日本語のあれこれ日記【55】

日本語と漢字―その1

[2024/8/11]


次のページ  前のページ  「日本語のあれこれ」のトップページ

漢字が書けない

漢字を書くのに苦労しています。手書きの話です。

昔よりも書けなくなっています。

漢字が思い出せないのと、書いた字が汚いのです。

年齢が70を超えて、記憶力が減退し、またペンを持つ指が震えるなどの問題は自覚しています。

最近、新しく憶えた漢字はとても少ないです。たとえば、牽引の、贅沢の、晩餐の

このままで良いのか、と考えました。そして、すこし練習した方が良い、という結論に達しました。

常用漢字を練習しようとして、常用漢字が載っている本をオークションサイトで見つけ、落札し入手しました。

ぶよう堂編集部 編  早わかり 常用漢字字典  2012年1月 初版 武楊堂

入手したのはいつ頃のことだったか、忘れていましたが、今回、オークションの履歴を確認すると、落札日が誕生日の8日後でした、

思い起こしてみると、誕生日を迎えてこのような思いがかき立てられたのかもしれません。といっても、74歳の誕生日というのは、特別なんということもないのです。

入手した本について

「前書き」のような説明文の中に、常用漢字と本書での扱い方について概略が説明されています。

・改定常用漢字に含まれる漢字は2,136字。

・改定により196字が追加され、5字が削除された。

・音訓が見直された。

本書では、漢字の見出しが4080字となっています。漢字の字数の2倍弱まで増えているのは、漢字の音訓に従って50音順に並べたために、一つの漢字が複数の位置に現われるからです。

たとえば、"秋"は音が"シュウ"、訓が"あき"ですから、揚(あがる)と商(あきなう)の間に"秋(あき)として、また宗(シュウ)と祝(シュウ)に挟まれた位置に秋(シュウ)として現われます。

ですから、音訓がたくさん認められた漢字は大変なことになります。

たとえば、"上"は、音が"ショウ、ジョウ"の二つ、訓は"あがる、あげる、うえ、うわ、かみ、のぼす、のぼせる、のぼる"と八つあります。

実際に調べてみると、音について2か所、訓について6か所現われます。"のぼす、のぼせる、のぼる"は、同じ位置に続いてしまうので一つにまとまっているようです。

練習開始

小学生が使うような10mmのマス目のノートを入手し、万年筆で書いていきました。

約17ページ書いたところで、全文字を終了しました。ノートの1ページあたり330文字ですから、5600文字くらいです。

本に印刷された漢字をちらと見て、その漢字を書いていくのですが、書けない漢字、書き間違えた漢字は繰り返して書き、覚えようと努めた結果、5600文字となったものです。

ちなみに、万年筆のインク・カートリッジを2回交換しています。意外に持ちが悪いなあ、と感じました。

本題―漢字が抱える問題

実はここからが本題です。

漢字を書いていく途中で、いろいろな問題に遭遇しました。そしていろいろなことを考えさせられました。

もちろん、漢字の専門家でない私のようなものが口出しできるような問題ではないと重々わかりつつ、私が感じたこと、考えたことをまとめようとしています。

そもそも、漢字とは数万字あります。JIS漢字でも10,000字強の漢字があります。

そのような漢字の中から2,000字ほどの漢字を選び出し、その音訓を選定して「常用漢字表」というものを作った、ということが、漢字が抱える問題の深さを物語っていることは明らかです。

表意文字である漢字は、世の中の事物、想像上の事物、さらには抽象的な概念などに対して、一つ一つ漢字を割り当てるのですから、数が増えるのは仕方がありません。

一方、それを覚えるという負担は大きな問題です。特に、近年、様々な分野で新しい事柄が現われ、社会生活上、覚えて使いこなす必要がある言葉がどんどん増えています。

そのような中で、漢字を覚えるという負担は大きな問題となって、日本人に降りかかってきています。

その解決策、あるいは対処の方法として、常用漢字というものが提案された訳です。

他の言語の場合

言語というものは何であっても、さまざまな問題をはらんでいることは容易に想像がつきます。表音文字である欧米諸国の場合、どのような問題が議論されているのでしょうか。

調べてもなかなか分かりません。

何十年も昔のことですが、フランス語の問題として、「いわゆるディスクというものについて、本来disqueと書くべき所を、英語の影響でdisk, disc(どちらか一方か、両方かについては記憶がありません)と書かれる例が目につくが、これは許容すべきか、誤用として排除すべきか、ということがフランスのアカデミーというようなところで議論された」、という記事を目にしたことがあります。

記憶が曖昧であり、細部について異なっているかもしれませんが、要点はこういうことに間違いないと思います。

フランス語というものについて、定常的に議論する場がある、ということに少し驚きましたが、しかし、この程度では、日本語における漢字の問題の大きさとは比べものになりません。

問題を考え出したきっかけ

「賭博」の"賭"ですが、旁(つくり)の部分の"者"の"日の上に点がつくのです。

たとえば"都"ですが、戦前までは点がつく字体で、これが終戦直後から始まる当用漢字表などの一連の漢字に関する政府の指令により、簡略化して点がない字体に変更されたのに対し、当用漢字表などに含まれない漢字は特に変える必要はない(変える根拠がない)ので、旧字体のまま残った、ということらしいです。これは現在の私が理解した範囲で言っています。

これに対し、改定常用漢字で追加された漢字に"賭"がありますが、改定常用漢字での追加の時には、字体の簡略化はされませんでした。このため、"賭"には点がつく字体になっています。

同じような例では、"餌"があります。食偏は旧字体です。"飲"では食偏が新字体に変ったのに、"餌"の食偏は旧字体です。

同様に、"謎"のしんにょうは二点しんにょうです。

どうしてこのような混乱する方法を採ったのか、私には理解出来ません。

当用漢字を制定するとき、一部の漢字は簡単な字体にするという事が行われました。

二点しんにょうを一点しんにょうにするとか、右肩の点を省く(*1)とかです。

当用漢字に採用されなかった文字はそのままですから、旧字体のままです。

ここで新しく常用漢字を選定するとき、従来の当用漢字でない漢字の字体を調査したら、旧字体が出てくるのが当たり前です。

改定常用漢字表の説明文では、「追加字種における字体の考え方」について、以下のように表現されています(前掲書による)。

当該の字種における「最も頻度が高く使用されている字体」を採用しています。社会における字体の安定性を重視し、一般の文字生活の現実を混乱させないという考え方が国語政策の基本となっています。

なぜ旧字体のまま改定常用漢字に取り込んだのでしょうか。

社会における字体の安定性を重視した、とされています。

今まで使われてきた字体を変えない、ということのようです。ですがそうすると、当用漢字で"変えた"漢字とズレが生じます。

改定常用漢字を検討した担当委員は、当用漢字で採用した新字体に対して反対の意見を持っていたのかもしれません。そう考えると合点がいきます。

「新字体反対派の巻き返し」という訳です。あくまでも私の想像です。

実は、これまでの話は、印刷文字における明朝体に関するものです。

手書きの場合

今回、私がやってきたのは手書きです。

この記事を書くに当たって、常用漢字の説明文を読むと、手書き文字の字体に関して注意書きが書かれていました。

しんにょうについては、印刷文字で一点しんにょう、二点しんにょうのいずれも、手書きでは一点しんにょうでよい、とされています。

同様に食偏("飠"、"𩙿")についても、手書きの場合はどちらも新字体のように書いて良いとされています。

いままで、この本をちらと見て、食偏は旧字体か、と確認し、"餌"のように手書きをしてきました。

この勘違いの原因は、この本の書体にもあります。見出しの漢字は、書体が何かと言うことは書かれてなかったのですが、一見して楷書体です。楷書体は明朝体よりも手書きに近いので、このように書けばよいのだ、と思ったのです。

ここでの問題は、食偏とかしんにょうとかで旧字体、新字体の両方が使われているのですが、その使い分けの決まりが分かりません。

追加された漢字で旧字体が採用されたのですが、使用頻度が一段と低いので旧字体にする、というのは意味が分かりません。

このようなことから、上記の「新字体反対派の巻き返し」という見方に到達したのです。

興味がわく一つの情報

このような中で、漢字の問題について主にネット上の記事で調べだしたのですが、とても興味がわくことがありました。

漢字制限に関する議論は今まで何度もおきましたが、そのうち、第二次世界大戦中に軍部の中で漢字制限について議論され、具体的に、軍部内で使用すべき漢字をxxx文字に制限する、という決定がなされ、実行に移されたというのです。

漢字制限などという国語改革については、軍部は断固反対する、というイメージを持っていたので、議論にとどまらず、実施されるところまで進んだ、ということは驚きでした。

ですが、考えてみると、軍部という所は、戦争の遂行の為には、必要なら、あらゆることを行う、ということもあり、この点で、はっきりした事情があったに違いない、とも思いました。

容易に想像できることは、兵の数が増えれば、漢字をあまり知らない兵も増えるだろうし、また武器あるいは軍用の装備はますます進歩・高度化し、そこに使われる用語も複雑化する傾向があるでしょう。

難しい言葉、難しい漢字を多用することは、兵士の教育に困難が生じます。


私はいままで、国語改革、漢字制限などというと、明治維新直後に一時盛んになった後に下火になり、第二次世界大戦の終戦直後にGHQから強制され実施された、という印象を持っていたのですが、もともと日本人自身が漢字制限は避けられない問題だと、一部の人に限ってかもしれませんが、ずっと考えられてきたのです。

そしてそれを、第二次世界大戦中に実行に移したことがあったのです。

なお、第二次世界大戦中に実施された軍部による漢字制限に関する記述は、私はネットで最初に見たのですが、それがどこなのか分からなくなってしまいました。

おそらくは、「人名用漢字の新字旧字 第82回 「鉄」と「鐵」」三省堂 WORD-WISE WEBではないかと思います。

書籍では、以下に説明があります。

丸谷才一編 日本語の世界 16 国語改革を批判する 昭和58年5月 中央公論社

国語改革の歴史(戦前) 大野晋 pp. 61-62

考えてみると、軍部は戦時下においては特に、理想主義は後回しにして、現実路線を進むものと思われます。

過去の歴史を重く見るのではなく、目の前の現実を重く見るのでしょう。

理想主義ではなく、現実主義、あるいは実用性優先主義なのでしょう。そうでないと、戦争遂行なんてできない。

これに関連して、一つ思い出したことがあります。。

日本の歴史における、源平の戦いです。

平氏方が戦いに負けると、日を選んで懇ろに葬儀を執り行い、その後軍勢を整えて、吉日を選んで出兵する。一方、源氏方は、戦いに負けると、急ぎ軍勢を整え、直ちに出陣する。源氏方にとっては、平家方を打ち破ることが何よりの弔い、死者の供養であるという考えだったのです。

両者のこのような違いは、平家物語を読むと強く印象づけられます。

この源氏方のやり方が現実主義でしょう。

備考

(*1) 右肩の点  [2024/8/18追記]

"専"には右肩に点はありませんが、"簿"はタケカンムリの下にサンズイと"専"の右肩に点がある構成になっています。以前にテレビのクイズ番組で予備校教師と言われている林修氏が、「右肩に点があるかどうかについては、漢字の成り立ちの違いによるのですが、簡単に判別するには、単なる"専"という漢字には点がなく、"専"が漢字の一部になっている"簿"のような場合は点が付くと覚えればいいです」というようなことを言っていたのを聞いたことがあります。今回、常用漢字を書いていたときに気になったので、右肩に点がある漢字をメモしておきました。漏れがあるかもしれませんが以下になりました。「威域犬浦越戒代戯求球蹴献栽裁残試織識縛就拭職成状盛銭浅戦践繊賊袋戴捕弐然燃載述博伐伏哺補舗武黙獄」

このほか、「敷茂簿」のように厳密な意味では右肩ではないものの、点が残っている紛らわしい漢字もあります。

"臭"の"犬"の部分からは点を省き、犬献伏獄の場合の"犬"の点は残す、というのは、右肩(およびそれに似た位置)の点は目立つから残し、"臭"では点が目立たないので簡単化のために除く、ということなのでしょうか。

この件に関するネット上の記事はたくさん見つかります。

これと似た例で、仮名遣いの問題があります。現代仮名遣いでは、オ列の長音は"う"を添える、といいながらも、「多い、大きい、遠い」などの場合は"お"を添える、ということがやり玉に挙がったことがあります。「多い、大きい、遠い」は旧仮名遣いの「おほい、おほきい、とほい」に由来しているので、「現代仮名遣いで文章を書くためには旧仮名遣いを知っていなければならないのではないか」、と攻撃されたのです。

たとえば、規則を簡単化する方向で変更すると、そこまで変更するのは受け入れられない、と反対する人が出てきます。どこまで簡単化するのが妥当なのか、という判断は、言語というものが、長い歴史の上に成立したものであり、難しいものがあります。


[ページの先頭に戻る]参考文献・辞書等の共通引用元情報について