日本語のあれこれ日記【60】

日本語と漢字―その6―まとめと提案

[2024/9/11]


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かな書きを試した例

いままでのこのシリーズの記事で、かな書きを試したものには以下があります。

1. 日本国憲法の前文

2. 衆議院トピックス 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式の記事

3. 夏目漱石 「我輩は猫である」の冒頭

4. 「智恵子抄」の著作権裁判の最高裁における判決文

5. 高齢女性の難聴に関する医学博士の学位論文

かな書きの際には、分かち書き、漢語あるいは名詞のカタカナ書きなど、できるだけわかりやすく表現しようと努めました。

その結果、私は、1から4までは、かな書きでも良いのではないか、という感触でした。

ただし、以下のようなことを考慮する必要があります。

1. 漢字仮名交じり文を読むときよりも、かな書き分の方が理解するのに時間がかかりますが、慣れればその差は少なくなると思います。

2. かな書きではわかりにくいとき、言葉を補うとか、言い回しを変える、とかの工夫が必要です。

このようなことは、文章を書くときには当然気にかけるべきことですから、特に問題になる事はないでしょう。

かな書きでは難しいケース

まず、法律の分野ですが、判決文は法廷で語りかけるという性質のものですがら、かな書きがなじみます。しかし、そのほか、さまざまな調書では、もっと法律用語が飛び交い、かな書きでは難しいことが起こりそうです。

また、学位論文では、例に上げた内容がかな書きでは難しい、と感じられます。これは表現を工夫してもどうなるというレベルではないと思われます。

かな書きを採用するときの最大の問題

かな書きを採用するとしたときの最大の問題点は、切り替え時の情報の断絶です。

いままで、おびただしい数の漢字かな交じりの文章が作成・保存されています。かな書きに移行すると、それらが存在しないことになるのです。

ある年の小学一年生からかな表記を始めるとします。

まず、教師の再教育が必要です。しかも、一年生を教えるときには漢字を含まない、かなのみの表記、二年生以上を教えるときには漢字仮名交じり文で教えるのです。

二年生以上も問題です。すぐ下の学年からは漢字を使わないのです。これからは漢字を使わない時代に向かっているのに、漢字を習わなければならないのです、

二年生以上は、それ以降は手書き漢字を習わなくするのでしょうか。二年生は一年生の時に習った手書き漢字のレベルで、六年生は五年生の時までに習った範囲で、漢字の学習をやめるのでしょうか。

学校の図書館はどうするのでしょうか。市町村立の図書館はどうなるのでしょうか。図書館は、少しずつかな表記の書籍が増えていくのでしょうか。小学校の図書館だけ考えても、図書の入れ替えは10年とか20年とかの長い期間をかけないと、切り替えはできないでしょう。

切り替えの実例

このように、文化的な全面切り替えは、例がないのでしょうか。

日本が終戦直後に実際に経験しています。

終戦までは皇国史観・軍国主義で覆われてきた日本の社会が、終戦によって、民主主義社会に置き換わりました。当時、墨塗りの教科書が使われた、という時代があります。教科書に書いてあることの多くが、戦後社会では否定されたのですが、新しい社会にむ対応する教科書が用意できません。8月15日に無条件降伏し、米軍のGHQによる支配体制が始まりました。年度の途中で教科書を換えることは現実問題としてはできません。特に、何でも不足していた時代に、教科書の作り直しは不可能です。

教科書の不適切なところは墨塗りするにして、教師の再教育はどうしたのでしょうか。終戦時の混乱は突然発生したものですが、カナ表記のような、十分に時間をかけて検討する時間がある場合、どのようなことが可能なのでしょうか。。

また、新しい小学一年生は、一年生の時はまだ良いとしても、学年が進んでも、かな表記の本、資料などは本当にわずかしかないのです。教育の断絶です。

企業や役所でも、巨大な断絶が起こります。社会における断絶です。

その断絶は30年とか50年、あるいは100年をかけてようやくなじんで行くものです。その移行期間をどう過ごせばいいのでしょうか。

たとえば、企業がその断絶と戦い、それを克服している間に、海外企業との競争に負けていくでしょう。

現実的な解

このような心配を続けても仕方がありません。

正直なところ、私は、かな表記一本やりは不可能と考えています。

それで、唯一可能なことは何かというと、現在の私には、「手書き漢字をやめる。ただし漢字を読むことは今まで通り学習する」ということになります。

文書の作成は、パソコンとかタブレットとかを使用したときだけ、かな漢字変換機能を使って行います。

ですから、作文は今までと同じように存在します。文字の書き方が手書きではなく、かな漢字変換機能を使う、ということになります。

学校では、漢字の書き取りはなくなります。習字、あるいは書道は教科としてはなくなります。書道は、芸術として存在しますから、部活動としては学校の教育の一つになるでしょう。ちょうど華道(生け花)や茶道のような位置づけです。

漢字で書く必要があるものは、自分の名前、住所くらいです。これは本人確認の署名をするときなどに必要です。

とくに、名前については、かな表記(カタカナも含みます)と漢字表記を併記することにするのです。親が我が子に名前をつけるとき、"あきら"とか"あきこ"という名前に対して、どのような漢字を当てるのか、これを制限するのば難しいです。他人との区別にも必要です。

漢字が読めれば、今までの書類、文書、書籍は相変わらず使えます。


ここで提案する「漢字の手書きの廃止」は、まだ思いつきの程度ですから、これから、いろいろな問題をクリアしていくことになります。

たとえば、学校で教師が黒板、あるいはホワイトボードに手書きするときはどうするのでしょうか。教師は漢字の手書きを習得することになるのでしょうか。

議会議員や首長の選挙ではどうでしょうか。投票はいずれオンライン化するでしょうから、それと連動させれば良いでしょう。投票用紙に名前を手書きし、それを係員がチェックして得票数を数える、というような前近代的な方法がなくなるのは時間の問題です。



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