気まぐれ日記 26 後拾遺集273 なけやなけよもぎが杣のきりぎりす 曾禰好忠


[2015/6/18]

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後拾遺集273番歌

後拾遺集273 なけやなけよもぎが杣のきりぎりす過ぎゆく秋はげにぞ悲しき 曾禰好忠

この歌がどのくらい重要なものか、についてまとめておきます。私の様な古典文学の初心者にとってはこのようなこともきちんとチェックする必要があるのです。

まず、後拾遺集が、三代集においては古今集にはじまる伝統的歌風に比較的忠実に編集されたのに対し、新しい流れに舵を切った転換点にあるということ。たとえば、「種々の点で確かに王朝和歌の一つの屈折点を示す歌集であった(岩波・日本古典文学大辞典)」といわれます。また同書では、伝統的な和歌と新奇・個性的な傾向の両方を含む、とし、その代表作として、前者には相模の「見わたせば波のしがらみかけてけり卯の花咲ける玉川の里」、後者には曾禰好忠の「鳴けや泣け蓬が杣のきりぎりす過ぎゆく秋はげにぞかなしき」をあげています。

以下、事典的な情報は、特に書かない限り、「岩波・日本古典文学大辞典 簡約版」を参照しました。

つまり、後拾遺集の特徴をもっともよく示す歌、とされているわけです。

一方、曾禰好忠の歌人としての存在を見れば、やはり同書の曾禰好忠の項では、たった一首紹介されているその歌が「なけやなけ」の歌なのです。でもこれは長能による非難のエピソードがあったから、という要因が大きく影響しているわけで、このエピソードがなかったら、これほど注目されていなかったかもしれません。

別の観点にたてば、百人一首では「由良のとを渡る舟人かぢをたえ行衛もしらぬ恋のみちかな」が取られているように、伝統的な路線の歌も数多くあります。要は、色々な歌を読んだが、その中には新しい方向を捉えて魅力的な歌もすくなくなかった、というところでしょうか。

さて、それでは歌に戻ります。

「よもぎが杣」です。つまり「蓬が杣」。

これって、それほど極端な、今風にいえば"トンデモ"歌でしょうか。

「よもぎがまるで杣のようだ」。杣といえば建築材料として木材を切り出す山のことになります。細い枝なら何とでもむなるでしょうが、家屋の柱に使うなら大木が必要です。中には何人もの大人が両手を伸ばしてつないでようやく一回りするようなものもあるでしょう。根方に立てば、首や腰が痛くなるくらいにそっくりかえらないと、先端が見えない。

1匹のキリギリスが蓬の茎の根元で鳴いています。蓬の茎は梅雨から夏の暑い季節にわたってたっぷりと水と養分を吸収し、また日差しを受け、茎はずぶとく、大きな葉を揺らしているところです。茎はその根元に立つキリギリスの胴体の数倍の太さになり、キリギリスの視界を遮るほどの太さです。

当時のキリギリスは今の何に相当するか、という議論は、ここではほとんど意味がないのでふれません。

茎が太く育ったということは、長い夏の日々が過ぎて、すでに秋を迎えている事を知らせます。この後は寒くて暗い冬の到来が待ち構えています。

キリギリスにとって自分の体の数倍もの太さの"大木"という存在でしょう。かたや、杣にたたずみ、恰好な大木を見ている杣人。

これって、そんなに特異な表現なのでしょうか。

藤原長能の非難

藤原長能(ながとう、またはながよし)がその歌を非難したことが袋草紙に記載されていることは、この歌が引き合いに出されるときに、実にしばしば言及されます。袋草子は岩波の新日本古典文学大系(*1)にありますので、見てみました。

曾禰好忠の三百六十首歌に云はく、
  鳴けや鳴けよもぎが杣のきりぎりすすぎゆく秋はげにぞかなしき
長能云はく、「狂惑のやつなり。蓬が杣と云ふ事やはある」と云々。

「蓬が杣」が問題とされたようですね。

藤原長能は、後拾遺集での入集歌数ランキングで8位(和泉式部、相模、赤染衛門、能因、伊勢大輔、清原元輔・源道済の次(*2))ですから、当時広く評価されている人で、相当な歌人です。そのようなひとが厳しく非難したということは注目を集めたことでしょう。

考えてみると、下の句の「過ぎゆく秋はげにぞ悲しき」なんて、あまりに"ありきたり"で、何の意味もない。

では初句の「なけやなけ」はどうか。古今集にはありませんが、拾遺集に「題しらず よみ人しらず」として1首あります。

117 なけやなけたかまの山のほとゝぎすこの五月雨に声なおしみそ

このあと新古今まで、八代集には見つかりませんが、和泉式部集(*3)に1首あります。

続集1005 なけやなけわがもろ声に呼子鳥呼ばば答へて帰り来ばかり

何が鳴くのかといえば、拾遺では"ほととぎす"、後拾遺では"きりぎりす"、和泉式部続集では"呼子鳥"。

曾禰好忠と和泉式部は八代集の初出がともに拾遺集ですから、時代としてはこの3首はまとまっています。

万葉集には「蓬が杣」は使用例がありません。また古今六帖にもありません。「蓬が杣」は好忠の造語とされていますから、後拾遺集の後の勅撰集では使ってもいいような気がします。少なくとも八代集まででは用例が見つからないのは、あまりに注目されていて、使いにくかったのでしょうか。

勅撰集以外では「蓬が杣」の用例があることがWEBサイト「やまとうた」 千人万首 曾禰好忠の項に紹介されています。ご参考まで。

古今和歌六帖における類似歌

古今和歌六帖で、次の歌を見つけました(*4)。

3958 あきかせやよもきのやとにふきぬらむこゑなつかしくなくきりきりす

   (秋風や蓬の宿に吹きぬらむ声なつかしく鳴くきりぎりす)

(私解:キリギリスが懐かしい声で鳴いている、蓬が生い茂っているところにいるキリギリスに対して秋風が吹きつけているのだろう)

3991 あきかせのややふきしけはきりきりすうくもよもきのやとをかるるか

   (秋風のやや吹きしけばきりきりす憂くも蓬の宿を借るるか)

(私解:吹きしく秋風が強くなってきて、キリギリスは気が進まないだろうが蓬の茎のかげで風をよけているんだろうか)

どちらも、よもぎの宿、キリギリス、秋風、吹く、という共通した構成要素が見られます。後拾遺集273の好忠の歌も、この両歌を踏まえているのでしょうか。

ただし、時期的には微妙なものがあります。曾禰好忠の「毎月集」は天禄2年(971年)頃の成立、古今和歌六帖の成立はおおむね980年前後とみなされているようです。「毎月集」は詠まれて間もなく公開されたと思われますが、古今和歌六帖はすでに公開された歌を収集したもので、詠まれた時期はよくわかりません。

藤原長能の生年ははっきりしないようてすが、一説では天暦3(949)年といわれます。曾禰好忠の「毎月集」の成立時にはまだ21歳と言うことになります。曾禰好忠の生年も不詳ながら、920年代後半との推測があります。

藤原長能からみると20歳以上の年長者である曾禰好忠に対して、「狂惑のやつなり」と"人物を非難している"のはちょっと疑問が残ります。さらに、古今和歌六帖において、「なけやなけ」の歌と同時期、あるいはそれに先だって、「蓬の宿」という表現まで到達している事を考えると、さらに疑問が募ります。

私の感じたところは、「狂惑のやつなり。蓬が杣と云ふ事やはある」と非難したというのは、あまり強調すべきエピソードではないのではないか、ということです。たとえて言えば、ごく身近な人たちと内輪な話をしていて、「ちょっと口を滑らした」、あるいは「ちょっと大口をたたいてみた」というようなイメージです。

後拾遺和歌集におけるこの歌の配置

さて、後拾遺集273番歌はどんな位置に収録されたのでしょうか。ここにも不思議な事があります。

次の二首の表記は、できるだけ"生"の雰囲気を残すために、「合本八代集」の表記をそのまま再現したものです。(ただし字下げはhtmlでは正しく再現することができていません。また踊り字は通常の文字に書き変えました)

      そねのよしたゞ
 273  なけやなけよもぎが柚のきりぎりす過行秋はげにぞかなしき
寛和元年八月十日内裏歌合によめる藤原長能
 274  わぎもこがかけてまつらん玉づさをかきつらねたる初かりの声

好忠の歌に引き続いて、それを酷評した長能の歌を続けて配置しています。好忠の歌が後拾遺集における新しい趣向をもった代表的な歌とされるのに対し、それに続く長能の歌は思いっきり懐古的な、守旧的な、つまり、全く対照的な歌を並べたわけです。

後拾遺集の編纂時には、長能の非難はすでに人口に膾炙(かいしゃ)していたのでしょうか。後拾遺集の奏覧は応徳3年(1086年)、「なけやなけ」の歌は「毎月集」に収録され、それは天禄2年(971年)頃の成立と想定するのが通説、ということからすると、100年以上前に公開されていることになります。

それにしても、この配列はどんなものでしょうか。長能が好忠の歌を酷評した、という事実を踏まえて、まるで当てつけるかのように二人の歌を並べた、といいたくなるような配置です。

ただし、この前後の排列を見ると、流れとしては自然であることが感じ取れます。歌番号、作者名、歌のテーマという順序で並びを書いてみます。

264 赤染衛門 月
265 よみ人しらず 秋もあき今夜もこよひ月もつき所もところみる君もきみ
266 清原元輔 松虫
267 大江公資 鈴虫
268 藤原公任 鈴虫
269 四条中宮 鈴虫
270 道命法師 浅茅が原 虫の音
271 平兼盛  浅茅生 鳴く虫
272 大江匡衡 秋風 鈴虫
273 曾禰好忠 蓬が杣 きりぎりす
274 藤原長能 初雁の声
275 赤染衛門 雁も鳴く
276 伊勢大輔 鳴く雁

265番まで月のテーマとした歌を並べ、次は虫の歌、そして雁と進んでいきます。虫の歌では、松虫、鈴虫とした後で、"浅茅が原"、"浅茅生"と荒れ果てたイメージを醸し出し、秋風をいれて次に「蓬が杣のきりぎりす」とまとめる。すでに古今和歌六帖では、"秋風"と"蓬が宿"を"きりぎりす"にからませていますから、"浅茅が原"、"浅茅生"と続いたところですでに"きりぎりす"が想定されているように感じます。

ところが、とんでもない話があります。

後拾遺集では作者は藤原長能とされる274番歌ですが、藤原公任(きんとう)という説もあるようです。事実、公任集330にこの歌があります(*4)。

岩波・新日本古典文学大系 8 の後拾遺和歌集ではこの歌について、作者名を藤原長能としつつ、脚注で以下のように触れています。

歌合本文(十巻本)には、この歌にのみ作者名が付されない。作者の伝えが本集、公任集で揺れるのは、右方の作者が長能・公任の二人のみであったためか。

この歌の題詞には「寛和元年八月十日。内裏歌合によめる」とあります。角川国歌大観で確認する(*5)と、左方、右方が交互に計12首が載せられています。

左方 右方
御(製)公任朝臣
為理長能
惟成長能
御(製)長能
惟成(記載なし)
御(製)公任朝臣

これでは、後拾遺和歌集での273、274番歌の並びの妙味をいままで長々と書いてきたのですが、まるで意味がないものになってしまいます。

そのほかにも

上記の歌の配列のところで、265番歌だけは全歌を抜き出しました。テーマは月、などと言うことができない、ヘンな歌だからです。こういう"言葉遊び"の歌は昔からあり、とりたててめずらしいとは言えません。万葉集にはたくさんあり、八代集にも和泉式部集にもあります。が、通常は"へえっ"などと苦笑する程度の事はあるものですが、これはいけません、といいたくなります。特別な感興がわいてくる、というようなものとは到底感じられず、選者が"遊びごころ"で、ちょっと"ワルノリ"して入れてしまった、という感じです。"月"の歌の末尾にもってきたというのも、どの位置に配置しても納まりが悪いので、そのグループの最後に、いわば"グループから外れた所"に配置した、という印象を受けます。赤染衛門の歌の次にありますが、こんな歌とならべられて赤染衛門がかわいそう、というべきでしょう。

最後に

この歌を取り上げたのは、上に書いたように、この歌の周辺は「突っ込みどころが満載」なためです。ちょっと調べると、色々な疑問がますます複雑に絡んできて、収束する気配がありません。

そして、「なけやなけ」の歌が、後拾遺和歌集で1首あげるとするとどれか、というときに引き合いに出されるほど優れた歌なのか、これが今でも腑に落ちないのです。ユニークなのは「蓬が杣」という表現ですが、それとても、古今和歌六帖で「蓬の宿」という類似の発想がでてきているのに、と思ってしまいます。長能が、「狂惑のやつなり」と非難したエピソードが有名になってしまって、その歌が過度に注目を浴びるようになってしまった、というものではないのでしょうか。

参照した資料

(*1) 袋草紙 藤岡忠美校注 新日本古典文学大系29 岩波書店

(*2) 日本古典文学大辞典 簡約版 岩波書店 2002年2月

(*3) 和泉式部集・和泉式部続集 清水文雄校注 岩波文庫 岩波書店 1986年12月

(*4) 新編国歌大観 第3巻 私家集編I 歌集

(*5) 新編国歌大観 第5巻〔1〕歌合編 歌学書・物語・日記等収録歌編歌集



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