日本語のあれこれ日記【48】
[2019/3/6]
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「ひとつ、ふたつ…とお」についての規則らしいこと
いままで、「ひとつ、ふたつ、…とお」がどのような音(おん)の構造か、そしてどのようにしてできてきたか、を、想像をたくましくして(妄想もおそれず)考えてきました。
前々回の記事ですこし考えを書きましたが、もうすこし考えが進んだので、あらためてまとめてみます。
以下にまとめてみます。
(1) ひとつ、ふたつ、が数の1,2を表し、"みっつ"は"たくさん"のことだったのかもしれない。
(2) もともとは、"ひと、ふた、みつ"が"1, 2, たくさん"のことで、それぞれの最後の音(おん)の "と、た、つ" は数える時の助数詞が変化したものだったのかもしれない。
(3) 1,2の"fito,futa"は子音のfとtが共通で、母音"io"、"ua"は、古代日本語の4母音"ioua"をちょうど1回ずつ使っている。
(4) 「ひとつ、ふたつ、…とお」で使われる母音は"ioua"の4種類で、現代の日本語における母音のeの音(おん)がなく、これは古代日本語の4母音説と合致する。
(5) 1/2、3/6、4/8という倍数関係にある数は子音が共通で母音が異なっている。
(6) 5/6、7/8、9/10という隣り合う数のペアは母音がおおむね共通である。(これを以下では隣組関係と呼ぶことにします。)
5を"tu"、10を"to"と考えます。また7(nana)、9(koko[no])は同音を繰り返しますが、そのことは後で触れます。
「ひとつ、ふたつ…とお」の成り立ちを想像してみる
上記の(1)~(6)を総合的に判断して、「ひとつ、ふたつ…とお」という数の音(おん)について、成り立ちを想像してみます。
表1 「ひとつ、ふたつ、みっつ」の段階
1 | fito |
2 | futa |
3 | mi |
3以上にまで数を拡張するにあたり、それまでの"たくさん"としての"mitu"から助数詞"tu"を除いた"mi"を3に割り当てることにしたものとします。
ここで、1,2についてはすでに数の表現としてなじんでいるので、"fito, futa"はそのままであるとします。
次のような想像をします。
4は新しく定義する必要がある。子音はそれまで使われていないものから選び、たまたま"y"とされた。母音は"ioua"の原則に基づき、「1,2でiouaを使い果たし、3でiを使った」のだから次はoであり、"yo"が生まれた。
表2 4までの段階
1 | fito |
2 | futa |
3 | mi |
4 | yo |
3,4が決まったので、その倍数の6,8を作ります。倍数は子音が共通ですから、6はm?、8はy?です。母音は、3,4がi,oだから、それに続くu,aを選んで、6はmu、8はyaとなります。
5については5/6の隣組関係により、6:muから母音uを得て、子音はそれまで使われていないものから選び、たまたま"t"とされ、5:tuができた。
5の倍数の10は5から子音tをもらいます。10は今までの数から離れているので母音はまだ決まらりません。
表3 倍数関係の考慮
1 | fito |
2 | futa |
3 | mi |
4 | yo |
5 | tu |
6 | mu |
7 | |
8 | ya |
9 | |
10 | t? |
7は7/8という隣組関係から母音aを得ます。子音はそれまで使われていないものから選び、たまたま"n"とされ、7:naができました。
表4 ひとつ、ふたつの段階
1 | fito |
2 | futa |
3 | mi |
4 | yo |
5 | tu |
6 | mu |
7 | na |
8 | ya |
9 | |
10 | t? |
9/10は隣組関係ですから母音は共通です。10は5の倍数だから、5の母音u以外になります。また、7/8で母音aを使っており、9/10が母音aとすると、7/8/9/10の母音が同じ、ということになり、識別性が劣ります。そこで残ったi/oのどちらか、ということになり、たまたまoが採用され、10はtoになった、と考えることが可能です。
9は9/10の隣組関係から母音は10のtoからoをもらう。子音はそれまで使われていないものから選び、たまたま"k"とされ、9:koができます。
表5 10まで
1 | fito |
2 | futa |
3 | mi |
4 | yo |
5 | tu |
6 | mu |
7 | na |
8 | ya |
9 | ko |
10 | to |
ここで、あらためて振り返ってみると、倍数関係に関わらない数は7と9だけです。このことから、7と9の特殊性を強調するために、音(おん)をダブらせて、7:nana、9:kokoになったものと推測します。
表6 7と9の音(おん)のだぶり
1 | fito |
2 | futa |
3 | mi |
4 | yo |
5 | tu |
6 | mu |
7 | nana |
8 | ya |
9 | koko |
10 | to |
数を数える時には助数詞"つ"をつけます。1、2についてはヒトの"ト"、フタの"タ"が本来は助数詞だったという説をとりますが、ヒト、フタが固有の音(おん)と認識されていたので、ヒト、フタも含めて、助数詞"ツ"をつけることになりました。
10には助数詞"ツ"が付かないことについては想像が及びません。
また、最初は単に"と"だったものが、どのような理由で"とお"に変わったのか、についても同様です。もっとも「ひい、ふう、みい」などと音を延ばすことがあって、それに倣って"とお"が生まれ、10という区切り(手指の数が10本に対応)ということから定着した、とする考えはできます。歴史的仮名遣いでは"とを"で、単に音を延ばす時に"とを"になるのか、という点では、かつてア行とワ行の混用が見られた、という事例を持ち出すことができます。
表7 助数詞"つ"
1 | fito-tu |
2 | futa-tu |
3 | mi-tu |
4 | yo-tu |
5 | tu-tu |
6 | mu-tu |
7 | nana-tu |
8 | ya-tu |
9 | koko-tu |
10 | to |
以下の二つはとても苦しい解釈です。
(a) 5の"tutu"は同音の繰り返しでわかりにくい。そこで先頭に"i"をつけてitu-tu、従って、5はituになったと想像します。
(b) 9は、10という区切りの数の一つ手前で、"とうとう9にたどり着いた"というイメージがあるため、所有の格助詞"の"が加えられた、と想像します。
正直な所、7はナナツ、9はココツ、で良いのではないか、と思います。備考1参照のこと
表8 助数詞"つ"が付く最終的な形
1 | fito-tu |
2 | futa-tu |
3 | mi-tu |
4 | yo-tu |
5 | itu-tu |
6 | mu-tu |
7 | nana-tu |
8 | ya-tu |
9 | koko-no-tu |
10 | to |
備考1
一重(ヒトエ)、二重(フタエ)、三重(ミエ)、九重(ココノエ)ですから、9がココノになったのはかなり古いことだと思われます。
古事記の景行天皇の章の「倭建命(ヤノトタケルノミコト)の東征」の所に、「新治つくばを過ぎて」で始まる歌があり、これに続けて歌われた歌の中に
かがなべて、夜には九夜(ココノヨ) 日には十日(トヲカ)を
という一節があります。
中村敬信訳注 新版古事記 現代語訳付き 角川ソフィア文庫 角川書店 平成22年五月再版
原文ではこの部分は、九夜(ココノヨ)は「許々能用」、十日(トヲカ)は「登袁加」となっています。
"袁"の文字は上記の角川ソフィア文庫の本では少し違った書体ですが手元の漢和辞典では探せませんでした。精選版国語大辞典の"ここの"、"とおか"の項の例文にこの歌があり、"袁"の文字が使用されていたので、それに倣いました。
ここでも9は"ココノ"、10は"トヲ"です。
また、万葉集3794番歌に"九児等哉"という句があり、読みとしては"ココノコラヤ"で、やはり9は"ココノ"です。
ですから、日本語が文字で書かれ始めた時には9は"ココノ"だったのでしょう。それ以上は何も記録がなさそうです。
参考
fito、futaという表記ですが、ハ行の音(おん)はかつてf音(おん)で、それ以前はp音(おん)だつた、という説が有力ですが、このシリーズではf音(おん)の表記をとっています。
ちなみに、すでに紹介したzompist.comというサイトでは"pito、puta"という表記です。
f音(おん)で表記しているのは、p音(おん)が現代日本語とあまりに違いすぎる、と感じていたからです。
「雲の切れ間からお日さまがピカッと光った」というとき、現代日本語では「おひさまがピカッとひかった」で、これに対してf音(おん)を使うと「おfiさまがピカッとfiかった」、p音(おん)では「おぴさまがピカッとぴかった」になります。このp音(おん)はなじめない、と感じていたのです。
ですが、最近では少しずつ馴れてきて、「おぴさまがピカッとぴかった」でいいんじゃないか、と感じるようになってきています。ですから、今後はp音(おん)で表記することがありそうです。
"ピカッと"という擬態語の発音は昔からp音だったのかは分かりません。濁音、半濁音は長い間区別して書く習慣がなかったのですから。ただし、現代語ではp音(おん)なので、むかしからそうだったのではないかと私は考えます。もっとも、"ピカッと"ではなく"ピカリと"だろうとは思います。
それにしても、日本語はp音(おん)からf音(おん)、そしてh音(おん)と変化し、とうとうhという子音がなくなって、"ha hi hu he ho" は "a i u e o" になってしまいます。たとえば、顔(かほ)はまず口語において"カオ"になり、現代仮名遣いでは表記も"カオ"になりました。
「p→f→h→なし」という変化は、一貫して緊張感の薄れです。言い換えれば"発音の省エネ化"です。
もっとも、p音(おん)だった、といっても、それも何かが変化した結果なのかもしれません。分からないことばかりです。