創作ことわざ


[2021/2/9]-135日目

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【41】人は見たいように見、聞きたいように聞く、それでも反対意見を無視するな

人は見たいように見、聞きたいように聞く

この言葉は大変有名で、たとえばネット上で検索すると、たくさんのサイトで触れられています。

「人は見たいように見、聞きたいように聞き、信じたいように信じる」という表現もあるようです。

「信じる」は宗教を考えると、その通りだな、と感じます。

この問題の最大な困難は、そのことを自覚していないと言うことです。

誰も、「自分はあるがままに、つまり客観的に見たり聞いたりして判断している」と思っているのです。

そして、自分が見て理解した、聞いて理解した内容が正しいことの証拠を並べることができます。それが正しいことを証言してくれる人を呼んでくることができます。

「証拠がある、証人がいる」と言うわけです。

世の中にはいろいろなものがあり、様々な感じ方・考え方をする人がいます。

ですから、自分の考えに有利な証拠、証人が見つかるのです。

自分の考えに有利な証拠、証人を選んでいるのです。

足りないことはなにか

お互いに矛盾する意見、判断に対して、それをどう評価すれば良いのでしょうか。

自分がまだ分かっていないことについて、様々な意見のうち、一体どれが正しいか、という判断をすることはとてもできないように思えます。

ですが、ある程度判断する方法はあります。


意見を主張する人に対して、反対意見をどう扱っているか、ということに目を向けるのです。

反対意見をどれだけ採り上げているか、そしてそれに対してどのように反論しているのか、というところを見るのです、

逆の見方をすると、人は自分の意見が正しいことを主張するとき、それに対立する意見を的確に反論すると言うことも併せて行う必要があるのです。、

なぜ自分と異なる意見に注目しなければいけないのか。それは自分の意見が本当に正しいのかという疑いを保つことが必要だからです。

人はだれでも間違えることがあるのです。

ですから、「この判断について自分は間違えているかもしれない」と常に恐れる必要があるのです。

自分の意見に疑いを持たない人は遠ざけて良いのです。

可聴周波数帯域について

昔の思い出です。たぶん今から30年前とか40年前という昔の話です。

人が聞いて認識できる音の周波数帯域について、新しい発見がありました。

通常は人の可聴周波数帯域は20Hz~20KHzというのが定説です。ある意味でこれは今でも変わりません。

昔、趣味の一つとしてオーディオというのがありました。

街にオーディオ店がいくつもあり、オーディオ評論家がオーディオ雑誌に記事を載せていた時代があったのです。

この世界に"はまる"人の一部は、市販のオーディオ機器に満足できず、アンプ、スピーカー、ピックアップまで自作していました。

ピックアップはLPレコードから音の信号を拾い上げるもので、一組のオーディオ機器の入り口に当たります。従って、ここで音の取りこぼしがあると、アンプやスピーカーで補うことはできず、特に重要のところと見なされていました。

そのようなマニアの人の一部は拾い上げる音の周波数帯域が20Hz~20KHzでは満足できず、自分でピックアップのコイルを巻いたりして自作していたのです。

これを、専門家は「聞こえもしない音を再生して何の意味があるのか」と無視していました。

しかし、本人たちは「30KHz, 40KHzの音が再生できるかどうかの違いがわかるのだ」と応酬していたのです。

なんと言っても、大学で研究しているようなレベルの人がいくら調べても20KHzを超える周波数帯域は聞こえない、という研究結果が出るので、「意味のない自己満足」というニュアンスでとらえられてい他のが実情です。

これに対して、ある人がきちんと研究して、「人は30KHz, 40KHzの音も感じられる」ということを実験結果として発表しました。

同時に、どうして今までは上限が20KHzという実験結果が出たのか、ということまで明らかにしました。

テストでは、ジャングルのの様々な音、動物の鳴き声、鳥の羽音、風に葉がそよぐ音、小川のせせらぎの音、等を50KHzくらいまで録音できる高性能のレコーダーで録音し、再生機器を、20KHzまで、30KHzまで、40KHzまで、という上限の異なる条件で再生したのです。

そして、それを30分くらい人に聞かせて脳波を調べたのです。

ジャングルの音は人にとって癒やしの効果があること、人はリラックスするとアルファ波と言われる脳波が強く出ることは分かっていました。

それで、テスト結果は、20KHzまでの再生、30Khzまでの再生、40KHzまでの再生に対するアルファ波は、再生周波数帯域が高くなるほど強く、また早く出ることが分かったのです。

この結果から、今まで上限は20KHzというデータがなぜ出たか、ということが明らかになりました。

20KHzの音を「ピー」と流して「聞こえますか」と聞くと被験者は「聞こえます」、25KHzの音を流して「聞こえますか」と聞くと「聞こえません」、30Khzの音を流して「聞こえますか」と聞くと「聞こえません」、40KHzの音を流して「聞こえますか」と聞くと「聞こえません」というテスト結果になるので、人が聞くことができる音は20KHzが上限、とされたのです。

30Khzとか40KHzなどという帯域の音は、それを感じるのに時間がかかるのです。でも長い時間をかけると確実に違いが分かるのです。

こうなると、従来の20Khz上限説の意味、つまり限界が理解できます。


この例は、新しい主張をするときに、自説が正しいことだけでなく、それと対立する説のどこが間違っていたのか、あるいはどのような限定がつけられていたのかを明らかにすることが重要であることが分かる典型といって良いでしょう。


残念なことですが、上で紹介した説が誰によって、どのようにして公開されたのか、ということが、いろいろと調べたのですが突き止められませんでした。

今、ネットには様々な情報が作られ、保存されて、少し検索するとかなりなことが分かるのですが、この件についてはまだ探せていません。

現実には

宗教の話とか、取り扱いが難しくて、かつはっきりと対決するいくつかの考え方があります。

卑近な例では、投資話とか健康法、あるいは歴史上の問題の解釈、たとえば邪馬台国はどこにあったか、とか本能寺の変の黒幕は、などという、意見が明確に対立する課題があります。

そのときに、どのような説について注目すべきか、ということを考えたとき、自説と対立する説に対してきちんと言及している、ということ条件にして選択して見ていく、というアプローチが妥当なのではないか、と思います。


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