創作ことわざ


[2021/5/16]-231日目

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【44】教わるが一番、見習うが二番、慣れるはその後

「習うより慣れよ」

「習うより慣れよ」という言葉があります。

これにはいくつかの解釈があり、人によってニュアンスが異なるとらえ方がされています。

いずれにしても、私の場合、これはちょっと違うのではないか、と感じることが何度もありました。

そこで、もう一度考え直した次第です。

ラッパ吹きの経験

会社勤めを始めて二、三年が過ぎた頃、消防隊入りを言い渡されました。

勤めていた会社は、過去に二度か三度か大火になり、経営者は企業継続を断念することを考えたことがあった、と聞かされていました。

そのために、社内に消防隊を組織し、火災の場合には自前の消防設備で火を消すことができるように、また社員の防火意識を向上させる、という効果を考えたということです。

当時は、新入社員のなかから、約半数程度だったでしょうか、消防隊に所属するようなやり方だったと思います。

消防隊に入ると、ポンプ車を使い、ホースを延ばして火を消す、という訓練をしていました。

それから三年くらいたったときでしょうか、消防隊の中でも連絡班に入ることを言い渡されました。

連絡班の仕事は、無線機を使って、鳳雛している最前線とポンプ車の操作員、消防本部との間で連絡をする役目です。

そのほかに、ラッパを吹く、という仕事があります。

ラッパは何に使うか、というと、演習の時の行進の伴奏(とはいわないのかもしれませんが)、各種進行の時のはじめの合図で、それぞれ曲が決まっています。

これは想像ですが、消防隊のラッパというものは、無線機がない昔に、通信手段として使われていたものではないでしょうか。


問題なのは、30歳前後で、いきなり、金管楽器のラッパを吹くように言われることです。

中学とか高校の時にバンド部で金管楽器を吹いていた、というならともかく、全く経験も興味もないまま、ラッパを吹かなければいけないのです。

当時は、私が所属していた消防隊は二つの地区に分かれていて、いわば本隊と分隊という構成で、本隊には以前から連絡班があり、ラッパを吹いていたのですが、新しく分隊にも連絡班を作り、ラッパを吹くようになったのでした。それで一度に四人のメンバーがラッパを習い始めたのです。

「見よう見まね」という言葉がありますが、見る対象がないのです。

その時の練習で気づいたことは、何かの機会に経験者がラッパを吹いている場面に遭遇した後は進歩がある、ということと、四人のうちの誰かが少し進歩すると、ほかのメンバーもそれに引きずられるように進歩する、というとです。

つまり、先達者を見聞きした後は進歩するということです。何もないところで、とにかく慣れる、というものではないのです。

今考えてみても、だれか一人でも教えてくれる人がいたら、あんなに苦労しなかったろうな、あるいはもっと速く上達しただろうな、ということを感じます。

「こういうところに気をつけて、ここはこうやって」と教えてくれる人がいるのといないのではまるで違うだろうと感じました。

このように親切に教えてくれる人がいなくても、手本になる人が実際にやっていることを見聞きできたらずいぶん違うだろうな、と思います。

暗闇の中で手探りで進むのは、どう考えても進歩が遅い、ということです。

チャーハンの作り方

テレビの番組で、中華料理人が一般家庭に行き、あり合わせの材料で料理を作る、という企画がありました。

たまたまそれを見ていたら、訪れた家では本当に材料が乏しかったのです。そこでその料理人は、「卵はありますよね」といって卵を使ってさっとチャーハンを作ったのです。その様子を見ていると、本当に簡単に作れてしまうので、自分でもやってみたのです。

意外によくできました。なるほど、簡単においしいものが作れるものだ、と思い、後日やってみると、ちょっと手間取りましたが、それほど苦労はしないでうまく作れました。

それが、時間がたつにつれて、うまくできなくなっていったのです。

考えてみると、テレビで見たときには、下ごしらえから、火力の調整、フライパンの揺らし方、などいろいろなことを目で見ているのですね。だから、その後すぐ作るとうまくいく。時間がたつにつれて記憶が曖昧になり、その料理人のやり方とズレが大きくなるのです。

鯛のポアレ

このチャーハンの例とよく似たことがありました。

ある時、近くのフレンチレストランで、ランチがおいしくて安い、ということを聞き、出かけました。

フレンチはあまり食べたことがなく、料理がどのようなもののか分かりませんでしたが、とにかくおいしいと感じたのは確かです。

メインは 肉か魚かえらべたので、フレンチの魚は食べたことがなかったので試しにと、魚を選びました。

白身魚をオリーブ油で揚げたもののようでした。

「これは簡単につくれそうだ、自分でもできそう」と感じたので、家に帰りネットで調べると、「鯛のポアレ」というものでいくつもレシピが出ていました。

ネット上の書き込みでも「調理が簡単そうなので 自分でもやってみたらうまくできた」というような記事がいくつも見つかりました。

さっそく鯛の切り身を買ってきて、ネットに出ているレシピに沿って作ってみると、確かにおいしくできたのです。

でも、そのあと、間隔を置いて何度か作ると、だんだんと味が落ちてくるのです。

そのときに思ったのは、「きちんと作ったものを食べて味がよく分かっていないと、レシピをみてもうまくいかない」ということでした。

料理を食べておいしいと感じて、その味覚が生々しい時は、おそらく火加減とか、調味料の分量とかが"見当がつく"のだと思います。

オクがだんだん薄れてくると、その見当がつかなくなってくるのです。

三つのエピソードからわかること

自分で苦労しながらやっていくと、次第にうまくいくようになる、というのは一面では真実かもしれません。しかしながら効率的ではないのです。

よく、新人の調理人がシェフのワザを"盗む"ということが言われます。

教えてはもらえないのです。ですから、こっそり観察するのです。あるいは、残ったソースをなめて味を確認したりします。

この場合でも、いろいろな手がかりはあります。

このような料理人の世界では、教えてはもらえない、ということが多いようですが、親切に教えてくれる場合もあります。

池袋のラーメン店「大勝軒」のマスターである山岸一雄氏は弟子を直接教えたといわれています。

私は無給、交通費もなしで働かせてもらうかわりに、優先的に直接マスターから指導をしていただきました。
製麺やスープ、チャーシュー、メンマなどのレシピ、常連さんにサービスしていたつぶ(ぎょうざ)のレシピなども教えてもらいました。

「店通-TENTSU-お店に通じる、すべての人へ」の記事「【つけめんとは】ラーメンの神様、山岸一雄とつけ麺の歴史 直弟子・麺屋六文銭に聞く」より

何が変わったのか

「丁寧に教える」ことは、かつては避けるべきだったのが、最近は変わったのだと思います。

なぜ変わったのかというと、いろいろなことが進歩・進化して、学ぶべき基礎事項が多くなってきて、この段階をきわめて効率的に過ごさないと間に合わない、ということだと考えています。

昔流のやり方では、基礎を学ぶことに時間がかかりすぎて、基礎段階が終わって、いよいよ一人でやっていく段階になった時に、年を取り過ぎて残された時間が短すぎる、ということになっているのです。

もう一つの面は、変化が激しいので、基礎段階が終わったからといって、その後はすでに身につけた技術や知識だけでやっていけば良い、というわけにはいかないのです。

基礎段階が終わってからも、身につけるべきことが次から次へと出てくるので、基礎段階に対してゆっくり、丁寧に時間をかけていては間に合わないのです。

積極的に「教え、教わる」のが一番小効率的で、次は先に立つ人のやることを見聞きして身につける、最後にすべて独力でやる、というのが来る、ということだと思います。


万事が"せわしない"ことになってきていますが、時代の変化であり、これに反対してもしかたがありません。

どうしたって、そのような世の中で生きていくしかないのです。



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