本を捨てる


[2022/1/7]

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【3】木下是雄 理科系の作文技術


木下是雄 理科系の作文技術 中公新書 中央公論新社 2006年9月 54版


5 文の構造と文章の流れ

5.1 レゲットのいうこと

「明白でない」ことよりも「くどい」ほうをよしとするのが英語国民の感覚である。

欧州の読者は、日本人の書いた英文をしばしば「墨絵のよう」だと評する。自分で想像力をはたらかせて空間を埋めながら読まなければならないからである。


今回の記事は「くどい」に関するものです。

「くどい」ということをこのサイトでは何度も書いています。

本サイトのトップページの先頭からリンクされる「本サイトの前書き」という、そもそも最初の位置に置いた文章で、「このサイトは管理人の性格により、とかく、内容に飛躍が多く、記述がくどい、という傾向がある」と書いています。

私自身の性格が「くどい」ということは、はっきり認めています。

自分が「くどい」ということの認識

自分に「くどい」という傾向があることは以前から分かっていました。他の多くの人より、少々くどいところがある、と認めていたのです・

それが「実にくどい」という認識に変わったのは、まだ会社勤めをしていたときのエピソードです。

私が担当していた仕事の相手は米国の企業でした。業務をスムーズに進めるために現地法人を作り、多くの米国の従業員を雇っていて、また、日本からも数年ごとに交代で現地に赴任するというシステムをとっていました。

ある時、現地法人の人たちに私がメールを出しても、赴任中の日本人から返事がない、ということがしばしば起こるようになった事に気づきました。

どうしてなのか疑問で、その赴任していた人が帰国したときに歓迎会があり、その場で聞いたのです。

最近メールの返事が少ないんだけど、ということについてです。

彼が言うことには、「○○さん(私のこと)のメールは『くどい』ので、ほとんど読みません。だから返事もしないことが多いです」。

「えーっ」と思いました。

彼は付け加えました。「○○さん(私のこと)のメールは米人には受けが良いです」。

おそらく上記の本は、このエピソードの後で読んだのでしょう。ですから、この「くどい」ということについて書かれたところに、「我が意を得たり」という思いで、わざわざ付箋を貼ったのです。

私が書くメールが日本人には敬遠され、米人には受けが良い、ということは、まさしくこういうことなのでしょう。

この本が取り上げているのは高度な論文のことであって、私が気軽に書いたメールの文章とは大違いですが、「くどい」ということの感じ方については、共通であると思います。

政治家の失言の場合

「くどい」ということの例として、ひとつ上げたいと思います。

政治家が失言をした時に、謝罪会見をすることがあります。

典型的なケースでは、「今回の私の発言が一部の方々の気持ちを傷つけたのであれば、お詫び申し上げます」というような表現がよくされます。

私はこのような表現が、どうして謝罪になるのかさっぱり分かりません。しかし、聞いている記者は誰も追求せず、翌日の新聞やテレビのニュースでは、「議員の誰々が記者会見で謝罪した」という報道になるのです

記者会見だけではなく、議論を戦わせるべき議員同士の質疑応答でも、さらなる追求はしません。

わたしなら、「傷つけたのであれば」と条件をつけているから、「傷つけていないならお詫びはしません」ということになる、と理解します。

ですから、「傷つけたとしたら大問題ですよ。傷つけたのか傷つけていないのか、どちらだとお考えですか」と聞くべきです。

「傷つけたのか傷つけていないのか、はっきりはしていない」というなら、「傷つけたとしたら大問題ですよ。傷つけたのか傷つけていないのか、いつまでに調査する予定ですか」と追求すべきです。

こういう場合、多くの人は、「傷つけたのであれば」といっているのだから、「傷つけた」と感じているのだろう、と判断するのでしょうか。

私だったら、さらに、「どのような人々がどのように傷ついた、とお考えですか」と聞きたいところです。

私のこういう「くどさ」が嫌われるのでしょうね。

でも、欧米の人には違和感を持たれないという可能性に期待するので、変えようとは思いませんす。



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