本を捨てる
[2021/4/8]
【2】中西輝政 本質を見抜く「考え方」
中西輝政 本質を見抜く「考え方」 サンマーク出版 2011年7月 初版
第4章 世の中を考える技術
考え方33 評価でなく、「事実」だけを見る
考えるポイント イギリスの庶民は、上の人間をけっして羨(うらや)まず、強靱な「自己本位」の視点から健全な猜疑心をいつも持っている。事象や歴史の確かな事実だけを見て、人の評価にとらわれずに自分の頭で考えることが大切。
(中略) (大衆は)歴史書を読んでも、歴史家の評価には目を留めず、客観的な事実だけを見ます。たとえば為政者による大変な弾圧があった事件だと人が評しても、そんな評価にはとらわれずに、事実だけを冷静にとらえます。
「他人の評価をあてにしない、他人の評価にとらわれない」ということが語られます。
こうでないことが周囲に数多く見られ、私はたいへん心配しています。
このサイトのシリーズ記事で、「世界での日本のランキング」を書き始めたことがありましたが、第3回でやめたことがありました。
その理由の第一は、原本のランキングの記事を作成するきわめて大きな労苦に対して、その最終結果だけをちゃっかり、いわば盗み取りするかのような感覚が次第に強くなったことです。
もちろん、元記事を引用したり、一部を抜き出して発表することは認められています。結果をできるだけ広めるべき、ということは、ランキング制作者の思いでしょう。それでも気持ちが引っかかるのです。
このことは、「世界ランキング記事中断の記」としてすでに書きましたが、もう一つのショッキングな理由がありました。
あるとき、ネット上で私のそのランキングの記事の一つがとりあげられていたのでしたが、「これって本当?」、「数字が違うような気がする」、「別のところに違う内容が書いてある。正しいのはどっち?」などという書き込みがあったのです。
私の記事には、元データの文書名やキーワードがいくつかありますから、それを使って検索すれば、元データがすぐに分かります。
なにより、元記事への直接のリンクが張ってあるので、ワンクリックするだけで元データを見ることができるのです。
にもかかわらず、「誰かがまとめた情報」を探しているのです。「どこかの他人が下した評価結果」だけしか眼中にないのです。
「他人のこの評価は正しいのか」と疑問を持つことは重要なことです。
ですが、その判断を、別の評価結果と比べて行うのでは意味がないのです。元データに当たらなければならないのです。
妥当かどうかを考える対象は、だれかの評価結果ではなく、元データであるべきです。
私が「要点を抜き出して記事を書く」ということは、原本のデータへの入り口になることを期待していたのですが、そのようにはなりませんでした。
ここに書かれた「事実だけをとらえる」という精神の重要性は、とてもよく分かります。
今回取り上げた本は、だいぶ前に買ってはいても、それほどよく読んだというものではありません。内容について記憶がありませんから。
昔は結構本を買っていたのですが、どういうわけか、最近は本を買うことがすっかりなくなりました。時々ハウツーものを買うくらいでした。
きわめて最近、書店に行き、発行されたばかりの本を買って読んだところ、なかなか面白いものだと感じました。
以前は、1冊の本の中に有益なことがたくさんあるべき(そうでなければ買わないし読まない)という考え方から、何か一つでも有益なことが見つかればそれで良い、と思うように私が変わったのです。
さて、そのようなときに買ったのが次の本です。
新教養2021 ポストコロナの世界の潮流 PRESIDENT MOOK 2021年1月1日 第1刷 プレジデント社
世界のビジネスエリートはなぜ、必死に教養を学ぶのか 出口治明×竹中平蔵×御立尚資
出口 「エピソード」ではなく「エビデンス」で物事を見る (p.26)
僕は「教養」を「知識」×「考える力」と定義しましたが、これから考える力のウエートがますます高まります。比率は3対7が2対8になり、1対9になって、より考える力を鍛えることが求められる。その力を養う一つの方法が「エピソード」ではなく「エビデンス」で物事を判断することです。
出口治明 立命館アジア太平洋大学(APU)学長 日本生命を経て、ネットライフ企画(現・ライフネット生命)を設立。18年より現職。
「『エビデンス』で物事を見る」、とは、まさに一番始めに書いた「『事実』だけを見る」ということです。
この「新教養2021」というムック本は、私が書店で立ち読みをしていて、「『エピソード』ではなく『エビデンス』で物事を見る」という部分に感じ入って購入したのです。そして、買って落ち着いて読み、「『エビデンス』で物事を見る」という部分に改めて共鳴したので、中西輝政著の「本質を見抜く「考え方」」をざっと目を通したときに、「『事実』だけを見る」というところに惹かれたんだと思います。
出口治明氏の記事で、「考える力」が強調されていますが、最近このことがおざなりになっていることを危惧しています。
「考える」ことが後退し、「感じる」ことが大手を振るっています。
感じたままに言葉を発し、感じたままに行動する、という風潮は大変困ったことです。
実は、いま、この記事を書いていて、まさに「感じた」ままだな、と思わされています。
考える、ということはなかなか難しいものです。感じたままに行動するというのが、なによりてっとり速いのです。
心しなければいけませんね。