日本語のあれこれ日記【61】
[2024/9/16]
漢字の手書きをやめる、ということは、大きな変革です。ですが、漢字を廃止するのはどうも現実的には不可能と判断しました。
文化庁のサイトによると、次のようになります(文化庁の広報誌を引用しました)。
高校を卒業するまでには,2,136字の全てが読め,小中学校で書けるようになった1,006字以外の主な常用漢字も書けるようになります。
2,136字とは常用漢字の文字種の数です。
2000文字近くの漢字が読み書きできるためのコストは莫大です。
最近、小学4年生向けのドリル帳を買ってみました。なぜ小学4年生かというと、たまたま私の孫が小学4年生なので、どんな勉強をしているのかに興味を覚えたからです。
毎日のドリル 小学4年 全科 2024年3月改訂版 第7刷 株式会社 Gakken
(改訂版第1刷は2020年6月発行)
教科は、算数、国語、社会、理科、英語の5科目です。問題が112ページあり、その後に「答えとアドバイス」のページが続きます。
国語のページを見ると、漢字そのものの問題では、単純な書き取りはほとんどありません。正しい漢字を語群から選択するような問題が多く、また部首、画数などに関する問題があります。
そのほか、主語・述語・修飾語や接続詞に関する問題、また文章の読解や文章の書き方の問題があります。
学習する漢字の文字種は、1年生は80文字と少ないのですが、2年生~6年生は160~200文字で、4年生は200文字です。このドリルは漢字の書き取りについては省いているようです。ドリルで漢字の書き取りは嫌われるでしょうから、除いたのかもしれません。家庭で自主的にやるドリルなので、子どもたちが興味を持つ問題を選んだということだろうと想像します。
それにしても、4年生が200文字というのは多いですね。毎日新しい1文字が読み書きできることが必要なのです。
国語の他に、算数、社会、理科、英語があります。家庭学習でこれをやると、1ヶ月で約10ページですから、1週間に2~3ページほどになります。ざっと見たところ、かなりな負担です。親の助けが必要でしょうね。さらに、学校からの宿題もあるでしょう。
私が住む市の小学校の教科書を図書館から借りてきました。国語は次のようなものです。
秋田喜代美 ほか96名 新編 新しい国語 四上 東京書籍 令和6年2月発行
秋田喜代美 ほか96名 新編 新しい国語 四下 東京書籍 令和6年7月発行
上下の2冊に分かれているのは、重くなることへの配慮でしょうか。
実際、1冊でも重いです。私が子どもの頃を思い出してみると、現在のものはカラー印刷のページがほとんどです。イラストや写真がふんだんに使われています。そのために紙質を良くする必要があり、その結果重くなる、ということだと想像します。
漢字ですが、巻末に、新しく習った漢字の一覧表が付いています。上巻に83文字、下巻に119文字あり、合計202文字でした。
習う内容には、文章の組み立てに関して、段落とか、山場など、またローマ字が登場し、訓令式とヘボン式の違いの話とか(訓令、ヘボンという名前自身はでてきません)、広告を作る、とか、ところどころに短歌と和歌が紹介され、また詩を読む、とか、手紙を書く、などの章もあり、いろいろなことを学習します。
その中で、漢字を200文字程度習うのです。
漢字が書けるためには、筆順を習うのでしょう。"とめ"、"はね"に気をつけます。「加」とか「不」のような画数が少なく覚えやすそうなものから、「議」とか「極」という画数が多く覚えにくいものまであります。
表音文字を使う欧米の子どもたちは、この漢字学習がないので、その分、文章の構成の工夫だとか、手紙の書き方とか、そのようなところに注力できるわけです。
これを考えると、日本の子どもたちは随分大きなハンディキャップを負わされているな、と感じます。
教科書の中で、漢字字典を引くときに必要となる部首や総画数の数え方の説明があります。漢字そのものの学習の他にこのような付随することも学習するのです。
このように苦労をして漢字の読み書きができるようになったとして、どのようなメリットがあるのでしょうか。
いろいろな面で、表音文字を使う人々と比べて、大いに不利です。手書きでも、キー入力でもそうです。
それでは、文章を読む場面ではどうでしょうか。
漢字仮名交じりは、書くときは手間がかかるが、読む時には短時間で読むことができ、それがメリットであるとよく言われます。しかし、そうでないと最近、思うようになってきました。
たとえば、同じような内容の文章について、日本人が漢字仮名交じりの文章を読んで内容を理解する、というのと、たとえばアメリカ人が同じような内容の英語の文章を読んで内容を理解するのとでは、日本人の方が短時間ですむ、とか、より深く理解する、という差がなさそうなのです。
これは、私個人が経験したことと、仕事でアメリカ人と文書のやりとり、メール交換などで感じたことです。
学習に時間がかかり、またそれを入力するのに手間がかかる漢字を使ったことが、読んで理解する場面でメリットになっていないのです。
細かく言うと違いはあります。日本語の漢字仮名交じりの文章を一目見て、どのような分野のことが書かれているか、ということは、その分野に詳しくない人でもある程度見当が付きます。たとえば、書店で立ち読みして、興味が沸きそうな本を選ぶ、というような場合、さっと目を通しておおよその内容をつかむ、という場合には有利だと思います。
しかし、このような事はさほど重要ではありません。社会生活上は、内容を細かく読み込んで深く理解する、ということが重要なので、そうなるとメリットがないのです。
このように考えると、漢字利用システムの良いことが出てこないのです。
書道というものは、漢字特有のものといってよいのではないでしょうか。"美"の要素があるのです。
欧米にも"カリグラフィー(calligrarphy)"という技法があり、文字を飾り立てて美を競いますが、漢字の書道のレベルにはまるで届きません。
すでにドリルのことを書きました。その中に、「間違っている漢字を正しい漢字に書き直しなさい」という問題があり、次のような文章がありました。
弟の鳴き声が聞こえる
正解は、"鳴"を"泣"に変えるということですが、なぜ変える必要があるのでしょうか。
かな表記すれば「おとうと の なきごえ が きこえる」です。漢字が日本に入ってくるまでの長い間、日本人は「なく」といってきたのです。
人間でも、四つ足の動物でも、鳥でも、昆虫でも、声を出して「なく」のです。人間と人間以外とで分け隔てはしません。
ところが漢字で書くためには、人間か人間以外かを区別しなければいけません。
上で、"変える"と書きましたが、"かえる"は、"返る"、"帰る"、"代える"、"変える"、"換える"、"替える"と6文字が常用漢字に定められています。
"変える"は一番広い範囲をカバーしていて、何かの変化を起こさせる、というところでしょうか。残りは熟語を当てはめると違いが分かりやすいでしょう。
"代用"、"交換"、"交代"といったところでしょう。"返る"と"帰る"は「貸していたものが返る」、「来た人が帰る」、というように、物体と人物(生き物)で分けるイメージはありますが、微妙です。
このように、言語が違えば、どこまで細かく分けるか、という事は当然違ってきます。英語では、"返る"、"帰る"に対しては return, go/come back, "変える"はおおむね"change", "代える"、"換える"、"替える"に対しては、change, exchange, replace あたりでしょうか。
逆に日本語では細かく分けているのが漢字では同じというものもあります。代表的な例は"上"、"下"でしょう。訓読みを見ていくと、 "上"は、ウエ、ウワ、カミという名詞と、アガル、アゲル、ノボス、ノボセル、ノボル、"下"はシタ、シモ、モトという名詞と、オリル、サガル、サゲル、クダル、オロスという動詞があります。
オリル、サガル、サゲル、クダル、オロスに対して、"下"という1文字しかないのです。
また、送りがなが厄介です。ですが、これは漢字だけの問題ではなく、主に日本語側の事情が起こした問題ですので、ここでは省略します。
前記の"カエル"の例や"上""下"の問題を考えると、元々の日本語がゆがめられていることが分かります。日本語でこれとこれは別物とし、これとこれは同じ言葉としたものが、その切り分け方が中国語のやり方に引きずられて変容しているのです。
このことを考えると、かな表記やローマ字表記は、元々の日本語の形態をそのまま踏襲しています。
しかし、今となっては、漢語を幅広く受け入れてしまったため、同音異義語が大量に発生してしまい、かな表記やローマ字表記では支障が出ます。
本当に惜しいと思うのは、前の記事で書いたように、かな表記で多くの文章がカバーできるのです。カバーできないのは、法律関係と博士論文のような、専門分野の文章だけです。たとえば、身の回りの書籍、雑誌、新聞などはほとんど問題ないのです。
もともと、全く異なる言語の文字である漢字が日本語の中に入ってきたのは、日本人が会話あるいは語りとしての日本語を発展させてきたときに、文字を作り出さなかったからです。漢字が悪いのではないのです。
文字を作り出した民族は、それほど多いわけではありません。多くの国は隣の国の文字を借用しています。あるいは言語自体が分化してできています。
日本語は、歴史は長いのですが、文字を作り出す前に、当時の強力な先進国である中国から、思想、文学、宗教(仏教)などを受容してきました。漢字を通じてです。文字だけを取り込んだのではなく、中国の文化全体を取り込んだのです。
他にできることはなかったのでしょう。
やはり、漢字は日本語の中で問題が多い。しかし、やめることができるか、と言えば、今となってはできない、と考えざるを得ません。
私が提案した、手書き漢字を廃止する、というのは、本当はとてもおかしなことです。最終的に漢字仮名交じり文を作るのに、それを手書きする方法をなくしてしまうのですから。そのようなおかしな国はないでしょう。
漢字は問題が多いが、今となってはなくすことはできない、というジレンマの中で、良い抜け道はまだ見つかりません。