"のたぐいです。

「さあ、これから良いことをしよう」と思い立ったとき、「急いでさっさとやる」のか、「よく考えて慎重にすすめる」のか、これはそのときの状況次第でしょう。

と考えると、ことわざの意義は、どれだけ広い状況をカバーしているか、にかかっているように思われます。

現代での「急がば回れ」は

われわれの身の回りでは、なすべきことが山のようにあります。

そのようなことにとらわれず、自分のペースでじっくりやれば良いのだ、という意見もあるでしょう。

わたしは、「やるべきことはさっさとやってしまう」ということの方が当てはまることが多いように感じます。

定年退職して年金生活をしている私でもそのように思うのですから、現役で働いている人、子育てをしている人、家族の介護をしている人たちにとっては、「急がば回れ」などと言っている暇はない、というのが実情ではないでしょうか。

むしろ、急がないことでもさっさとやってしまい、次の"やるべきこと"に備える、ということの方が現実味があるのではないでしょうか。

急ぐのであっても、慌ててやって失敗するのはいけない、ということはいうまでもありません。しかし、急ぐ必要がないからゆっくりやる、というのは意味のないことです。

「急がば回れ」の原義

日本国語大辞典精選版を開くと、このことわざの由来は雲玉和歌集の1514番歌として収録された歌としてあります。

もののふのやばせの舟ははやくともいそかはまはれせたの長はし〈俊頼〉

「やばせの舟」とはある渡しのことのようで、ここを通ると近道だが、強風の名所で危険性も高かった、とのこと。その代わりに、「瀬田の橋」を通った方が良い、ということです。

考えてみると、"渡し"があるのは必要性があったからで、それを使うべきではない、というのは一方的すぎます。

現実的には、「今日はどうみても風は凪いでいるから、格別急いでいるわけではないが、渡しを使おう」という場合もあるでしょう。「風向きはあやしいが、この書状を早く相手に届けないと大問題になる」という場合には、渡し舟が転覆する可能性と、遠回り道を選んで用向きが遅れることで発生するであろう問題を天秤にかけて判断することになるでしょう。

結局のところ、ことわざというものは、一つの可能性を提示しているだけです。

急がずとも急げ

こちらは私が今回付け加えたものです。

このシリーズの第21回で「情報はフレッシュなうちに書け」ということを取り上げています。それに通じるものです。

熱い鉄に対してじっくりと腰を据えてたたくのはだめです。熱い鉄は手早くたたいて材質を変えたり、形を整えなくてはいけません。

情報をまとめるのにじっくり時間をかけていると、周囲の状況が変わってしまったり、得た情報ものものが変わってしまったりします。

きれいにまとめた資料を作って報告しようとしたとき、「その件はもう別の人から聞いて知ってるよ」と言われたり、資料がまとまったときに新たな事態が発生して、内容を変えなければいけない事態になったりします。

気持ちの持ち方としては、「常に急ぐ」というくらいが必要になっていると思います。


「困った時代になったもんだね」という気持ちはあります。私などは年金生活だからまだ良いのであって、上に書いた現役世代の人などは大変だな、と同情します。おそらく、私の孫の世代ではもっとひどい状況になっているでしょう。

「困ったもんだ」と言っても仕方がないのです。自分の時代のやり方に合わせていくしかないのです。

このようなことを考えていると、このシリーズの第18回に書いた「過去は醜い、未来は美しい」という言葉がかすんでくる思いです。

本当に困ったものです。


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