日本語のあれこれ日記【59】
[2024/9/2]
かな書きが向くような文章は問題ありません。前に上げた童話はそうでしょうし、古典文学の和歌は、少なくとも万葉集は問題無いだろうし、三代集あたりは、おおむね問題なさそうです。
ちなみに、三代集の最後である拾遺和歌集を見ると、全てかな表記の歌として、次の伊勢の歌が見つかりました。
132 いづくにもさきはすらめどわがやどのやまとなでしこたれにみせまし
全般的に漢字は少なく、かな書きでも問題無いような印象です。
かな書きが向かない文書にはどんなものがあるでしょうか。
すぐに思いつくのは、法律の分野と医学の分野だろうと思われます。専門用語が頻繁に使われる印象です。
そこで、例文をどこからか探し出して、元々の表記に対し、かな書きをした場合、どの程度読みにくく、つまり理解しにくくなるのか、ということを確かめようとしました。
ここで、厄介なのは、著作権の問題です。
引用は著作権のなかでも認められたもので、原文通りに表記するには問題無いでしょうが、ここでは漢字かな交じりの文章をかな書きに変える必要があります。
原文通りといっても、旧字体の漢字を新字体に変えるというような変更は、デジタル化する場合に、画面表示のために不可欠な場合があり、認められるでしょうが、「漢字かな交じりの文章をかな書きに変える」ということはどうなのでしょうか。微妙なところです。
実は、一つ前の記事で、夏目漱石の「我が輩は猫である」を取り上げたときに、夏目漱石が亡くなったのは1916年で、それから70年以上経過しています。
日本の著作権有効期限は、作者の没後70年(少し前までは没後50年)ですから、著作権は切れています。
法律では、裁判関係の文書、医学では医学論文でしょう。
著作権に関して調べると、まず、判決文は著作権法で著作権の対象から除外されている、さらに、学位論文にも著作権がない、ということが分かりました。
そこで、これに属する文書を探してみました。
判決文として検索していると、高村光太郎の「智恵子抄」という作品の出版にまつわる著作権裁判の例が見つかりました。「智恵子抄」は本サイトでも、何回か取り上げていますので、私にとってわかりやすいという期待があります。
これが検索できました。
以下は、一部を抽出した内容です。
【事件名】「智惠子抄」事件(3)
【年月日】平成5年3月30日
最高裁(三小) 平成4年(オ)第797号
(一審・東京地裁昭和41年(ワ)第12563号、昭和42年(ワ)第1635号、二審・東京高裁昭和63年(ネ)第4174号)
判決
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人らの負担とする。
判決
上告人 Y2
上告人 株式会社 龍星閣
右代表者代表取締役 Y2
右両名訴訟代理人弁護士 渡辺卓郎
同 藤原寛治
同 坂東司朗
被上告人 X
右当事者間の東京高等裁判所昭和63年(ネ)第4174号著作権登録抹消等請求本訴、同反訴事件について、同裁判所が平成4年1月21日言い渡した判決に対し、上告人らから全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
理由
上告代理人渡辺卓郎、同藤原寛治、同坂東司朗の上告理由について
本件編集著作物である「智惠子抄」は、詩人である高村光太郎が既に公表した自らの著作に係る詩を始めとして、同人著作の詩、短歌及び散文を収録したものであって、その生存中、その承諾の下に出版されたものであることは、原審の適法に確定した事実である。そうすると、仮に光太郎以外の者が「智惠子抄」の編集に関与した事実があるとしても、格別の事情の存しない限り、光太郎らもその編集に携わった事実が推認されるものであり、したがって、その編集著作権が、光太郎以外の編集に関与した者に帰属するのは、極めて限られた場合にしか想定されないというべきである。
(「理由」の以下は省略)
最高裁判所第3小法廷
裁判長裁判官 坂上壽夫
裁判官 貞家克己
裁判官 園部逸夫
裁判官 佐藤庄市部
裁判官 可部恒雄
なお、「智惠子抄」事件(3)の"(3)" の意味は私には不明です。ただし、「智惠子抄」事件(2)というタイトルの判決文が、東京高裁/判決としてネット上で検索できたので、地裁、高裁、最高裁と進むのに従って(1)、(2)、(3)という順序が示されたものではないか、と想像しています。
かな書きではどうなるか、試してみます。
ひらがなとカタカナの使い分け、分かち書きのルールなどは、一つ前の記事の「我が輩は猫である」の例に準じますが、細部は柔軟に取り扱います。
なお、最後に5人の裁判官名が列挙されているなかで、4番目に「佐藤庄市部」と書かれたところは、人名として聞き慣れないこと、「佐藤庄市郎」という方が1990年2月から1994年2月の期間において最高裁判事であり、上記の判決文が発行された平成5年は1993年であること、などから、何かの間違いであろうと判断し、勝手ではありますが、「佐藤庄市郎」と読み替えました。このことに関しては、当サイト管理人の責任です。
【ジケン-メイ】「チエコ-ショウ」ジケン(3)
【ネンガッピ】ヘイセイ5ネン3ガツ30ニチ
サイコウサイ(サンショウ) ヘイセイ4ネン(オ)ダイ797ゴウ
(イッシン・トウキョウ-チサイ ショウワ41ネン(ワ)ダイ12563ゴウ、ショウワ42ネン(ワ)ダイ1635ゴウ、ニシン・トウキョウ-コウサイ ショウワ63ネン(ネ)ダイ4174ゴウ)
ハンケツ
シュブン
ホンケン ジョウコク を キキャクする。
ジョウコク-ヒヨウ は ジョウコク-ニン らの フタン とする。
ハンケツ
ジョウコク-ニン Y2
ジョウコク-ニン カブシキ-カイシャ リュウセイカク
ミキ-ダイヒョウシャ-トリシマリヤク Y2
ミギ-リョウメイ-ソショウ-ダイリニン-ベンゴシ ワタナベ-タクロウ
ドウ フジワラ-カンジ
ドウ バンドウ-シロウ
ヒ-ジョウコクニン X
ミギ トウジシャ-カン の トウキョウ-コウトウ-サイバンショ ショウワ63ネン(ネ)ダイ4174ゴウ チョサクケン-トウロク-マッショウ-トウ-セイキュウ-ホンソ、ドウ ハンソ-ジケン について、ドウ-サイバンショ が ヘイセイ4ネン1ガツ21ニチ いいわたした ハンケツ に タイし、ジョウコク-ニン らから ゼンブ ハキ を もとめる むね の ジョウコク の もうしたて が あった。よって、トウ-サイバンショ は つぎ のとおり ハンケツする。
リユウ
ジョウコク-ダイリ-ニン ワタナベ-タクロウ、ドウ フジワラ-カンジ、ドウ バンドウ-シロウ の ジョウコク-リユウ に ついて
ホンケン-ヘンシュウ-チョサクブツ である「チエコ-ショウ」は、シジン である タムラ-コウタロウ が すでに コウヒョウした みずから の チョサク に かかわる シ を はじめ として、ドウニン-チョサク の シ、タンカ および サンブン を シュウロクした もの であって、その セイゾン-チュウ、その ショウダク の モト に シュッパンされた もの である こと は、ゲンシン の テキホウ に カクテイした ジジツ である 。そうすると、かり に コウタロウ イガイ の もの が「チエコ-ショウ」 の ヘンシュウ に カンヨした ジジツ がある と しても、カクベツ の ジジョウ の ソンしない かぎり、コウタロウ-ら も その ヘンシュウ に たずさわった ジジツ が スイニンされる もの であり、したがって、その ヘンシュウ-チョサクケン が、コウタロウ イガイ の ヘンシュウ に カンヨした もの に キゾクする のは、きわめて かぎられた バアイ に しか ソウテイ されない と いう べき である。
(「理由」の以下は省略)
サイコウ-サイバンショ-ダイ3-ショウ-ホウテイ
サイバンチョウ-サイバンカン サカガミ-トシオ
サイバンカン サダイエ-カツミ
サイバンカン ソノベ-イツオ
サイバンカン サトウ-ショウイチロウ
サイバンカン カベ-ツネオ
ここで問題になりそうなのは、「格別の事情の存しない限り」の「存しない」くらいでしょうか。
かな書きでは「ソンしない」となり、「ソン」に対しては、サ変動詞ということを考慮すると「損」、「存」の二つの可能性があります。
通常、このように取り違える可能性があるときには、「損をしない」、「存在しない」と書き分けることで区別できます。このような注意を払うことは難しいことではないでしょう。
一般的には、地名、人名などの固有名詞は問題です。ただし、上記の判決文を作成するケースでは、地名、人名の読みは明らかにされるでしょうから、問題ではないと思われます。
上記で取り上げた部分の文章の文字種をカウントしてみました。
「判決」の行から最後の裁判官名を列挙したところまでを、空白行は除き、本文の部分を対象にしました。段落の始めの字下げは1文字の全角空白としてカウントしました。
文字の種類は、漢字、ひらがな("かな"と略記)、カタカナ("カナ"と略記)、数字、英字、記号("「」()"の4種類)、句読点("、。"の2種類)、空白の8種類に分類しました。
全文字数は575文字でした。
表1 文字種のカウント 判決文の例
| 文字種 | 漢字 | かな | カナ | 数字 | 英字 | 記号 | 句読点 | 空白 |
| 文字数 | 323 | 182 | 1 | 13 | 3 | 6 | 25 | 22 |
| 割合 | 56.2% | 31.7% | 0.2% | 2.3% | 0.5% | 1.0% | 4.3% | 3.8% |
漢字が半分以上を占め、これはかな表記すると、カタカナに置き換えられます。しかし、かな表記された文章がそれほど分かりにくいものではない、という印象を受けます。その理由は、判決文とは基本的に原告側、被告側、その他傍聴人まで含めた法廷にいる人々に対して語りかけるという面があるためと思われます。
この判決文が読み上げられたときにそれを聞く人々は、原告側の検事、被告側の弁護士と、法廷に業務として関わる人を除くと、法律の専門家ではありません。
判決文は何よりも正確さが必要であるため、表現は硬くなりますが、一方、聞いて分かるように言葉遣いは丁寧で優しいものになります。
以下は、一般論です。
人名・地名のような固有名詞では、漢字表記で区別する場合が多々あります。
私が知っている例としては、姓については佐藤、左藤というケースがあります。斉藤という一番画数の少ない字体に対して、斎藤、齋藤、齊藤というように、"斉"のところの字体が4通りあります。
名は、こちらはものすごいです。
"あきら"に対して、漢字1文字では「136個登録されている」と書かれた記事があります。2文字以上も含めると合計407件あると書かれた記事があります。(追記)
現実にはかなり絞れるのでしょうが、一方で、当用漢字、常用漢字の制定に合わせて、人名で使える漢字は、拡張されてきた歴史があります。
わが子に対して名前をつける親の気持ちは、押さえることが難しいようです。
漢字を廃止するとき、一番抵抗が出そうなのは名前かもしれません。
地名では、茨城県鹿嶋市の例が思い出されます。茨城県鹿島町が市政を敷くに当たって、当然ながら「鹿島市」が考えられたのですが、すでに「佐賀県鹿島市」があり、鹿島町に対して、佐賀県および鹿島市から、「茨城県鹿島市」という名称に対して反対意見が出されました。自治省(当時)からも茨城県鹿島市」は避けるように通達があり、鹿島町は「鹿嶋市」という名称を採用することになりました。
「茨城県の鹿島」という地域は、昔は「鹿嶋」と書かれた文献があり、さらには「香島」と書かれた例もあったとされています。
このことは、「本来は"かしま"である」ということを強く示していると私には思えます。日本人の祖先は、文字を持たない時代が長かったのですから、基本的に"音(おん)"なのですね。
医学博士の学位論文ですが、こちらはまるで知らない世界です。それで、ネットで見ることができるものを探してみました。
ネット上で直接参照できるものとして、次の1件を取り上げようと思います。
高齢女性における聴覚的時間分解能と雑音下の単語了解度というタイトルですが、私にはまるで見当がつきません。高齢女性における聴覚の特性について調査・分析したもののようです。国立国会図書館デジタルコレクションで参照することができます。
医学の知識がない私が、医学とは関係のないことで論文を使わせていただくのは、その執筆者の方には申し訳ないとも思いますが、公開していただいているので、ありがたく参照させていただきます。
論文全体のほんの一部、「総括」というところです。なお、この「総括」に比べて、この論文のほかのところ、またこれとは別の"要旨"というタイトルのファイルは、おしなべて、中身がさらに難しくて分かりません。少しでもわかりやすいところを取り上げたものです。
5. 総括
難聴の自覚のない60歳代前半の高齢女性の聴覚的ギャップ検出能力と雑音下の単語了解度が若年者と比較して衰えているかを検討すると同時に、時間分解能の指標であるギャップ検出閾値と雑音下単語了解度に関連があるかを分析した。
ギャップ検出閾値と低いSN比条件での雑音下単語了解度はそれぞれ両年齢群間に有意な差が認められた。平均聴力レベルを一定にしても、ギャップ検出閾値と年齢の間に有意な偏相関が認められた。低いSN比(-10dB と-15dB)での単語了解度はギャップ検出閾値と有意な単純相関が認められたが、聴力レベルおよび年齢を独立変数に加えて重回帰分析を行ったところ、ギャップ検出閾値との有意な偏相関は認められなかった。また、平均聴力レベルを一定にしたとき、雑音下単語了解度と年齢との間に有意な偏相関は認められなかった。
雑音下の語音了解度の低下と、中枢処理が関係していると思われる聴覚的時間分解能の衰えが60歳前半の女性に認められた。この聴覚的時間分解能の衰えと雑音下の語音了解度に相関は見出せなかった。
上の判決文と同じように、かな書きしてみます。
5. ソウカツ
ナンチョウ の ジカク の ない 60サイ-ダイ ゼンハン の コウレイ ジョセイ の チョウカク-テキ ギャップ-ケンシュツ-ノウリョク と ザツオン-カ の タンゴ-リョウカイ-ド が ジャクネン-シャ と ヒカク して おとろえている か を ケントウする と ドウジ に、ジカン-ブンカイ-ノウ の シヒョウ で ある ギャップ-ケンシュツ しきい-チ と ザツオン-カ タンゴ リョウカイ-ド に カンレン が あるか を ブンセキ した。
ギャップ-ケンシュツ しきい-チ と ひくい SN-ヒ-ジョウケン での ザツオン-カ タンゴ リョウカイ-ド は それぞれ リョウ-ネンレイ-グン-カン に ユウイ な サ が みとめられた。ヘイキン-チョウリョク-レベル を イッテイ に しても、ギャップ-ケンシュツ-しきい-チ と ネンレイ の あいだ に ユウイ な ヘンソウカン が みとめられた。ひくい SNヒ(-10dB と-15dB)での タンゴ-リョウカイ-ド は ギャップ-ケンシュツ-しきい-チ と ユウイ な タンジュン-ソウカン が みとめられた が、ちょうりょく-レベル および ネンレイ を ドクリツ-ヘンスウ に くわえて ジュウ-カイキ-ブンセキ を おこなった ところ、ギャップ-ケンシュツ-しきい-チ との ユウイ な ヘン-ソウカン は みとめられなかった。また、ヘイキン-チョウリョク-レベル を イッテイ に したとき、ザツオン-カ-タンゴ-リョウカイ-ド と ネンレイ との あいだ に ユウイ な ヘンソウカン は みとめられなかった。
ザツオン-カ の ゴオン-リョウカイ-ド の テイカ と、チュウスウ-ショリ が カンケイ している と おもわれる チョウカク-テキ-ジカン-ブンカイノウ の オトロエ が 60サイ-ダイ ゼンハン の ジョセイ に みとめられた。この チョウカク-テキ-ジカン-ブンカイ-ノウ の おとろえ と ザツオン-カ の ゴオン-リョウカイ-ド に ソウカン は みいだせなかった。
こちらの例では、始めに示した判決文と比べて、さらにかな書きのわかりにくさが増していると感じます。
"ナンチョウ"は、この論文が"難聴"の問題を扱っていると知っていればすぐに分かるのですが、そうでなければ、"音が聞きにくい"などのような言葉を補う必要があるでしょう。そうでないと、"南朝"、"軟調"などを思い浮かべることになります。
医学論文という前提がないとき、"南朝"のイメージは結構長く保持されます。「ナンチョウ の ジカク の ない 60サイ-ダイ ゼンハン の コウレイ ジョセイ の」は「南朝の自覚のない60歳台前半の高齢女性の」という解釈が可能で、「(自分は北朝方ではなく南朝方である)という自覚のない60歳台前半の高齢女性の」という文脈でも成り立ち、日本史の南北朝時代に言及している、と理解することも可能です。
名詞をカタカナで表記した場合、元々外来語ゆえにカタカナで表記されている言葉、ここでは"ギャップ"、"レベル"が、数多くのカタカナ書きの名詞の中に埋もれて目立たないことが特徴的でした。
また、数個の単語が連結した長い単語は分かりにくさを増す要因になっています。
"聴覚的ギャップ検出能力"、"ギャップ検出閾値"、"雑音下単語了解度"、"聴覚的時間分解能"などです。"聴覚的-ギャップ-検出-能力"などと、ハイフンでつないで表記しても、大した改善にはなっていないようです。
"雑音下単語了解度"にたいして、"ザツオン-カ タンゴ リョウカイ-ド"というようにしたのは、"雑音下 単語 了解度"という三つの構成要素に分け、この構成要素間はハイフンではなく空白を入れることで、三つの構成要素から構成される、ということを示そうとしています。言葉の連続の関係性を二段階で表すために、ハイフンとは別の記号、ここでは空白でしたが、"="とか別の記号を導入した方がいいのかもしれません。
たとえば、"総務部庶務課文書係"に対して、"ソウム-ブ=ショム-カ=ブンショ-がかり"などとするのです。"ソウム-ブ-ショム-カ-ブンショ-がかり"と書くよりはわかりやすいと思われます。
"雑音下"というのもわかりにくいです。"ザツオン-カ"ではなく、"ザツオン-カンキョウ での"のような表現上の工夫が必要でしょう。
"閾値"は、"しきい"が和語なので、"しきい-チ"になりますが、違和感があります。"シキイ-チ"のほうがわかりやすいでしょう。一続きの言葉は、"ひらがな"か"カタカナ"のどちらかに統一するのがいいのかもしれません。上の"雑音下"においても、1音の漢字"下"はわかりにくいです。上で、"ザツオン-カンキョウ-での"というような書き換えが有効と書きましたが、"閾値"の場合は書き換えも難しいです。"測定値"、"観測値"などは"ソクテイ-チ"、"カンソク-チ"などは比較的わかりやすいと思います。ただし、"カンソク-チとすると、"観測値"、"観測地"の両方があり、これはこれで問題です。"観測地"を"観測地点"あるいは"観測位置"と書き換えることは有効ですが、"観測値"をどのように書き換えるのか、これはまだ分かりません。
"有意"の"ユウイ"は、"優位"との区別が付きません。"語音"もわかりにくいと言えるでしょう。"ゴオン"は、語音、ご恩、呉音が思い浮かびますが。それぞれ、異なる分野の言葉で、取り違え可能性は低いかもしれませんが、私の場合、"ゴオン"に対して思い浮かぶのは、呉音>ご恩>語音の順番です。文脈からして"ご恩"はあり得ませんが、"呉音"は、可能性があります。「実験の結果、"呉音"と"漢音"を比較すると、認識率に違いがみられた」というストーリーも可能なのです。
"雑音下"を例に取ります。ネットで利用できる翻訳サイトなどで試してみると、英語では"in noise"が出てきます。言葉を補って"雑音環境下"とすると、"in noisy environments"が出てきます。
漢字表記がいかに圧縮された表現である、ということに驚きます。逆に、英語表記はずいぶん長ったらしいというイメージを受けます。
一方、理解のしやすさはどうでしょうか。"noisy"でガーガーとかゴトゴトとかうるさい、という印象を受け、"environments"でわれわれの周囲の様子をイメージできます。"in"という前置詞でそのようなところにいる、というイメージが浮かびます。
"in noisy environments"に対しては、「雑音でうるさい環境では」という感じでしょうか。英語ではこんなに多くの文字を使って、しかも、理解するときには、"n-o-i-s-y"と理解するのではなく、"noisy"とひとかたまりとして"ガーガー"とか"ゴトゴト"とかを認識します。"environments"は"e-n-v-i-r-o-n-m-e-n-t-s"と理解するのではなく、"environments"とひとかたまりとして認識するのです。
英語表現を元に考えると、"雑音下"は"雑音が多い環境では"とか"雑音が多い時には"という感じです。
日本語の漢字かな交じり文の方が文字数は少ないのですが、理解する時間は英文と同等だと思われます。どちらが理解が早いか、という点で大きな差があるのであれば、今まで議論になっていたはずだからです。
上記で取り上げた部分の文章の文字種をカウントしてみました。
章題の行を除き、本文の部分を対象にしました。段落の始めの字下げは2文字の全角空白としてカウントしました。
文字の種類は、漢字、ひらがな("かな"と略記)、カタカナ("カナ"と略記)、数字、英字、英記号("-()"の3種類)、句読点("、。"の2種類)、空白の8種類に分類しました。
全文字数は453文字でした。
表2 文字種のカウント 医学学位論文の例
| 文字種 | 漢字 | かな | カナ | 数字 | 英字 | 英記号 | 句読点 | 空白 |
| 文字数 | 223 | 157 | 33 | 8 | 8 | 4 | 14 | 6 |
| 割合 | 49.2% | 34.7% | 7.3% | 1.8% | 1.8% | 0.9% | 3.1% | 1.3% |
最初にとり上げた判決文と比較して、学位論文のかな表記文がわかりにくいのは、こちらの漢字かな交じり文そのものがわかりにくい、ということに最大の原因があると思われます。
判決文は、上に書いたように、法廷にいる全員に語りかける、という性格があります。その人々の多くは法律の分野になじみのない人でしょう。それに対し、学位論文の相手は専門家だけです。口頭発表があるにしても、その相手は専門家だけです。
全文字に占める漢字とひらがな・カタカナの割合が大まかに見ると、両者は同じような値であるにもかかわらず、わかりやすさに大きな違いがあります。私の印象では、判決文はかな表記でも大丈夫と思いましたが、学位論文はかな表記(漢字を使わない)では無理と思われます。
学位論文のほかに、各分野での学術的な文章は同じような傾向があるのでしょう。
天文学で、星団として球状星団、散開星団、星雲として惑星状星雲、散光星雲、暗黒星雲などをかな書きすると、キュウジョウ-セイダン、サンカイ-セイダン、ワクセイ-ジョウ-セイウン、サンコウ-セイウン、アンコク-セイウンなどとなります。これらを解説しようとすると、球状、散開、惑星状、暗黒などと書けばある程度意味が想像できるのに、キュウジョウ、サンカイ、ワクセイ-ジョウ、アンコクなどとかな書きすると、長ったらしい説明が必要になります。
次の記事で、今までかな書きの例を出したもののまとめをしたいと思います。
追記 [2024/10/14]
角川大字源に、人名としての読みに関する一覧表がのていることを発見しました。
角川大字源 尾崎雄二・都留春雄・西岡弘・山田勝美・山田俊雄編 角川書店 1992年3月 再版
それによると(私の数え違えがなければ)以下です。
"あきら"という読みについては、129の漢字が対応しています。常用漢字が100字、人名漢字が29字です。 これに次ぐのが"たか"で、127字、このうち常用漢字が115字、人名用漢字が12です。 実はこれらより多いのが、"のり"の189字、このうち常用漢字が181字、人名用漢字が8字です。 そして最も多いのが、"よし"で231字です。このうち常用漢字が196字、人名用漢字が35字です。
これを見て気が付くことは、常用漢字が大多数をしめていることで、これほど多いなら、人名用漢字はなくても困らないのではないか、とも思いますが、それでも「どうしてもこの漢字を使いたい」と考える人が一定数いるのでしょうね。先祖が使っていた文字を使いたい、とか、"この漢字"という思い入れがあるとか。