創作ことわざ


[2021/3/12]-166日目

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【43】時は金なり、時は酷なり、時は赦しなり

時は金なり、時は酷なり、時は赦しなり

「時は金なり」については、[13]意志は金なり のところで取り上げました。

もちろん、「時は金なり」が妥当であることは間違いありません。

ですが、時間のレンジを長くとれば、別の姿が現れてくるものだ、という思いが私にはあります。

"時"というものは、「意志」が有効に作用しているときには「金なり」に結びつきます。

しかし、その先には、「意志」がまだまだあるのにもかかわらず、「金ならず」という状態になります。

たとえば、事業というものは、ある時には順調に業績が伸びていても、やがて不調の波に襲われます。

どんなに強い意志を持っていても、どんなに努力しても報われないときが来るのです。

人間の肉体も同じです。精神がどんなに活発でも、やがて弱っていきます。容貌が衰え、筋肉が衰え、血管は硬くもろくなり、意志を支える脳は萎縮してその働きは鈍くなります。

そのような場合に、"時"は実に残酷です。

人間は、長寿の記録としても125年程度です。実際、100歳を迎える人はまれです。

どんなに超人的な活躍をした人、超人的な業績を残した人でも、生きながらえる時間はわずかです。

"時"は人の"死"を通り過ぎていきます。

人がなしえた成果はすこしだけ後に残りますが、ほとんどは消えていきます。

人が行ったどれほど大きな善も、すべて消えていきます。

驚くべきことに、人が行ったどのような悪も消えていきます。

善も悪も、すべてが受け入れられて、"時"の彼方に消えていきます。

まるで、"悪"さえも許されるかのように。


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