気まぐれ日記 29 後拾遺集274 わぎもこがかけてまつらん玉づさをかきつらねたる初かりの声


[2015/7/20]

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後拾遺集274番歌の作者を再考する

後拾遺集274番歌は、一つ前の273番歌「なけやなけ」の歌と関連して前の記事で少し書きました。ここで少し振り返っておきます。

この2首は次の様なものです(*1)。

      そねのよしたゞ
 273  なけやなけよもぎが柚のきりぎりす過行秋はげにぞかなしき
寛和元年八月十日内裏歌合によめる藤原長能
 274  わぎもこがかけてまつらん玉づさをかきつらねたる初かりの声

好忠の「なけやなけ」の歌を長能が、「狂惑のやつなり。蓬が杣と云ふ事やはある」と非難したことが記録に残っていますが、後拾遺集の273、274番歌の配列では、新しい傾向の歌の代表歌である「なけやなけ」の歌の次に、それを非難した長能の歌、それもかなり懐古的な、守旧的な歌、を並べています。

後拾遺集の編者である藤原通俊が、新しい歌と古臭い歌をわざとならべた様にも見えます。本当にそうだったら面白いのに、と思ったのでした。

ところが、それではすまなかったんですね。

「わぎもこが」の歌が長能集になく、公任集にあると言うとんでもない矛盾。

さらに、寛和元年八月十日内裏歌合と詞書きに明記されていますが、その歌合せ記録を見ると、「わぎもこが」の歌は確かに詠まれていますが、その歌だけ作者名が書かれていない。全12首が詠まれた中で、11首は作者名がかかれているのに、この歌だけ書かれていないのです(*2)。

ふつうなら、寛和元年八月十日内裏歌合の記録に作者名が書かれていないが、この歌は右方として歌われ、右方には公任、長能の二人である、ということがわかり、公任集(*3)にはこの歌があり、長能集(*3)にはない、ということであれば、当然この歌の作者は公任、ということになるのではないでしょうか。

長能集の成立は1009年(*5)、公任集の成立は1041年(*5)、あるいは1044年頃(*4)、後拾遺集は奏覧が1088年(*4)、ということから考えれれば、後拾遺集の編集時はこの両集を参照していた可能性は高いのではないでしょうか。

後拾遺集において、「わぎもこが」の歌の作者を長能とした理由が分かりません。

「わぎもこが」の歌の作者の推測

後拾遺集274番歌「わぎもこが」の作者はだれなのか。寛和元年八月十日内裏歌合の記録から考えると、長能、公任のどちらか、と考えるのが妥当と思いますが、それではどちらかなのか。

どちらの可能性が高いのか、という点で調べてみました。

結果は確信からは程遠いものでした。情報源が、歌合せの記録、長能集と公任集、後拾遺和歌集しかないので、仕方がありません。もっとも、私の実力ではこの程度で我慢するしかないでしょう。

私なりの調査をした内容を別ファイルとしてまとめました。(別ウィンドウで開きます。)

この歌の作者としては、言葉の使い方の傾向から「公任である可能性」を示す統計データが得られましたが、あまりに弱い根拠であり、作者を推定する、というのはもとより、推測する、というレベルにも至りません。

今後、何か新しい展開があれば、追記していこうと思います。

参照した資料

(*1) 八代集

(*2) 新編国歌大観 第5巻〔1〕歌合編 歌学書・物語・日記等収録歌編歌集

(*3) 新編国歌大観 第3巻 私家集編I 歌集

(*4) 日本古典文学大辞典 簡約版 岩波書店 2002年2月

(*5) 日本文学年表 市古貞次編 桜楓社 1982年3月



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