創作ことわざ
[2020/11/11]-45日目
おじさんの一人が大阪で暮らしています。
子供の頃から、おっちゃんと呼んでいて、何度か大阪に行ったときは遊んでもらいました。
このおっちゃんが、ときどき真面目な顔で、こう言うのです。
「迷うたらやれや、わからんかったらやめとき」
これはおっちゃんの祖母から言われたことだそうです。
「まようならやりなはれ」、また別の時には「分からんときはやめとき」と、何度もか聞かされた、と。
「迷ったらやる」というのは、よく聞きます。
このシリーズの記事でも、NO.26で「言うは一時の悔い、言わぬは一生の悔い」と書いています。
ですが、これで事足りるかというと、そうではないときもあるでしょう。
そこで「やる」ときと、「やめる」つまり"やらない"をセットで考えたものがこれです。
あれこれと、検討して、それでも利害得失が拮抗して結論が出ない。
そういう場合は「やる」を選ぶのです。
ところが、検討することができずに決断を迫られることがあります。
急に問題が発生して考える時間がない、あるいは問題が複雑すぎて分析が進まない、など。
利害得失がどうなのか分からない、でも決断しなければならない。
そういうときには「しない」を選びます。
未来がどうなるか分かりません。
「うまくいくだろう」と思っていたのに失敗する。「もうダメだろう」、と思っていたものが良い結果が出た、など。
ですが、なにか決断をしなければならないのです。結果についての責任も伴います。
そういうことがこの世の宿命です。
「宿命」という言葉は本当は嫌いです。しかし、「宿命」として認めざるを得ないこともいくつかあります。たとえば、「人はいずれ死ぬ」ということと、「人が行った判断や行為は、その環境条件がどうであろうと、それなりの責任が伴う」はその代表です。