創作ことわざ
[2021/3/12]-166日目
「時は金なり」については、[13]意志は金なり のところで取り上げました。
もちろん、「時は金なり」が妥当であることは間違いありません。
ですが、時間のレンジを長くとれば、別の姿が現れてくるものだ、という思いが私にはあります。
"時"というものは、「意志」が有効に作用しているときには「金なり」に結びつきます。
しかし、その先には、「意志」がまだまだあるのにもかかわらず、「金ならず」という状態になります。
たとえば、事業というものは、ある時には順調に業績が伸びていても、やがて不調の波に襲われます。
どんなに強い意志を持っていても、どんなに努力しても報われないときが来るのです。
人間の肉体も同じです。精神がどんなに活発でも、やがて弱っていきます。容貌が衰え、筋肉が衰え、血管は硬くもろくなり、意志を支える脳は萎縮してその働きは鈍くなります。
そのような場合に、"時"は実に残酷です。
人間は、長寿の記録としても125年程度です。実際、100歳を迎える人はまれです。
どんなに超人的な活躍をした人、超人的な業績を残した人でも、生きながらえる時間はわずかです。
"時"は人の"死"を通り過ぎていきます。
人がなしえた成果はすこしだけ後に残りますが、ほとんどは消えていきます。
人が行ったどれほど大きな善も、すべて消えていきます。
驚くべきことに、人が行ったどのような悪も消えていきます。
善も悪も、すべてが受け入れられて、"時"の彼方に消えていきます。
まるで、"悪"さえも許されるかのように。