日本語のあれこれ日記【56】
[2024/8/11]
漢字廃止論は、日本語の改革運動(読み書きについてですが)において何度も議論されています。
主として、漢字を廃止し、文字は、仮名文字のみにする、ローマ字書きにする、という二つの方法が提案されてきています。
しかし、幾度か提議されてもすぐに下火になってきました。
このほかに、日本語をやめてフランス語にするとか英語にするなどの案も出ましたが、極論過ぎて賛成する人がほとんどないので省略します。
漢字を廃止できるなら、漢字の習得に必要な労力を省くことができ、その労力を他の分野の習得に振り分けることができます。
でも、漢字をなくすなんて、どうやって実現するのでしょうか。
私が今まで目にし、耳にした問題の第一は、同音異義語が多いので、仮名書き、ローマ字書きでは無理だ、というものです。
有名な言葉に、「貴社の記者が汽車で帰社した」があります。
仮名書きでは、「きしゃの きしゃが きしゃで きしゃ した」となります。仮名書きでは単語の区切りがわかりにくいので、単語間をブランク(他の記号でも可)で明示する分かち書きをするのが普通です。
なお、以下の例文での分かち書きは、何かの原則に従ったものではなく、私流のやりかたで行っています。
名刺+助詞という場合、その間にブランクを入れるかどうかはどちらもあり得ると思います。ここではブランクを入れないやり方にしています。
ローマ字では、"Kisha no kisha ga kisha de kisha sita." となります。(*1)
一見しただけでは、意味が通らないのは明白です。
意味をすぐに理解できるとするなら、「『貴社の記者が記者で帰社した』という文句がわかりにくい」と言われていることを知っている人でしょう。
ですが、このようなわかりにくい文章は書いてはいけない悪文です。読む立場で言えば、悪文は理解出来なくて当然です。
私が、漢字なしでいけるのではないか、と言う立場に"少しすり寄ってみたい"気がする(随分回りくどい言い方ですが)のは、今回、いくつかの実例を考えてみたからです。
【童話の場合】
その一つは童話です。字が読めない小児のための絵本はひらがなで書かれています。親はそれを読んで聞かせます。
桃太郎という話の冒頭は次のようなものだったと思います。
「むかしむかし、あるところに おじいさんと おばあさんが すんでいました。おじいさんは やまに しばかりに、おばあさんは かわに せんたくに いきました。」
聞いている子どもにとって、"しばかり"というのは何のことだが想像がつかないでしょうが、おそらくは気にはとめないでしょう。子どもが耳にする大人の会話は、聞いても分からない言葉に満ちています。いちいち、それは何、などと聞いていると、きりがありません。
漢字かな交じりの文章にすると、次のようになります。
「昔々、あるところに お爺さんとお婆さんが住んでいました。お爺さんは山に芝刈りに、お婆さんは川に洗濯に行きました。」
わかりやすさという点では、大きな違いはなさそうです。ただし、理解に要する時間はだいぶ違います。漢字かな交じりの文章なら、さっと読んでその内容を把握できます。
一方、ローマ字ではこうなります。
Mukashi mukashi, aru tokoro ni ojiisan to obaasan ga sunde imashita. Ojiisan wa yama ni shibakari ni, obaasan wa kawa ni sentaku ni ikimashita.
このような文章は、漢字交じりでも、仮名文字だけでも、ローマ字表記でも、違いは少ないと思われます。
仮名文字表記の方がローマ字表記よりわかりやすいと私は感じますが、これも慣れの問題のような気がします。
このような極端に単純な文章では評価のしようがないので、もっと難しい文章を取り上げます。
【日本国憲法の文章】
日本国憲法から前文を抜き出します。最初の文章を見てみます。
衆議院のサイトから、「衆議院トップページ >国会関係資料 >国会関係法規-日本国憲法」と進むと見ることができます。
日本国憲法なら、文章を参照しても、加工しても、著作権の問題は発生しないだろう、との読みです。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
「わが国全土にわたつて」、「政府の行為によつて」という所の促音の「つ」は原文では普通の「つ」ですが、現代仮名遣いに従って小文字の「っ」に変え、原文で「ないやうにする」を、ここでも現代仮名遣いに従って「ないようにする」に変えています。それ以外は原文通りです。
仮名文字表記ではこうなります。
「にほん こくみん は、せいとう に せんきょ された こっかい に おける だいひょうしゃ を つうじて こうどう し、われら と われら の しそん の ために、しょこくみん との きょうわ による せいか と、わがくに ぜんど に わたって じゆう の もたらす けいたく を かくほし、せいふ の こうい に よって ふたたび せんそう の さんか が おこる ことの ないよう に すること を けつい し、ここに しゅけん が こくみん に そんする こと を せんげん し、この けんぽう を かくてい する。」
ここでは、助詞の前にブランクを入れています。
意外にわかりやすいです。ただしこれは、すでに漢字かな交じり文で読んでいることが影響している可能性があります。
解釈を迷うとすると、次のようなところでしょうか。
「せいとう に」・・・・正当に、正答に、青鞜に、政党に、正統に・・・・ "青鞜"は、青鞜社との関係は考えられないので問題なし。"正答"も該当しそうもありません。次に続く"せんきょ された"から"選挙された"が導かれ、それにより"正当に"と決まります。
「こうどう し」・・・・"こうどう"には「行動、講堂、公道、坑道、坑道、・・・・」などがありますが、サ変動詞という点で"行動し"と理解できます。
「きょうわ による」・・・・共和、協和あたりですが、「しょこくみん との きょうわ による」と考えると、"協和"が出てくるでしょう。ただし、この場合、少し微妙な所はあります。
「せいか と」・・・・成果と、製菓と、青果と、正価と、聖火と、盛夏と、生家と、正課と、生花と、などがありますが、「諸国民との協和による」ですから、成果が出てきそうです。
「じゆう の もたらす けいたく を」・・・・"けいたく"は難しい。漢字でも"恵沢"はあまり目にしません。漢字表記であれば、"恵"という文字から、「自由がもたらす"恵み"」という意味合いを想像することができます。
「せんそう の さんか が」・・・・"せんそうは"は"戦争は"ですから、"戦争の賛歌"ではなく"戦争の惨禍"と理解することに無理はないでしょう。"参加"なら"戦争への"でしょうからこれも当てはまりません。
「けんぽう を かくてい する」・・・・ここでは、"けんぽう"に対して"拳法"、"剣法"、"県報"をイメージすることはないでしょう。
こう見てみると、意外に理解しやすいと感じます。
ただし、上に書いたものは、意味をいったん漢字で表して理解する、という方法を採っています。私が漢字を知っているからです。
漢字は学習しなくていい、という事態になったら、漢字を全く知らない人が出てきます。その場合、意味をどのようにイメージするのでしょうか。
上に書いたのは、たとえば、最初に上げた「せいとう に」では、「せいとう に せんきょ された」から、「せいとうに選挙された」と理解し、続いて「正当に選挙された」と言うように理解するものとしています。
漢字をなくした場合には、「せんきょ された」から、「選挙された」の意味するところをイメージする必要があります。
ここで漢字の"選挙"という言葉を使うと混乱することを考慮し、代わりに英語で表現することにしましょう。
イメージは表現することが難しいので、英語表記を利用する訳です。
「せんきょ された」から「elected」をイメージする、という事になります。
私の事を考えると、「せんきょ された」から「選挙された」をイメージするときに、「選挙」という漢字表記は大前提です。現在では、と限定する必要がありますが。
漢字を知っている立場では、「選挙された」を見て「elected」に相当するイメージを膨らませることが可能ですが、「せんきょ された」について、「選挙」という漢字表記を経由しないで、「elected」をイメージすることはできるでしようか。
「せんきょ された」を見て、「elected」に相当するイメージが湧くか、という問題です。
また、"選挙"よりも"正当"のほうが問題が大きいと思います。"正当"の方が言葉の意味がより抽象的だからです。
この問題は、英文の速読法が参考になりそうです。
英文の速読法について詳しく知っているわけではないですが、認識の対象は文字ではなく単語である、という事を何かで読んだことがあります。
たとえば、"The president was elected last year."という文章を考えると、"president"とか"elected"は視覚的にひとかたまりのものとして扱うというものです。
これは英文を持ち出したものなので、ローマ字表記を考えます。
"Nihon kokumin wa seitou ni senkyo sareta kokkai ni okeru daihyousha wo tsuuji te"において、Nihon, kokumin, senkyoなどをそれぞれひとかたまりに認識するのでしょうね。
漢字が廃止されたとき、国語辞典はどのように表記するのでしょうか。それを考えてみます。
"正当"に対する"せいとう"を例にとってみます。
私なりに考えてみると、次のようなところでしょうか。
せいとう [めいし] [けいようどうし ナリ] もくてき、こうどう などが ただしい こと。
まず見出しの"せいとう"が現われ、次に品詞として名詞と形容動詞の二つが現われます。形容動詞にはナリ型の活用とタリ型の活用がありますから、そのどちらかが示されます。最後にことばの意味が説明されます。
何も問題はなさそうです。ただし、同音意義語が多い場合、せいとう1、せいとう2、せいとう3 などと、別項目として表記するのでしょうね。漢字で区別できないのは弱点です。
ここまで仮名文字表記を見ていくと、ある一つのことがとても気になります。「ぱっと理解出来ない」ということです。
上に出てきた「選挙された」と「せんきょされた」では、理解の早さがまるで違います。
正しい意味を採用するためには、その前後の文章をトータルに考える必要があります。
「せんきょされた」だけでは、「選挙された」、「占拠された」を判別できません。
「正当に選挙された」、「正当に占拠された」はどちらもあり得ます。「正当に選挙された国会における」までいっても、「正当に占拠された国会における」の可能性は残ります。クーデターがおこり、国会がクーデターを起こした反乱軍によって占拠された状態を報道する場面であれば可能です。
いや、この文章の全てが「選挙」ではなく「占拠」でも意味が通じそうです。
自由を制限し、戦争に邁進する独裁政権に対し、反乱軍がクーデターを起こし、国会を占拠して新政府の拠点にし、従来の独裁政治を否定する新しい憲法の草案を作成し、国民に対してメッセージを発行するという状況では、次のようになる可能性があります。
「日本国民は、正当に占拠された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
説明を加えるとこうなります。
「日本国民は、正当に占拠された(クーデター側は国会占拠を正当な行為と主張するでしょう)国会における代表者(クーデターの指導者)を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために(クーデターはこのために起こすものです)、諸国民(自由が保障され、クーデターを支持するであろう他の国民)との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為(今までの独裁政権が進めてきた)によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し(独裁政治を否定し国民主権を確認する)、この憲法を確定する。」
これは意外なことになりました。"選挙"を"占拠"に置き換えても意味が通ってしまいます。こういうことがあるのですね。
おかしなことが出てきましたが、このようなことは、ほとんどの場合、すでに誰かが見つけて書いているものです。そう思って、ネット上で検索してみると、"選挙"を"占拠"に置き換えても意味が通じる」ということを指摘した記事は見つかりませんでした。
ただし、憲法の前文であることを理解するなら、「国会を占拠している状態」を盛り込むことは考えられないでしょう。致命的な問題ではないと思われます。
漢字をなくすことを考えるなら、漢字を知らない人が仮名文字だけの文を読んで入力をくみ取ることができるのか、困難なことはないのか、という点にあります。
漢字が介在しない文章の例として、上記で童話を取り上げましたが、そのほかにもいろいろあります。
ラジオ放送の全般、テレビ放送のニュース原稿の読み、演劇のなかの台詞回し、いろいろな場面での演説や口演など。最近は書籍の内容を音声で読むというサービスが出てきました。
これらは漢字の効果を"直接的には"利用しません。音声だけですから、仮名文字表記、またはローマ字表記の文章を音声として読み上げているようなものです、それでも意味は通じるのです。
衆議院のサイトに、音声読み上げサービスが用意されています。
試しに、「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」というページを、文章は見ずに、音声読み上げサービスで聞いてみました。
このページには、ここから参照できるいろいろな情報のタイトルが並んでいて、そういうものも機械的に読んでしまうのですが、それらを読んでいるときは聞き流して、本来の記事の読み上げ部分を注意して聞くと、内容がよく分かるのでした。
文章は次のような内容です。
広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式
額賀衆議院議長は、令和6年8月6日に広島市平和記念公園(広島県広島市中区中島町)で行われた広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参列しました。
式典には、遺族・被爆者代表、広島市及び市議会関係者のほか、岸田内閣総理大臣、長浜参議院副議長らが参列し、額賀議長は参列者とともに献花・黙とうを行いました。
ここでサービスされている読み上げ機能は合成音声です。しかし、最近の技術の進歩により、音声の柔軟な切れ目の挿入や抑揚を駆使してわかりやすくなっています。
このような事は仮名文字表記やローマ字表記ではできません。区切りは機械的に一定の長さのブランクを入れるだけ、また抑揚に相当するものはありません。
つまり、音声の場合、その特性を極力利用しているのです。アナウンサーがニュース原稿を読む場合とか、演劇で俳優が台詞を語る場合とか、それぞれ適用できるテクニックを駆使しているのですね。
それなら、仮名文字表記、ローマ字表記においても、新たなテクニックを取り込むことを考えてもいいのかもしれません。
たとえば、"広島市"は仮名文字表記では"ひろしま-し"とします。サ変動詞の動詞部分の連用形"し"はブランクで切り、"ひろしま-し"であれば、"ひろしま"と"し"がつながった形の言葉と認識できます。
"-"の利用法としては、単語をつないで長い単語にするときの区切りに使えます。たとえば"原爆死没者慰霊式"の場合、"げんばくしぼつしゃいれいしき"ではわかりにくいですが、"げんばく-しぼつしゃ-いれい-しき"とすれば少しわかりやすくなるでしょう。
では仮名文字表記で書いてみます。
ひろしま-し げんばく-しぼつ-しゃ いれい-しき ならびに へいわ-きねん-しき
ぬかが しゅうぎいん-ぎちょう は、れいわ6ねん8がつ6にち に ひろしま-し へいわ-きねん-こうえん(ひろしま-けん ひろしま-し なか-く なかじま-ちょう)で おこなわれた ひろしま-し げんばく-しぼつ-しゃ いれい-しき ならび に へいわ-きねん-しき に さんれつ しました。
しきてん には、いぞく・ひばくしゃ だいひょう、ひろしま-し および しぎかい かんけい-しゃ のほか、きしだ ないかく-そうりだいじん、ながはま さんぎいん ふくぎちょう らが さんれつ し、ぬかが ぎちょう は さんれつ-しゃ と ともに けんか・もくとう を おこないました。
いろいろと問題が出てきます。
8月6日の"6日"は、"ムイカ"と発音しますが、"むいか"とすると"6"がなくなってしまうし、"6いか"、"6か"はわかりにくいですね。1日("ついたち")から10日("とうか")と20日("はつか")は同じ問題があります。
地名も問題ですね。"中島町"と書けば問題無いのですが、"なかじま"なのか、"なかしま"なのか、また"まち"なのか"ちょう"なのか、ということをいちいちはっきりさせなければいけなくなります。
今でも、アナウンサーなどは問題にしているのでしょうね。
上記の"6日"とか地名の問題は仮名文字表記とローマ字表記とで共通です。両者はおそらくほとんど共通の問題を持っているでしょう。
仮名文字表記とローマ字表記の最大の違いは、キーボード入力でしょう。
ローマ字表記の場合、現在の入力方法とほとんど変わりなく、キー入力操作に関しては抵抗がないでしょう。
わたしのような仮名入力派にとっては、カナ入力モードと英数字入力モードの切り替えが、相変わらず必要になります。仮名漢字変換が不要になり、これは大きなメリットですが、煩わしい入力モード切替は必要なのですね。
私の場合、キー入力操作でカナ入力より簡単なローマ字入力をなぜ利用しないのかというと、カタカナで書く英語由来の外国語とローマ字との違いが許せないからです。
キーボード入力を始めたのは、仕事で使うからで、入社して配属された部署がコンピュータ・ソフトの開発を業務とする所でした。
今から50年前では、参考にする図書は日本語よりも英語のものが多かったので、いまでは、ファイル、ディスク、メモリーなどの表記に抵抗はありませんが、当時は、ファイル、ディスク、メモリーなどと書くと強い違和感がありました。file、disk、memoryの方が自然なのです。
現在、"ふぁいる"、"でぃすく"、"めもりー"と書いてあったときに感じる違和感に近いでしょう。
ですから、ローマ字で、"fairu"、"dhisuku"、"memori-"などとキーボード入力するのは、違和感以上に反感を感じました。"r"と"l"の区別がなかったり、ほとんどの言葉の最後に母音がある、というのは、英語の発音で、日本語訛りと指摘されるものです。
ではどうしているのかといえば、現在は"ファイル"は"はにりい"、ディスクは"しにとの"と入力して漢字に変換しています。"はにりい"はキーボード上では"file"、"しにとの"は"disk"とタイプしているのと同じです。
たとえば、「ここで作成したファイルをディィスクに書き込む」という場合、「ここでさくせいしたfileをdiskにかきこむ」というようにキーボードをたたくのです。
昔のことを思い出すと、入社して数年間は、いろいろな書類を作成するとき、たとえば「ここで作成したfileをdiskに書き込む」というような表現をしていましたね。"file"は"file"であり、"ファイル"ではない、という感覚でした。いまなら、"file"は"ファイル"であり、"ふぁいる"ではない、というような感覚でしょうか。
このような大きな問題について、結論めいたことはなかなか言えません。
しかし、漢字をやめて、仮名文字表記、ローマ字表記にするという方法が、これまで考えていたよりは、現実味を帯びてきた、と感じるのは、我ながら驚きです。
ただし、漢字を廃止することを考えると、漢字を学ばなくなった世代は、5年前、10年前の文献が読めなくなるのですね。これは大問題です。
古典文学を志す人は、漢字(の読み)を学習することから始まることになります。
ロシア文学を専攻するために、ロシア語を習得する、というのに似ています。
でもこれは大きな問題ではないでしょう。古典文学は、現代語訳、注釈などの助けを借りて読み進めるので、原文を直接読んでいくことだけではありません。
一般読者の場合はどうでしょうか。古典文学を読んでいこうとする人はとても少ないです。図書館の古典文学書のコーナーはいつも人影がまばらです。
そうそう、図書館は大問題ですね。現在の蔵書の大部分は、漢字を廃止して50年もすると、ほとんどが使いみちがなくなってしまうのです。
漢字廃止後の2世代、50~60年が過ぎると、漢字を知らない人が大部分になります。現役世代は誰も漢字を知らない、という状態になります。
この切り替え時期の世代間の断絶は、どうやって埋めることができるのでしょうか。
このように考えていくと、漢字廃止はまるで実現性がないことのように思えてきます。
その一方で、かの厄介な仮名漢字変換という文字入力方法をいつまでもやっていていいのでしょうか。もしかして、AI技術が発展して、漢字変換が99%くらいの高い精度で実現するようになって、人々の負担を減らしてくれるのでしょうか。
仮名漢字変換の煩わしいことを考えると、それがなくなるのなら、どんないやなことも受け入れよう、という気持ちもあります。
仮名漢字変換のことを考えると、正直に言って、欧米人が羨ましいのです。
日本人の祖先が独自の文字を発明しなかったために、今となっては厄介な表意文字であり、外国が起源の漢字に、日本人の言語生活が頼らざるを得ない、ということになってしまっていることに、漢字に感謝する気持ちがある一方で、恨めしい、という気持ちが混在しています。
今から1,500年程前に、隣の文字先進国である中国から日本に漢字がもたらされました。
ここで、もし、という事に想像をたくましくして、隣の文字先進国が表音文字を採用していたらどうなっただろうと考えてみます。
表音文字を知った日本人は、表音文字で万葉集を記述したに違いありません。それはローマ字表記に似たものになっていた可能性があります。万葉集の中に、漢字を単に音として使用しているところがあるからです。
古事記や日本書紀は難しいですね。どちらも漢文として書かれていますから、まったく違った形になっていたでしょう。
古事記は変体漢文、日本書紀は漢文と言われますが、古事記も漢文の一部をくずしたもので、本質は漢文でしょう。
ただし、漢字の造語力はどうやってカバーするのでしょうか。
原日本語の造語力はあるのですが、やたらと長くなる傾向があります。
でも、長い歴史の中で、いろいろな工夫をして、使い物になる文字体系をつくりあげたに違いないと・・・・私は信じます。漢字に対しても、ひらがな、カタカナなどの発明をして漢字かな交じり文を作り上げてきたのですから。
韓国とベトナムは漢字を使っていた長い歴史があるにもかかわらず、意図的に漢字を廃止しました。どのように推進したのか、その結果どうなったのか(どのような問題が起こったのか)について、いつか調べてみたいと思います。
漢字の書きとりをして、良くできなかったことから、自分の問題であることを棚に上げて、「そもそも漢字に問題があるのだ」と言わんばかりに漢字廃止についての考えを書いてきました。
結果的には、なかなかおもしろいテーマであることが分かりました。「そんなことはできるわけがないだろう」と簡単に切り捨ててはいけないと感じています。
(*1) ローマ字表記 [2024/8/24追記]
ローマ字表記には大別して、訓令式とヘボン式の二つがあります。そのほか、長音の表記方法も問題です。このシリーズの記事では、私にとってわかりやすい書き方を採用します。おおむねヘボン式で、長音は、オ列は"u"を添え、それ以外は母音を二つ繰り返します。あくまでも仮の処置です。