日本語のあれこれ日記【45】
[2018/11/28]
次のページ 前のページ 「日本語のあれこれ」のトップページ
このテーマの次のページ このテーマの前のページ
神楽歌(かぐらうた)
前回の記事で、神楽歌に出てくる数について書きました。参照したのは次の資料です。
土橋寛・小西甚一校注 日本古典文學大系 3 古代歌謡集 岩波書店 昭和44年9月 第13刷
第1刷が昭和32年(1957年)ですから、ずいぶん古いものです。「神楽歌のテキスト、注釈書には新しいものが見つかりませんでした」と書いています。
新日本古典文学大系(以下、新大系と略し、同様に"新"がつかないものは大系と略します)には無く、日本古典文学全集(以下、全集と略称します)、新編 日本古典文学全集(以下、新編全集と略称します)のシリーズには見つからなかったのでそのように思ったのです。
しかし、後になって、全集、新編全集にあることに気づきました。大系とはずいぶん違った所にありました。
・全集では第25巻…今昔物語(4巻)の次で、新古今和歌集の前
・新編全集では第42巻…今昔物語(4巻)の次に新しく3巻が加わり、その次に出てきて、その後は新古今和歌集
・大系では第3巻…万葉集の前
全集、新編全集では平安末期から鎌倉初期に入れていることになります。
神楽歌や催馬楽は平安初期、梁塵秘抄は平安後期、閑吟集は室町後期と見られますから、
・神楽歌や催馬楽を考えれば万葉集と同時期、
・梁塵秘抄や閑吟集まで入れた平均的なところは平安から鎌倉時代にかけて、
というようなところでしょうか。何を中心に考えるかの違いのように思われます。
いずれにしても、早とちりはいけない、という教訓ですね。
枕草子には、下記資料での第280段「歌は」という所に次のように神楽歌が出てきます。
歌は、風俗。中にも、杉立てる門。神樂歌もをかし。今様歌は長うてくせづいたり。
(池田亀鑑校訂 枕草子 2010年4月 第65刷発行 岩波書店 (ただし第1刷は1962年)
今様歌について脚注では、「神樂歌や催馬樂など古風な歌謡に對して平安中期から流行した新歌謡」とあります。神樂歌の出現の時期はこのことからも想像がつきます。
なお、新大系になぜ含まれないのかは分かりません。大系と同じ内容になるだけなので収めなかったのでしょうか。ちなみに、和泉式部日記も新大系にはなぜか含まれません。
いずれにしても、新しい資料を元に、もう一度考えてみました。ここでは新しい方の資料を参照します。
臼田甚五郎・新間進一・外村南都子 校注・訳 新編 日本古典文学全集 42 神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 2006年8月 第2刷
我妹子
前回の記事で引用した"我妹子"という題名の歌は次のようなもので、後に書くようにほんの一部の違いはあるものの、同一内容と言って良いでしょう。
本
我妹子に や 一夜肌触れ あいそ 誤りにしより 鳥も獲られず 鳥も獲られず や
末
然りとも や 我が夫の君は あいそ 五つ鳥 六つ鳥獲り 七鳥 八つ鳥獲り 九(ここの)よ 十は獲り 十は獲りけむや
前回の記事(大系)と今回(新編全集)の違いは、次の2点です。
(1) "五つトリ"、"七トリ"に付いて、大系では"五つ獲り"、"七獲り"、新編全集では"五つ鳥"、"七鳥"としている
(2) 「五つ、六つ、八つ」の"つ"は原文(漢字表記)で、大系は"津"、新編全集では"川"としている
(1)については、前回の記事を書いている時から"五つ鳥、七鳥"の方がしっくりくるなあ、と感じていたので、新編全集の方で全く問題ありません。
新編全集の頭注では、「『五つ獲り』および『七獲り』とする説もある」としてあります。
(2)については、"つ"の元になった漢字は何か、ということが手がかりです。
調べてみると、多くの辞書で「"州"とする説が有力で、そのほか"川"、"津"、などの説がある」とされています。
それであれば、"つ"という音(おん)を漢字表記する時、"川"を使ったり"津"を使ったりして表記がぶれることはおかしなことではありません。
五つ鳥など
改めて「五つ鳥 六つ鳥獲り 七鳥 八つ鳥獲り」を眺めてみると、"鳥"は前回の記事で書いたように五羽などの序数詞"羽"のように使われているように考えられます。
精選では、接尾語(詳しくは序数詞)の"は(羽)"、について、文例を「運歩色葉(1548)」からの1例を挙げています。通例では文例は最古のものをまず載せる、と考えられますから、序数詞"は(羽)"の出現は戦国時代と言うことになります。
ですから、神楽歌が形を整えられた平安時代、あるいはその前身のものがあった時代(良く分かっていないが)では、"五つ鳥、六つ鳥、七つ鳥"などと言っていた可能性があると考えて良いでしょう。
これについてこの記事の末尾に備考として日本書紀の例を書きました。
そうすると、「五つ鳥 六つ鳥獲り 七鳥 八つ鳥獲り」というところでの「七は例外的に"つ"をつけない」ということがますます目立ってきます。
ただし、これは"歌"ですから、「六つ鳥 七鳥 八つ鳥」、つまり「ムツ、ナナ、ヤツ」と音(おん)の長さを調整した、という見方もできることは気をつける必要があります。
それでは"五つ鳥"は音(おん)の数が外れる、ということにつながります。ここに関しては、前々回の記事で書いたように、"5"は"いつ(itu)"ではなく"つ(tu)"だった、という説("珍説"ですが)と整合性がとれます。
もとより、「あまりに根拠が薄い」話ですが、日本語は文字が使われるようになる前にさまざまな進化・変遷が起こっていたために、記録が無いことを、薄弱な根拠を"数で補っていく"以外に方法はないのです。
備考
「五つ鳥 六つ鳥」のような表現が他にないか、日本書紀を調べてみました。
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 日本文學大系 67 日本書紀 上 昭和49年12月 第9刷
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 日本文學大系 68 日本書紀 下 昭和50年5月 第11刷
2個所見つかりました。以下、読み下し文(漢字かな交じり)と原文(漢字表記)を並べて書き出しています。
(1)巻第八 仲哀天皇 元年閏十一月
越國、白鳥四隻(ヨツ)を貢(タテマツ)る。
越國貢二白鳥四隻一。
(「隻」は鳥獣や船などを数える言葉。)
(2)巻第十四 雄略天皇 十一年十月
今天皇、一(ひとつ)の鳥の故に由(よ)りて、人の面(オモテ)を黥(キザ)む。
今天皇由二一鳥之故一、而黥二人面一。
(「黥(キザ)む」は入れ墨を入れるの意。)
"白鳥よつ(四隻)"とか、"一つの鳥(一鳥)"という表現をしていた例です。