日本語のあれこれ日記【77】

別日本語―その3―日本人が漢字に出会った頃

[2025/7/18]


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日本人と漢字の出会い

一つ前の記事で、次のように書きました。

・・・・日本語に漢字かなが存在しない時代に、つまり日本人が文字という概念を持っていない時代に、ギリシャ文字あるいはローマ字に遭遇したケースを仮定して・・・・

これはどういうことかというと、日本列島がアジア大陸から少しだけ海を隔てて、中国という文字を持った文明先進国に相(あい)対していた事実をいったん除いて、日本列島がギリシャ・ローマ文明圏から少しだけ離れて位置していたら、という仮定です。

現実はそうではなかったので、何も実証できないし、論理的に推論することもできません。

全くの想像、妄想の世界です。

しかし、もしかしたら、日本語を考える上で、何かのヒントが見つかるかもしれません。

一つ前の記事で、日本語をローマ字で表記したらどうなるか(どうなりそうか)を書きました。

同じことを、万葉集で試みてみたいと思います。

万葉集の第1巻は、第一番歌から長歌が並び、はじめての短歌は第四番歌に現われます。取り扱いがより簡単なこの短歌で始めようと思います。短歌と言っても、長歌である第三番歌に対する反歌です。

たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさぶかの

漢字表記は次のようになります。

玉剋春 内乃大野尓 馬数而 朝布麻須等六 其草深野

ちなみに、結句の「其草深野」のふりがなですが、たとえば、中西進著の「萬葉集 全訳注原文付」(講談社)では「くさふかの」ですが、井出至・毛利正守 新校注万葉集では、「くさぶかの」と濁りが含まれます。

この濁りについては、たとえば、日本国語大辞典(精選版)では「くさふかの」の項があり、文例としてこの歌が引用されていて、また、小学館のデジタル大辞泉では「くさぶかの」の項があり、文例としてこの歌が引用されています。

このような連濁になり得るケースで「濁るか濁らないか」、という問題はきわめて軽微なものです。

というのは、万葉集では、そもそも読み方がまるで確定していない歌や、読み方が複数提案されている歌など、いくつもあります。

たとえば、156番歌については、井出至・毛利正守 新校注万葉集では、第3,4句の読みが表記されていません。凡例には「和歌の傍訓は、穏当と判断するところに従った」とあります。まるで見当が付かないか、複数の案を一つに絞れなかったということでしょう。

初句の「たまきはる」ですが、多くの国語辞典では"たま"は"魂"の字を当てています。"きはる"は"極"の字を当てているものやかなのままのものがあります。"極"であれば、"春"の文字は意味からは無関係で、音(おん)のみで採用されたものでしょう。

そのような例はいくらもあり、助詞の"らむ"に対して"等六"はまるで当て字です。万葉仮名ですから当然です。

一方、"草深野"は、文字通り"草が深い(丈の長い草が生えている)野"で、漢字表記が意味を表しています。


これをローマ字表記するとどうなるでしょうか。

tamakiharu uti no ohono ni uma name te asa fumasu ramu sono kusabuka no

語句の切れ目はブランク一つ、句の切れ目はブランクを二つとしています。

読みに関しては、まったく問題ありません。

"no"が、"野原"の"野"なのか助詞の"の"なのか、判断しなければなりません。ちなみにこの歌には、両方の"の"が使われています

"sono"は"園"と指示代名詞の"その"の両方があります。

日本語は音(おん)の数が少ない、また音(おん)の構造が単純という特徴があります。"は"は、助詞の"は"の他に、"歯、葉、羽、刃"が同じ音(おん)です。

漢字であれば"歯、葉、羽、刃"などと書き分けられますが、ローマ字では区別が付きません。そもそも文字がない時代の日本語としてはもともと区別ができないのです。

それでも、何とかしのいでやってきたのですね。2人が対話する状況では、いわゆるコンテクスト(会話の前後関係)から、実用上は困らない程度に判別ができたのでしょう。

しかし、文字を使うようになると、文字というものは、時間、空間を超えて現われますから、コンテクストがない、あるいは少ない状態では困るでしょう。たとえば歌のやりとりでは、遠く離れた人からいきなり文字で書かれたものが送られてくるわけです。あるいは、もう死んでしまった人が書いた歌を目にするわけです。

かな書きでは、助詞の"は"や"歯、葉、羽、刃"の意味の"は"が書かれた文字の解釈には、ときには混乱するでしょう。

"歯"・・・・"chi"
"葉"・・・・"ye, she"
"羽"・・・・"yu"
"刃"・・・・"ren"

古代の中国語の発音は分らないので、現代中国語の音(おん)を示しました。音(おん)は新漢語林に従いました。

「口の中にあり、食べ物をかむときに使う」のは、中国語では"chi"と言い、"歯"と書くのだ、と理解し、日本語を漢字で書くときには"歯"と書いて、"ハ"と読む、と言うような工夫をしたのですね。

漢字が日本ににもたらされたとき、"歯、葉、羽、刃"のように意味が異なるケースに、別の文字を使う、というのは、日本人は、「なるほど、これは便利だ」と考えたのでしょうか。

"歯"・・・・"chi"
"葉"・・・・"ye, she"
"羽"・・・・"yu"
"刃"・・・・"ren"

古代の中国語の発音は分らないので、現代中国語の音(おん)を示しました。音(おん)は新漢語林に従いました。四声の区別は省略しました。

「口の中にあり、食べ物をかむときに使う」のは、中国語では"chi"と言い、"歯"と書くのだ、と理解し、日本語を漢字で書くときには"歯"と書いて、"ハ"と読む、と言うような工夫をしたのですね。

漢字ではなく、ギリシャ・ローマ文明圏が近くにあった場合はどうでしょうか。

助詞の"は"に相当するものは、ギリシャ・ローマの言語にはないでしょうから、音(おん)を書くだけが必要であり、問題はありません。

"歯、葉、羽、刃"については、たとえば英語では、"tooth, leaf, wing, blade"と、まったく異なる単語が対応します。

日本人はどれも"ハ"と発音するので、そのままでしょうか。あるいは、"はたご"にたいして、中国語の"旅館"を取り込み、さらに後で"hotel"を日本語化して"ホテル"と表記して使うように、"葉"に対して"leaf"を導入するのでしょうか。

ペルシャ絨毯を中国語を介さずに、英語の"carpet"に触れたとき、おそらく"carpet"の綴りをそのまま取り入れたでしょうか。音(おん)を日本語化して、"ka^petto"などと表記するのでしょうか。(ここでは"^"を仮に長音を表す記号としています。)

かな表記とローマ字表記

ここで、かな表記とローマ字表記をならべて書いてみます。

たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ そのくさぶかの

tamakiharu uti no ohono ni uma name te asa fumasu ramu sono kusabuka no

文字がない状態で、ローマ字が導入されて、上のように表記した場合、もともと発せられた音(おん)に対して、かな表記よりローマ字表記の方がより近いのではないかと思います。この歌の場合ですが。

ですから、万葉集が漢字ではなく、ローマ字表記されていたら、読みが分らない、という問題はなかったでしょうね。

参考文献

(1) 中西進 萬葉集 全訳注原文付 第一刷 株式会社講談社 昭和59年9月
(2) 井出至・毛利正守 新校注万葉集 初版第三刷 和泉古典叢書 和泉書院 2012年3月

備考


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