日本語のあれこれ日記【76】

別日本語―その2―漢字・中国の影響から離れる

[2025/4/20]


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とりあえず、やってみる

一つ前の記事で、次のように書きました。

現代語の基本語を、漢字の影響を除いて考えてみることにします。そしてその基本語を、中学生用の和英辞典に収録された単語、とします。

とりかかってはみましたが、うまくいきません。

生来の怠け癖もあって、なかなか進まないのです。

そこで対象を、「中学生用の和英辞典」の一部とし、具体的には先頭の文字が「あ、き、す、て、の、は、み、ゆ、れ、わ」の言葉に限定してすすめることにしましたが、それでも思うように行きません。

時間がかかっている要因はいろいろあります。

(1) 外来語(漢字で表す漢語も含む)を別扱いするのですが、外来語なのか和語なのかの判別が簡単ではない。

漢語のなかに紛らわしい例があります。その代表例は「気持ち、気分」などの"気"です。「気になる」、「気がつく」、「気が大きい/小さい」、「やる気」、「移り気」など、和語的な表現がいろいろとあるので、これは和語だろうと思いましたが、念のために辞書を引くと、漢語とする説が有力なのです。

確かに、漢字字典をあたたると、音(おん)として「キ、ケ」があり、訓はありません。

それでも、"気"に相当する和語で"き"があり、偶然にも漢字の"気"の音(おん)と同じだったのではないか、と考えたくなります。

このような事を考えていると、さっぱりはかどらないのです。

(2) 外来語は和語で該当する言葉を当てはめるか、あるいは日本語の歴史で漢語をそのまま導入したように、英語をそのまま取り入れるか、ということをするのですが、これが難しい。

たとえば"合気道"は、"合い"と"気"と"道(どう)"をあわせたものと考えられます。もともと日本で作られた、いわば和語ですが、"気"と"道(どう)"は漢語から取り込んでいます。"道(どう)"は"柔道、剣道、華道"など広く使われます。

このような言葉を、漢語を使わずに表現するにはどうしたらいいでしょうか。悩んでしまいます。

また、"棄権"は、選挙で投票する権利があるのに投票しない、という意味や、競技のときに途中で競技をやめるという意味があり、"権利を放棄する"という意味では投票にも競技にも当てはまりますが、ニュアンスとしてはかなり異なるものだと、私は感じます。ですから、"棄権"という漢語をたとえば英語の表現でするなら、二つの言葉を当てはめるべきと考えます。選挙での投票をやめるときには、たとえば"abstain from voting"、競技を棄権するは、"withdraw"とか"retire"、"drop out of"があるようです。

このように、いろいろな問題があり、考えを巡らしていると、ちっともはかどらないのです。

ただし、簡単なケースもあります。金属の"亜鉛"であれば、日本人が最初に遭遇するのは、英語であれば"zinc"という言葉でしょう。これを日本語にとりこむときには、単純に"zinc"としてよいのではないかと思います。

ただし、考え出すと、これも別の側面が浮かび上がります。"亜鉛"は"鉛"との関連性があるとして"亜鉛"としたわけですから、私なら"亜"のかわりに、英語流(元はといえばラテン語流ですが)に"quasi"を使うことを考えます。"鉛"という漢字は使わないので、"namari"とするなら、"quasi-namari"でしょうか。

このように、「ああでもない、こうでもない」、あるいは「あれもこれも」というように考え出すと、時間ばかりが過ぎていきます。

文字の話を再確認

ここで出てきました。"namari"です。

日本語が文字を持たなかったときに、周囲の文字を持った先進国との交流が始まれば、たぶんその文字を導入するのではないかと思います。

実際の歴史では、そのような先進国は中国であったのですが、一つ前の記事で書いたように、ギリシア・ローマ文明に最初に出会っていたら、ギリシャ文字かローマ字を導入していたでしょう。

その場合、"なまり"という言葉に対して、"namari"という文字表記を採用すると考えることが自然です。


このようなローマ字表記ですが、日本語をローマ字で書く運動を長い間推進してきた公益社団法人「日本ローマ字会」が2023年に解散しました。

「日本語をローマ字で書く」という運動は、日本語を漢字かなで書いてきた歴史の中から、それを切り替えてローマ字表記に変えようというものです。その運動が頓挫したということは、ローマ字で書くように変えるということを断念したということなのでしょう。

そのことは、私がここで日本語をローマ字で書くということについて考えていることと矛盾しないということを、念のために書いておきます。

私がここで書いているのは、日本語に漢字かなが存在しない時代に、つまり日本人が文字という概念を持っていない時代に、ギリシャ文字あるいはローマ字に遭遇したケースを仮定しているので、まったくわけが違います。文字というものがギリシャ文字あるいはローマ字しか知らないので、それを使う以外に方法はないでしょう。

それで、ギリシャ文字ではなく、ローマ字としたのは、単に私がギリシャ文字をほとんど知らないので、なじみのあるローマ字を取り上げたというだけのことです。

トライアル

日本語を、漢字や漢字から派生したひらがなカタカナを使わない日本語はどういうものか、ということを考え出して、それがいっこうにはかどらない、という事を長々と書いてきました。

それで、一度、具体的にサンプルを取り上げてみようと考えました。

以前の記事で、「我輩は猫である」の冒頭部分を取り上げたことがあるので、それを対象にして試みることにしました。

原文(現在の表記法にあわせて少しアレンジしてあります)は次のようなものです。

【文例1】

 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
 どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。吾輩はここで始めて人間というものを見た。しかもあとで聞くとそれは書生という人間中で一番獰悪な種族であったそうだ。この書生というのは時々我々を捕えて煮て食うという話である。しかしその当時は何という考えもなかったから別段恐しいとも思わなかった。

これに対し、漢字を使わずにかな表記したものをいかに示します。

【文例2】

 ワガハイ は ネコ で ある。ナマエ は まだ ない。
 どこ で うまれた か とんと ケントウ が つかぬ。なんでも
うすぐらいじめじめした トコロ で ニャーニャー ないて いた
こと だけは キオクしている。ワガハイ は ここで はじめて
ニンゲン という もの を みた。しかも あと で きく と
それは ショセイ という ニンゲン-じゅう でイチバン ドウアク
な シュゾク で あった そうだ。この ショセイ という のは
ときどき われわれ を つかまえて に て くう という ハナシ
である。しかし その トウジ は なんと いう カンガエ も
なかった から べつだん おそろしい とも おもわなかった。

これに対し、漢字・かな・カナを使わずに、ローマ字で表記した例を以下に示します。漢字が日本に持ち込まれなかったという前提ですから、漢語は使いません。言い換えるか、外来語を導入するとかの方法を採っています。

【文例3】

 Oresama wa neko de aru. Namae wa mada nai.
 Doko de umareta ka marude omoiatari ga nai. Nanndemo
usugurai jimejimesita tokoro de nya-nya- naite ita
koto dake wa oboe te iru. Oresama wa kokode hajimete
hito to iu mono o mita. Sikamo ato de kiku to
sore wa houseman-student to iu hito no naka de mottomo cruel
na tomogara de atta souda. Kono houseman-student to iu mono wa
tokidoki wareware o tukamae te ni te kuu to iu hanasi
de aru. Sikasi sono toki wa nanntoiu kanngae mo
nakatta kara toriwakete osorosii tomo omowanakatta.

漢語をどのように処理したかについて、以下に簡単に述べます。

・我輩・・・・オレ様とすれば、"我輩"という語感にかなり近づいているのではないかと思われます。

・とんと・・・・噸とであり、"噸"が漢語です。それで"まるで"に変更します。

・見当がつかぬ・・・・思い当たりがない、と言い換えます。

・記憶している・・・・これは"憶えている"とすれば問題ないでしょう。もともと"記憶している"と表現する必要はないと思う。

・人間・・・・これは難しい。"人(ヒト)"と"人間"の違いはあるにはあるのですいが、"人(ヒト)"意外には思いつきません。

・書生・・・・houseman-student という英語表現を使いました。書生という立場は海外にはないようで、和英辞典に当たっても、書生の説明に言葉を費やしています。houseboyあるいはhousemanが家事の細々としたことをする下働きの意味を持つので、それに"学生"の言葉であるstudentを追加しました。

・一番・・・・"最も(もっとも)"で問題ないでしょう。

・獰悪な・・・・漢語ではこの種の言葉は沢山あります。獰悪は獰猛と悪質という二つの性質をあわせた言葉でしょう。凶悪、獰猛、残忍などがあります。和語ではこの種の言葉は思いつかなかったので、cruelという英語の言葉を使いました。brutalとの間で迷いましたが、cruelの方が"悪"のイメージに近いような気がしますが、どうでしょうか。(*1)

・種族・・・・仲間、輩(ともがら)くらいしか思いつきません。仲間よりは輩(ともがら)の方が近いと思いました。

・当時・・・・"その時"と言い換えて問題ないでしょう。

・別段・・・・"とりわけて"くらいの言い換えで問題ないでしょう。

漱石という人は漢学塾「二松学舎」で漢文・漢詩を学んだといいますが、思いの外、漢語の使用は控えめだな、という印象を受けました。

すでに漱石の書簡について、これとは別のシリーズの記事で触れています。

そこで取り上げた中で、漢語をふんだんに使っている例を一つあげておきます。

拝啓大学図書館教職員閲覧室隣室の事務員等高声にて談笑致し静読を妨ぐること少なからず候につき小生自身に館員に面会の上相当の注意を乞ひ候へども一向取り合わざる様子に候間貴下より図書館長に御交渉の上該館の静粛を保つ様御取計被下度右手数ながら御配慮を煩はし度と存候 敬具

「我輩は猫である」は漱石が小説を本業とする前の作品であり、ごくごく普通の書き方をしているのかもしれません。

とはいっても、他の作品を、冒頭部分だけですが、いくつか読んでみると、「我輩は猫である」とさほど変らないという印象です。

書簡の中には、上に挙げたように、極端に漢語が多用されるものがいくつかあり、それが特例というべきもののようです。書簡は短い文章で自らの思いを主張するとか、感情を直接的に伝えることが多いので、仰々しい表現になることがあるのでしょう。

漢字かな書きの読みやすさについて

漢字かな書きの文例1に対して、かな書きの文例2は読みにくく、わかりにくいのは確かで、さらにローマ字書きの文例3はさらに読みにくく、わかりにくいのも確かです。

しかし、これは決定的なことでしょうか。

原文が英語の作品を日本語訳したものと比べてみます。

良い例がなかなか見つかりませんでした。その結果、バーネットの「小公女」を取り上げようと思います。

冒頭部分の英語原文を示します。出典はProject Gutenbergから採りました。引用の自由が冒頭に書かれています。

A Little Princess

【文例4】

Once on a dark winter's day, when the yellow fog hung so thick and
heavy in the streets of London that the lamps were lighted and the shop
windows blazed with gas as they do at night, an odd-looking little girl
sat in a cab with her father and was driven rather slowly through the
big thoroughfares.

She sat with her feet tucked under her, and leaned against her father,
who held her in his arm, as she stared out of the window at the passing
people with a queer old-fashioned thoughtfulness in her big eyes.

She was such a little girl that one did not expect to see such a look
on her small face. It would have been an old look for a child of
twelve, and Sara Crewe was only seven. The fact was, however, that she
was always dreaming and thinking odd things and could not herself
remember any time when she had not been thinking things about grown-up
people and the world they belonged to. She felt as if she had lived a
long, long time.

次に、この部分に相当する日本語訳です。

青空文庫に菊池寛の飜訳が含まれていました。菊池寛の没年は1948年ですから、著作権は切れています。

小公女

【文例5】

 ある陰気な冬の日のことでした。ロンドンの市中は、非常な霧のために、
街筋まちすじには街燈が点り、商店の飾窓かざりまど瓦斯ガスの光に輝いて、まるで夜が
来たかと思われるようでした。その中を、風変りなどこか変った様子の
少女が、父親と一緒に辻馬車に乗って、さして急ぐともなく、揺られて行きま
した。父の腕に抱かれた少女は、脚を縮めて坐り、窓越しに往来の人々を眺めて
いました。
 セエラ・クルウはまだやっと七歳なのに、十二にしてもませすぎた眼付をして
いました。彼女は年中大人の世界のことを空想してばかりいましたので、自然顔付も
ませてきたのでしょう。彼女自身も、もう永い永い生涯を生きて来たような気持で
いました。

私には、文例4に対して、文例5の方がずっとずっと読みやすいのは確かです。

しかし、この小公女という作品に関して、日本語訳を読む人の数と原文の英語版を読む人の数を比べたら、英語版の方がずっと多いでしょう。

小公女を読む大多数の人は、文例4のような文章を読んでいるのです。

日本人にとって、漢字かなの文章はとても読みやすいのですが、英米人にとっては、文例4のような文章がすらすら読めて、やすやすと理解してしまうのです。

振り返って見ると

このあたりの議論は、私自身、整理ができていません。

日本語は漢字と共に発展してきました。同時に、漢字を発明した中国の文化と共に発展してきました。このことは事実です。

しかし、「漢字がない日本語」というものが、"あり得ない"ものではないと思うのです。少なくとも、「漢字がない日本語」を想像する余地はあると思うのです。

「漢字がない日本語」を考えることで、"純粋日本語"、言い方を変えると"オリジナルな日本語"に迫ることができるという可能性があると思うのです。

漢字の導入で、「日本語が大きく発展した」のでしょうが、その一方で、「本来の姿がゆがんでしまった側面が、あるいは失われてしまった要素がある」のではないかと感じています。


まあ、ど素人の私に手が届く議論ではないのですが、そうはいっても、どうしても、考えてしまうのです。

備考

(*1) cruelについて・・・・ランダムハウス英語辞典には、類義語に関する説明があります。cruelの項では、pitiless, ruthless, brutal, savage が挙げられています。以下、要点を私なりにまとめると、cruel は、「進んで他人に苦痛を与え,他人の苦しみに平気でいる」、pitilessは、「冷酷な感じと頑として同情を示さない」、ruthlessは、「いかなる手段も辞さない残酷で破廉恥な」、brutalは、「肉体的暴力として現れる残酷さ」、savageは、「荒々しさ・野蛮性を暗示」などと説明されています。cruel は、どら猫を見たら、追い回すとか、捕まえて投げ捨てる、などという、「我輩は猫である」に出てくるエピソードに近いものを感じます。pitilessは、文字通り同情(pity)がないという語感で、積極的に猫を攻撃するというものではないようです。brutalは、肉体的暴力に中心があって、肉体的にも精神的にも攻撃性があるということではないように感じます。savageについては、「我輩は猫である」に出てくる「番茶は英語で savage tea という」という場面を思い出します。savageを"野蛮の蛮"になぞらえていると私は理解していて、野蛮、つまり未開ということで、その社会で必要な常識はそれなりに持っている、という見方です。

ここに書いたことは、夏目漱石が、"書生"というものをどう表現するか、ということを、"漢字・かな"がない条件で検討したであろうことを想像しています。これはまったく見当外れで、日本人が、漢字に触れておらず、外来語として最初にギリシャ語、ラテン語とか英語に触れ、以後漢字を知らないままに歴史をたどってきた、という前提ですから、そのような状態では、実際の歴史とはかけ離れていて、そもそも、夏目漱石という小説家が生まれることもなく、「我輩は猫である」のような小説が書かれることもなかったでしょう。つまり、"書生"に相当する言葉を、cruelとその類義語について検討する、ということは、実は何の意味もないことです・・・・本当のことを言えば。


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