気まぐれ日記 16


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[2014/8/5] 満月の夜に枕草子の一節を思い出す その3

枕草子の「月のいと明かきに」の段について、気まぐれ日記 8 と、気まぐれ日記 9 に記事を書きましたが、さらに新しい事に気づきました。

参考にしたのは、「枕草子全注釈」です。以下、「全注釈」と略称します。

枕草子全注釈 田中重太郎著 角川書店 平成7年7月30日 第九版発行

前田本、堺本との比較

この「全注釈」は全5冊で、能因本を底本とし、三巻本、前田本、堺本との校異が記載されています。「全注釈」の208段にその文章があります。

参考までに、底本と他の3種の原文を書き出します。

[底本]  月のいと明かき夜、川を渡れば、牛のあゆむままに、水晶などの割れたるやうに水の散りたるこそをかしけれ。

[三巻本] 月のいとあかきに、川をわたれば、牛のあゆむままに水晶などのわれたるやうに水の散りたるこそをかしけれ。

[前田本] 月のいとあかきに、川をわたれば、牛のあゆむままに水晶をくだきたるやうに水の散りたるこそをかしけれ。下簾を高やかに押し挟みたれば、車の轅(ながえ)は、いとつややかに見えて、月の影の映りたるなど、いとをかし。行き着くまでかくてあれかしとおぼゆ。

[堺本]  月のいとあかきに、川(「小川」ノ本文アリ)をわたれば、牛のあゆむままに水晶ををくだきたるやうに水の散りたるこそをかしけれ。下簾を高やかにおしはさみたれば、車の轅(ながえ)は、いとつややかに見えて、月の影の映りたるなど、いとをかし。行き着く(「ゆきつく」ノ本文アリ)までかくてあれかしとおぼゆ。

私のいままでの記事では、三巻本に従って書いてきましたが、「全注釈」が底本とする能因本の本文とはわずかの違いがあるだけで、ほぼ同じといえるでしょう。

「水が散った」のはどこか

まず、気まぐれ日記 9 で問題にした「水晶などの割れたるやうに水の散りたる」が、牛車の車輪からこぼれる水か、牛の足元で跳ねる水か、という点では、この「全注釈」では特に具体的に言及はしていません。ただし、[評]の項で、萩谷朴氏の「日本古典集成 枕草子」の文章を引用して「適評である」としています。この引用元の文章は、「気まぐれ日記 9 」の【追記】に引用した「枕草子解環」の文章と同じで、「川瀬を渡る牛の足もとに飛び散る水しぶきが、おりからの月光に璀璨(さいさん)と輝く一瞬をとらえた文章・・・・」ということですから、「牛の足もと」という説をとっていることになります。

前田本、堺本で付け加えられている二つの文

次に、前田本、堺本との違いです。明らかに、能因本と三巻本がほぼ同じ、前田本と堺本がほぼ同じで、前二者に対し、後二者は「下簾を高やかに・・・・月の影の映りたるなど、いとをかし」、「行き着くまで・・・・あれかしとおぼゆ」の二つの文が付け加えられています。

以下、この付け加えられている文を見ていきます。

「下簾を高やかに押し挟みたれば、車の轅(ながえ)は、いとつややかに見えて」とあります。その前半は「下簾を巻き上げて(あるいはたぐりあげて)なにかに挟んで落ちないように固定する」、ということでしょうね。通常、下簾は内部を隠すために垂らすもので、これを上げたというのは、外を見たかったのでしょう。見えていたものの一つは「車の轅」ですから、牛車の前後にある下簾の内の前方の方で、清少納言は牛車を引く牛の後ろ姿を見ていたことになります。

枕草子の第8段「大進生昌が家に」では、「(清少納言の様な女房は、)檳榔毛(びらうげ)の車に乗っていたが、門が狭くて乗車したままでは入れなかったので、下りて歩いて門を通ることになり、人に見られて腹立たしかった」とあり、この「月のいと明かきに」の時も檳榔毛(びらうげ)の車だったのでしょうか。

牛車の図を見ると(たとえば、三省堂 全訳読解古語辞典の口絵)、檳榔毛(びらうげ)の車の轅は長く、牛の2頭分に近い長さがあり、これが網代車であれば牛1頭分より少し長いという位に見えます。ですから網代車であったなら、牛の尻がすぐ目の前にあって見苦しいでしょうし、上記の前田本と堺本での「車の轅は、いとつややかに見えて、月の影の映りたる」ということは、網代車よりは檳榔毛の車の方が轅がたっぷりみえてよりふさわしいと思われます。

清少納言は、牛が歩みを進めるときにその足もとから水が飛び散るという動的で美しい景色に感動し、さらに、下簾を上げてもっとよく見たところ、2本の轅に月光が当たって輝いている、という静的な景色に感動した、という印象をうけます。最初は下簾をちょっと持ち上げて、次に下簾を上端まで巻き上げて留めてさらによくみた、という二段階の動きが感じられます。

ということで、前田本、堺本に付け加えられた文章は、清少納言が眺めていた光景をより詳細にかつ具体的に表現していると思います。

オリジナルはどれか

各伝本の評価など私にはまったくできませんが、もし、一部の文章が伝本Aにはあり伝本Bにはない、という場合、Bではその部分を「書き落とした」という可能性の方が、Aにおいて「勝手に書き加えた」という可能性よりもずっと高いように思われるのですが、どうなのでしょう。

一般には、三巻本がオリジナルに最も近い、とされているようで、多くの著作がこれを底本にしています。でも、「月のいとあかきに」の段に関しては、前田本、堺本の方が読んで意味が通りやすいと思います。

更に、書き写す時に、「下簾を高やかに・・・・月の影の映りたるなど、いとをかし」、「行き着くまで・・・・あれかしとおぼゆ」の二つの文章を勝手に書き加えた、というのは想像しにくいのです。「詳しい描写を書き加えた」、ということなら分からないでもないですが、「原本にはない新しい事象を書き加えた」ということはありうるのでしょうか。



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