気まぐれ日記 27 百人一首のマックミラン訳


[2015/7/13]

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はじめに

次の本が手元にあります。

英詩訳・百人一首 香り立つやまとごころ マックミラン・ピーター著 佐々田雅子訳 集英社新書 集英社 2009年3月 (*1)

百人一首を英語に翻訳して出版された本を日本語に翻訳した、というちょっと込み入った本です。

帯に「ドナルド・キーン博士絶賛!」ときわめて大きな文字で、さらに、普通に大きな文字で「これはもう『小倉百人一首』の、もっとも卓越した名訳である」とあります。

どのような経緯で入手したのかは覚えていませんが、5年くらい前、和歌の勉強を始めていますので、その頃に興味を覚えて購入したのかもしれません。

読んでみると、「ああ、こういう表現ができるのか」とか、「なるほど、英語ではこう言うと通じるのか」などと参考になることが数多くありました。その一方で、「あれっ、ここはどうしてこうなんだろう」とか、「本当にこれがいいのだろうか」などと、疑問を感じるところもありました。

日本古典文学を勉強しだした私ですから、偉そうなことはとても言えませんが、気になった所を、いわば研究ノートに書いておく、という目的で、ここに記録を残しておいて、後で少しでも解決できることを期待したいという考えです。

「著作者がこう書いた」、ということがすべてである、ということは、文学の世界では確かにその通りでしょうが、「論理的な批判」を免れてはいけない、と思います。特に翻訳では原作に対しての忠実さが求められます。「批判」を受けて、それに対抗して自らがより強くなって生き残る、それがあるべき姿ではないでしょうか。

以下、歌の表記は上記著作に従います。

"山"について

この記事では"山"について取り上げます。

百人一首で"山"を織り込んだ歌は21首ありました。以下、"山"の部分だけを抜き出します。

02 天の香具山
03 山鳥の
04 富士の高嶺に
05 奥山に
07 三笠の山に
08 世をうぢ山と
13 筑波嶺の
16 いなばの山の(峯におふる)
22 むべ山風を
24 手向山
25 逢坂山
26 小倉山
28 山里は
32 山川に
42 末の松山
58 有馬山
60 大江山
66 山桜
69 三室の山の
73 外山の霞
74 山おろしよ
83 山のおくにも
94 山の秋風

このほか、"峰"もかかわりがありますが、3首に出てくるすべてが"山"を含む歌に、"筑波嶺の峰"、"いなばの山の-峰"、"小倉山-峰の紅葉葉"というような形であらわれているので、上記のリストで間に合うことになります。

なお、03の"山鳥の"と66の"山桜"は地形としての"山"ではなくて、動植物の名前に"山"がついているもので、"山"そのものではないのですが、英語に翻訳するときには"山"という言葉があらわれる可能性があるので、リストに入れてあります。

英訳

さて、英訳ですが、次のようになっています。

02 天の香具山 fragrant Mount Kagu―
03 山鳥の copper pheasant trails―
04 富士の高嶺に Fuji
05 奥山に deep into the mountains
07 三笠の山に Mt. Mikasa
08 世をうぢ山と the Hill of Sorrow
13 筑波嶺の Mt. Tsukuba
16 いなばの山の Mt. Inaba
22 むべ山風を the mountain wind
24 手向山 Mt. Tamuke
25 逢坂山 Meeting Hill
26 小倉山 Mt. Ogura
28 山里は mountain village
32 山川に the mountain stream
42 末の松山 the pines of Mount Forever
58 有馬山 Mt. Arima
60 大江山 Ōe Mountain (先頭の文字"Ō"は英字の"オー"の上に横棒がついたもの)
66 山桜 mountain cherry
69 三室の山の Mt. Mimuro
73 外山の霞 the mists in the foothills
74 山おろしよ storm winds raging down the mountain
83 山のおくにも deep in the mountains
94 山の秋風 the autumn wind blowing down the mountain

検討

1の"天の香具山"は、"香"の一文字を取り出して"fragrant"として"Mount Kagu"を修飾しており、ナルホドと思います。"天の"は"天岩戸"伝説を踏まえた型通りの表現ということでしょうか、省略されています。

"山鳥"は鳥の名前でそのまま翻訳されているようです。

このようにひとつひとつ見ていくと、いくつか、疑問がわいてきます。それについて、以下、書いていきます。

"山"とは英語でどういうか

英語でどういうか、というのは、実は、日本語の"山"とはどういうものか、ということを明らかにしなければなりません。

私が実際に体験した話があります。会社に入った年、ですから、いまから40数年前のことですが、英語の社内教育として講師が会社に来て英会話勉強会が、短い期間でしたが、行われました。あるとき、この前の週末にやったことを英語で話す、という課題が出て、私は、この会社の西にある山の向こうにちょっと有名な滝があって、それを見に行った、ということを話したんですが、"the xx fall over the mountain"という様な事を言ったと思います。"どこのmountainか"と聞かれて、ちょうど窓から見えるので、"that mountain"といったところ、"it is a hill, not a mountain"と修正されたのでした。あの程度では"mountain"ではなく、"hill"だ、ということです。その山は500~600メートル級の低山ですが、通常の会話では"山"と呼んでいます。実際に、"○○山"という名前もついています。その時に、"mountain"は高くて険しいものをいい、低くてなだらかな場合は"hill"である、ということを強く印象付けられました。

日本の和英辞典では、このようなことは、昔は説明がなかった様な記憶がありますが、最近の学習用和英辞典は実によくできていて、このことも丁寧に説明されています。手元に"スーパー・アンカー和英辞典(第二版)(*2)がありますが、次の様な説明がありました。

「山」をいつも mountain と訳すと誤解を招く。ふつう mountain はかなり高くて険しい山をいうからである。500メートル程度の山は mountain でなく hill という。(以下略)

それでは、上に挙げた23首のうち、動植物名の二つのケースを除いた21首で"山"はどのように訳されたのでしょうか。

固有名詞の山・・・・Mt. ××、または Mount ××・・・・12首中8首。

例外の4首とは以下
(1)富士・・・・単に Fuji と表現される
(2)うぢ山・・・・the Hill of Sorrow ("うぢ"は"宇治"と"憂し"を掛けているが、そのうちの"憂し"のみを訳したものと思われる)
(3)末の松山・・・・the pine of Mount Forever (これは言葉を個別に訳しているようだが、詳細は不明)
(4)大江山・・・・ Ōe Mountain

"富士"はあまりにも有名なため、"Mt."が省略されたもの、つまり Mt. Fuji ということでしょう。"うぢ山"は"Hill"という言葉を使っているので、後でのべます。

"末の松山"がなぜこうなるのかは想像がつきません。本来、"末の松山"がそれ自体で固有名詞でしょうが、それを訳すとなると、"末の" + "松山" とするなら、"pine mountain"でしょうか。"Mount" と "Forever" が大文字で始まっているので、"Mount Forever"がひとまとまりの様な印象を受けます。

大江山は、ただ一つ "somewhere Mountain" という形です。なぜ "Mt. Ōe"ではないのか、と考えると、独立峰としてのイメージが香具山や三笠山ほどはない、ということでしょうか。地図で見ると、700~800メートル級の山が連なっています。谷の標高は200メートルくらいですから、標高差500~600メートル程度の盛り上がりということになります。香具山や三笠山がそれぞれ、150、300メートル程度ですので、それよりは高いのですが、いくつかの峰の連なりを"大江山"とよぶなら、Ōe Mountains と複数形にした方が感じが出るような気がします。

"Hill"を使う場合

上記の訳では、"Hill"は、"うぢ山"を"the Hill of Sorrow"、"逢坂山"を"Meeting Hill"というのと、"外山"を "the foothills" とする三つの例があります。

まず"外山"ですが、"foothill" とは"前衛の山"(*3)とか"山麓の丘"(*4)などというように、高い山のふもとの低山または丘、ということで、まさに"外山"が意味するところになっていて、これは全く問題がありません。

"うぢ山"を"the Hill of Sorrow"というのは、ここが掛け言葉であり、掛け言葉を訳すには、二つの意味を2回表現するか、一方の意味だけを訳するか、のどちらかでしょう。掛け言葉をそのまま(二つの意味を含むように)訳することは、言語環境が異なっているので不可能です。

ここでは、なぜ"Hill"なのかを考えてみます。まずそこは人が住んでいけるところです。人の生活が成り立つ場所は "mountain" ではない、ということでしょう。人や街のにぎわいを避ける、という理由で人気(ひとけ)のないところに住まいを移す、という場合、私の感覚では、 "woods" の方がよりふさわしいように感じます。それは生活に必要な水の確保、という観点です。Hill というのは盛りあがった高いところでしょうから、おそらく、水は谷に下りて汲んでこなければいけない。これは重労働です。woodsであれば、近くに小川が流れていることが期待できるでしょうし、それがなくても、一番近くの小川まで高低差は少ないでしょう。隠遁生活は、思索にふける時間が確保されるべきであり、生活のために重労働が必要な場所は不向きです。Hillに付随する"高み"の要素は"うぢ山"には少ない、と感じるのです。

ランダムハウス英和大辞典(*4)では、forestの項で、次のように説明しています。

(forestは)未開の要素をもつ広大な森林で,狩猟の場ともなる. 規模が小さく,人里近くにあって未開の趣も少ない森林は wood(s). さらに狭い範囲で,手入れされて下生えのない樹木の一群は grove.

"逢坂山"を"Meeting Hill"というのは、やはり独立峰のイメージがないからでしょうか。地図で見ると、この辺りはゆったりとした高低差(大した高さではない)のあるところで、"hill" のイメージであり、"mountain" らしさは感じられません。

一般的な山

05 の "奥山に deep into the mountains"と、83 の "山のおくにも deep in the mountains" は共通点があります。"鹿が鳴いている"、と歌っているのです。"紅葉踏み分け鳴く鹿"、"山の奥にも鹿ぞ鳴く"とあります。この鹿は"カモシカ"ではないでしょう。

カモシカがこの時代にすでに知られていた可能性はあります。このサイトですでに触れたように、牛車の車内の敷物として"氈"があり、その原料の動物の毛をとることからカモシカという言葉が出てきた、という考え方があるようです。

カモシカなら"mountain"ということになるでしょうが、ここでは奈良公園の鹿、の様な、あるいはせいぜい野生の鹿のイメージでしょうから、"mountain" よりは "woods" のほうが似合っているように思います。mountainでは食べる物に困るのではないかと思うのです。

"22 むべ山風を the mountain wind"、"74 山おろしよ storm winds raging down the mountain"、"94 山の秋風 the autumn wind blowing down the mountain" の3首では、特定の山ではなく、"ある山"であり、"山から吹き下ろす風"が歌われます。ここでは山は"高い山"でしょうから、mountain ということになるでしょう。

いなばの山の Mt. Inaba

さて、残りの1首は不可解です。16の "いなばの山の Mt. Inaba"って、あれっ、と思いました。"いなばの山の"は"因幡(いなば)の国の山"という意味のはずだからです。"the mountain in Inaba Province"ではないのでしょうか。もしかして、"いなば山"という"山"である、という解釈があるのでしょうか。この歌は古今集に取られていて、古今集であれば解説書はたくさんあります。いくつか見てみましたが、どれも"因幡国の山"というものでした。因幡守として因幡国に赴任する際に読まれた歌というものです。この "Mt. Inaba" という訳は不可解です。

【追記】"mountain"か"hill"か、そして"山"か"丘"か [2015.7.13]

"mountain"が"山"に、"hill"が"丘"に対応する、というわけではありませんが、日本語でも険しい"山"となだらかな"丘"を一応は使い分けているようです。手元に三省堂のコンサイス地名辞典(*5)があったので、天の香具山を引いてみると、"小丘"とありました。天の香具山とは、「小さな丘である」、と説明されていることになります。そこで、百人一首に出てくる具体的な"山"がどのように解説されているか、について調べてみました。あくまでも、参考情報です。

以下のようになりました。

02 天の香具山 fragrant Mount Kagu― ⇒小丘
04 富士の高嶺 Fuji ⇒主峰、火山
07 三笠の山 Mt. Mikasa ⇒山
08 うぢ山 the Hill of Sorrow ⇒山
13 筑波嶺 Mt. Tsukuba ⇒主峰
16 いなばの山 Mt. Inaba ⇒(この項は記載なし)
24 手向山 Mt. Tamuke ⇒(この項は記載なし)
25 逢坂山 Meeting Hill ⇒山
26 小倉山 Mt. Ogura ⇒小丘
42 末の松山 the pines of Mount Forever ⇒小丘
58 有馬山 Mt. Arima ⇒街道沿いの山々の総称
60 大江山 Ōe Mountain ⇒山
69 三室の山 Mt. Mimuro ⇒山

山ではなく"丘(小丘)"としているのは、天の香具山、小倉山、末の松山の三つです。ですから、"山"と名が付くところを説明するときに"丘"ということがあるのですね。このことからも、○○山を "Mount Something" という表現に限る必要はないということです。"Something Hill" というのが適切な場合もあるでしょうし、さらには"樹木"が意識されるときには "woods" とするべき、という場合もあると思うのです。

参照した資料

(*1) 英詩訳・百人一首 香り立つやまとごころ マックミラン・ピーター著 佐々田雅子訳 集英社新書 集英社 2009年3月

(*2) スーパーアンカー和英辞典  第二版 山岸勝榮編 学習研究社 2006年4月

(*3) リーダーズ+プラス(→参考文献について)

(*4) ランダムハウス英和大辞典(→参考文献について)

(*5) コンサイス地名辞典 -日本編- 三省堂 1975年1月

その他 新版 百人一首 島津忠夫=訳注 角川ソフィア文庫 角川グループパブリッシング 2008年7月 各歌の解釈について参照



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