「ポツンと一軒家」トップ 3


[2020/10/31]

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● 「ポツンと一軒家」トップ 3

「ポツンと一軒家」というテレビ番組

このテレビ番組は、レギュラー番組になる前に、単発的に放送されていた頃から見ていました。今から2年と少し前からです。

今は、日曜のおおむねPM8時台に朝日放送テレビのレギュラー番組として放送されています。

私の場合、この番組は毎回ビデオ録画し、溜まってくるとブルーレイディスクに焼くということをしています。

現在のところ、一番見たいと思う番組です。

視聴率では同時間帯でトップのことが多いので、見ている人は多いのではないかと思います。

どんな番組かというと、ここで説明するのは気が引けます。見たことがある人は分かっているでしょうし、見たことがない人は一度見ればすぐに分かります。

簡単に説明すると、次のようになります。

人里離れた、近くに人家がないところで、今でも夫婦とか家族、あるいは一人で暮らしている人を尋ねてその生活ぶりをレポートする、というものです。

ほとんどは山深いところが多いのですが、まれに海沿いの場所の時もあります。

衛星写真でそのような家であろうと思われる所を探して、撮影隊(私が見た範囲では二人組のようです)が取材します。

一人がインタビューし、もう一人がカメラを回す、という分担です。録画された内容は編集されます。

スタジオにいる出演者としては、司会者が所ジョージ、レギュラー・コメンテーターが林修氏、更に通常二人のゲストの4名がいて、映像を見ながらコメントする、というものです。司会者が進行を取り仕切る、というより、自由にコメントを発する、というものです。

あくまでも取材した映像が中心で、出演者は、最後に感想を語り合う、というのにとどまっています。

この番組のどこに引かれるか、というと、いろいろな人の生き様を知ることができるからです。そしてそれは、まず間違いなく感動を呼ぶものなのです。

もっとも、都会に住む若い人はあまり心引かれるということはないでしょうね。現実の生活が営まれている環境とあまりに違いすぎますから。

視聴率の調査でも、この番組を見る人は60歳台、70歳代が多いといわれています。

私のトップ10は

いままで30回分以上の放送を見てきた中で、トップ10を選ぶとしたらどうなるだろうか、と考えてみました。

しかし、トップ10を選ぶのは無理ということが分かりました。

それぞれの放送内容に心引かれるところがあるのです。

では、どんな手があるだろうかと考えたとき、トップ3ならできる、と思いました。

三つが群を抜いて心引かれるものだったのです。

その三つは、誰でも感動する、というより、「ほかの人はともかく、私がなぜかとても心引かれる」ものです。


テレビ番組の紹介のような形になるので、放送内容の1カットを引用できないものかと調べましたが、難しそうなので諦めました。

放送シーンの1カットでもネットに載せるとなると、テレビ局の許可だけでなく、ご本人の許可を得る必要があります。

山奥で一人または夫婦で暮らしているお年寄りに対して、電話をして、「ネットに公開してもよろしいでしょうか」と伺っても、たぶん何のことか、どういう意味があるのか分かっていただけないと思われますし、そもそも住所も電話番号も分からないのです。

その点で、取材の対象者の名前は番組内では明確になっていますが、ネットで公開するこの記事では出さないことにします。

以上を考慮した上で、私のつたない文章で書き進めることにします。

トップ1

島根県の山奥に一人で住んでいるご婦人(お年寄り、つまりおばあちゃんです)です。

どこに心引かれたのかというと、もっとも大きな所は、言葉遣いです。特にその"丁寧さ"です。

島根県の西部というと、いわゆる石見地方になります。

以前に日本語について調べていたときに、「島根県石見地方の方言」という論文に出くわしたことがありました。島根県については特別な興味は無かったので、その時はタイトルだけを見ただけでした。

島根県の方言、あるいは石見地方の方言にはどのような特徴があるのか、ということは、私にはさっぱり分かりません。

ですが、その丁寧な言葉遣いに驚いたのです。

発する言葉がきちんとした文章になっています。

一定のトーンで、一定のテンポで、語尾も曖昧にしないで一音一音が明瞭な話し方です。

祭りが終わって自宅までクルマで送ってもらうときの説明はこうです。

「○○さんに連れて行ってもらわにゃならんけん」

知り合いの人について尋ねられると

「○○さんがそこに来ておんさる」

自宅について、この家はいつ頃建てたんですか?ときかれたとき

「これはね、昭和63年の春建ててもろうた」

知り合いの人から、「これから行くから」と電話があったときには

「今のは知り合いのちょこちょこ来んさる」

「来んさる」とは、「来て下さる」、「来なさる」に当たる言葉ではないかと想像しています。

丁寧語、敬語がきちんと使われているのです。

関東から東北にかけての地域の言葉遣いとは、だいぶ趣を異にする、と感じます。こういうのは関東、東北の言葉には少ないように思えます。

関西弁で敬語は簡単に使える、ということを聞いたことがあります。「はる」を付ければいいと。たとえば、「言わはる」、「行きはる」、「来はる」など。もっとも、これは私が関西弁をまねただけで、そういうときには別の例を持ち出すべき、ということかもしれません。方言は難しいですから。


そういうなかでも印象的だったのは、撮影隊が初めてご当人に会って、家での生活の様子を撮影していいですか、と尋ねたときです。

「なんぼして下さってもいいです。たった一軒家で、いっぱい、木の葉がいっぱい落ちたままあるんだけと」

このように話しているとき、撮影隊の人の目をじっと見つめ、口元にはほほえみを絶やしません。

「話すときは、相手の目を見なさい」とよく言いますが、その手本のようです。


受け答えが、少ないのでもなく、多いのでもなく、ちょうどいい塩梅です。必要なら聞かれた以上のことを話します。

饒舌でなく、寡黙でなく、「見事だなあ」と思いました。

受け答えとして理想的だな、と思ったものでした。


丁寧な会話、という点で気がついたことは、"声の勢い"に頼ることなく、「何が語られたか」という、そのことのみを考える、という点です。

「声の勢いに頼る」というのは困った現象で、現代では非常に頻繁に感じます。

大声で、早口で、たくさんの言葉を発するのです。相手の話が終わらないうちに話し出す、ということもよく見られます。聞く方は、その内容を理解すると言うより、話し手の感情をなんとなく感じとる、ということになりがちです。

なぜ"困った"というのかというと、最近、感情に訴えるだけで、論理性を無視する(*1)ような傾向が目立つからです。

いや、"最近"ではなく、昔からありましたね。

江戸弁(東京弁)の「べらんめい」言葉、たとえば、昔の言い方ですが、江戸落語によく出てくる「何言ってやがる、べらんめい、こちとらぁちゃきちゃきの江戸っ子でぃ」とか言います。また、関西弁の、たとえば上方漫才の早口の口調、あるいは東北弁の一部の強い口調などがこれに当たります。

言葉を並べて論理的に説明するという態度ではなく、とにかく"共感"できればそれでいい、という態度です。

現実に、会話では言葉を省略することがよくあります。語尾、あるいは結論をはっきり言わない、ということもあります。それでなければ"くどい"とか"理屈っぽい"と感じるのでしょう。

このような話し方とは正反対なのです。

人の性格について、「楷書のような」ということがあります。これは"きちんとしている"と言うことです。残念ながら、それ以上の説明は私にはできませんが、「楷書のような言葉遣い」と言えるのではないかと思います。

あるいは、「文章言葉」という表現ができるかと思います。話した言葉を単純に文字にしていくと、きちんとした文章になる、というものです。

逆に見れば、文章を読むような話し方です。


そういえば、昔、英語の授業で言われたことがありました。

"Is it a ball?"という疑問文に対する答えとして、肯定するとき、"Yes."は間違いではないが子供っぽいのであって、"Yes, it is."と言うべきです、と。

実はこれは慣れてないと簡単ではありません。"Was it"なら"Yes, it was."で、"Is he"なら"Yes, he is."で、"Are they"なら"Yes, they are."と返さなければいけません。"Yes."の一言で済ませられたら、こんな簡単なことはないのです。

でも、きちんとした受け答えをするには、"Yes, it is."と言わなければならないんですね。


この番組に出てくるこの地域のみなさんは、皆さんが言葉遣いについて、このようなきちんとしているという印象を受けました。

撮影隊が訪れたその日は、年に一度の祭りの日でした。参加者はその地域の全員でも一桁しかありませんが、皆さんがきちんとした話し方をされています。

このご婦人に定期的に会いに来る人がいます。上記の「ちょこちょこ来んさる」というかたです。たまたま撮影隊が撮影している時に出くわして、「このおばちゃんと話すようになったきっかけは・・・・」と話す言葉が、やはりきちんとした言葉遣いした。

この方は、撮影隊が来ていることなど全く予想していないのです。突然、全く知らない人に、カメラで撮影されている状況で、全く慌てる様子がなく、淡々と説明するのです。

ついでながら、この方は、ご婦人が高齢の身なのに一人暮らししていることを心配して毎週出かけてきて、そういうときには奥さんが二人分の弁当を用意してくれるので、一緒に弁当を食べて話をし、その後、ちょっとした手伝いをし、時には病院の送り迎えもしている、ということでした。

そのようないろいろな人の助けがあってでしょうが、日本の山深いある所に、高齢でも一人暮らしを続けている人がいるということは、奇跡のようだ、と感じてしまいました。


もうひとつ、強く感じたのは、このご婦人の"頭脳明晰"なことで、失礼ですが、年齢を考えると驚くレベルです。

いろいろなことが頭の中でよく整理されていているのですね。

畑で作っている野菜について説明するシーンがあります。


「これは高菜。これは来春、5月頃まである。」

「これが大根。ちょっと早く撒いたのが大きくなって。」

「これはキャベツ。来春食べられるようになる。」

昔からこうやって野菜を作ってるんですか?

「はい。全然、野菜、こうたことはない。買った野菜は何日前に採ったものか分からんが、自分で作っておけば、食べるときに採って帰るから新しい野菜が食べられる。」

すごい立派な白菜ですね。

「うん。今年はぬくかったからと思うんだけど、虫がいっぱいはいってなぁ」

畑の野菜はその日食べる分だけ採るっていう感じなんですか?

「その日に食べる分をとってきて食べるように夏はする。それから、今から雪でも降ったりすれば、雪が積もってりゃぁ採るのが大変だから、ちょっとは採っておいて、1週間、10日位は、寒いときは置いておいても世話ないけんね。大丈夫。置いておいて食べられる。」


最後に、日頃の思いを語るシーンがあります。話が長く続くので、編集でつないだものだろうか、と思ったりしますが、それにしても語られることは明晰です。

「こんな田舎でなぁ、ずっと何十年も住んでいたら、都会に出て人が多い所に出ても、ようおらんと思う。自分が元気で動けるうちはここに一人でも住み続けた所におってね、それでまあ、よその人でも来て知りおうて、時々上がってきて話してくれたら嬉しいですね。」


最初の放送が2020年1月19日で、同じ年の7月5日に再放送されました。コロナ禍で撮影隊が取材に行くことができないので、前回の映像を使うときには、最後に近況の映像を加え、スタジオはゲストはなしで、所ジョージと林修氏のレギュラーメンバーのみ、という形で行われるのが普通のやり方なのですが、この回だけは、初回と全く同じ映像が使われました。スタジオにはレギュラー二人とゲスト二人(初回と同じ顔ぶれ)で、つまり、初回の映像を再度流しただけなのです。

近況を放送するにには、ご本人か、または誰が地元の方がスマホなどで撮影する必要があるのですが、高齢化が極限まで進んでいる地区であり、撮影する方が見つからなかったのだろう、と想像しています。再放送するにあたっては、何らかの方法で「相変わらず元気にしている」ということは確認してあるのだろうと思いますが、ちょっと気がかりではあります。

最近は、以前に流した映像に近況が分かる動画が添えられての放送というパターンであり、私が視た範囲では例外は他にありませんので。

トップ2

こちらは山形県の高齢のご夫婦です。夫が89歳、妻が87歳。本当に二人だけになって20年にもなるそうです。

番組としては、最初に別の方の家を取材して、そこも「ぽつんと一軒家」なのでですが、その時に、ここよりもっと奥に入ったところに、高齢のご夫婦がふたりだけで暮らしている、ということを教えられ、それではそちらにも行って見ましょう、ということになったものです。

最初の方のエピソードも、大水害の対策としてダムを建設することになり、家を離れることになったというもので、内容は色々と複雑で、登場する姉と弟の話も興味深い者があり、非常に引き込まれる内容でした。

さて、その「更に山奥に住んでいる」というその方は、言葉遣いは非常に東北的、と言いましょうか。言葉が少ないです。

何か聞かれると、大抵は「んだ」だけで終わります。

聞かれたことだけに答える、というものです。

それは「親しみのあるコミュニケーション」とは違うものです。

撮影クルーに対するサービス精神はあまりないのです。

自分たちの状況を積極的に説明しようという精神ではないのです。

なんといいますか、すべてをそぎ落とした生活ぶり、という印象を受けます。

生きていくのに必要なものだけがあり、生きていくのに必要なことだけをする、というものです。

山形県の山奥では、冬は雪との戦いでしょう。放送では、この場所について「3m以上雪が積もる豪雪地帯」と表現されています。

そこで何をしていたのか。

この回の放送でもっとも心を引かれたシーンです。

この89歳の夫が高齢にもかかわらず、大きめのハンマーで、ブロックを積んだ建物を壊しているのです。

自分が建てたものだから、自分で始末する。そうやって、建物を壊すというのです。

腰が半分曲がっていて、腰にサポーターを巻いて、歩くときには杖を突く。そういう人がハンマーを振るうのです。

3年前から初めて、既に畜舎など3棟を壊し、今、サイロを壊していて、来年は倉庫を壊すといいます。

1日8時間、コンクリートとブロックの壁にハンマーを振るうといいます。

なぜ自分で解体するのですか?

「自分が建てたんだから、始末しないと。」

息子さんとかにお任せすることはしないのですか?

「いやぁ、息子に残しとけばやるんだろうけど、やっぱりそれはけじめなんだな、建てた人の。」

息子に、一緒に住もうと言われているが、ここで暮らし続けるということについて

「ここに生れた者だからいたいんだ。格別な理由なんてない。・・・・命と意地と」

これに対して奥さんも言葉をつなぎます。

「じいちゃんが達者だからこうしていられる。じいちゃんが弱ればいられない。もう少し、じいちゃんが元気だからいたいと思って。ここに」

「ここに」と、そう言ってテーブルを2回指で突いたのでした。


「命と意地」なんですね。肉体が健康というだけではないのです。その肉体を動かす主体が必要なんですね。

それが"意地"。このような厳しい所での暮らしは、生半可な気持ちでは続かない、ということです。

テレビ画面ではキャプションが入っており、"意地"の文字が赤い文字になっていて、制作者側もこの象徴的な言葉を"引き出すことができた"ということに、大きな満足感が得られたのだろうと想像しました。

約150年前にここに最初にすみついた先祖は、元会津藩士だったといいます。

なるほど、その血が流れているのか、と妙に納得したのでした。


現地でのルポの後でスタジオにカメラが切り替わったとき、司会の所ジョージがすかさず「これはまいりました」と言って頭を下げました。本当にそういう印象でした。


これには後日談があります。

2018年11月11日に最初の放送があり、それを上のように書きました。その後2020年10月11日に2回目の放送がありました。

最近はコロナウィルスの影響で、この番組は新しい取材ができません。東京から撮影スタッフが都会を離れて、人里離れたところに出かけていくというのは問題があり、取材はストップしているようです。

それでどうしているかというと、最近は、最初に放送したものの主要部分を取り出し、その後に、最近の様子を撮影した短い映像を続ける、という形で放送しています。

最近の短い映像は、当の取材を受けた方、あるいはその近しい人がスマホのline動画などで撮影したものを使って、対話しながら近況を伺う、という内容です。

この2回目の放送では、初回に案内をしてくれた姉弟が協力してくれて現地に行ったところ、スマホの電波がつながらないことが分かり、急遽動画撮影してくれたというものです。

リアルタイムではないので、スタジオの司会者やコメンテーターと会話することはできないのですが、この弟という人が実にうまく質問をして、お二人の近況がよく分かりました。

壊している最中だったサイロは次の年、春に始末したとのこと。解体予定と言っていた倉庫は「いつになるか分かんねぇ。若い鋳物とは違ってはかどらなくて」ということでした。

また、テレビ放送の反響については「反響はあった。やっぱりサイロを壊している所の撮影が良かったもんだから、見たいっていう人が福島当りからも、あっちこっちから来てくれた」

これを聞いて、人の感じ方には同じ所があるんだ、と再認識しました。

私が一番感じ入った、一人でハンマーをふるってサイロを壊すシーン、そのひたむきさに感動した方が多くいたということは嬉しいことでした。

トップ3

これは和歌山県の87歳の男性。

放送は2019年5月5日でした。

とにかく、本当の山奥に住んでいる人です。

家まで、車道がないのです。車で行ける最後の所から山道を2Km歩くしかないのです。

その山道を放送では"獣道(けものみち)"という言い方をしていましたが、これはまったくの誤りです。獣道というのは藪に覆われた、どこが道なのか分からないような所です。

この山道は幅1m位が平らにならされた、登山道よりずっと整備された道です。

しかし、このような道を2Km歩かないと麓の集落に行けない、というのは、放送されたいろいろなケースの内でも例がほとんどありません。

しかも、この方が住む山の中の家は生家ではないのです。婿入りした家なのです。

そして、20年前に奥さんが足を悪くして麓に降り、以来20年間、山の中の家で一人暮らしをしているのです。

87歳という高齢になった今でも、自宅の補修の他に、2Kmの山道や、その途中の8個所に自分で懸けた橋を補修しながら、生活しているのです。

家の補修では、たとえば屋根の塗装は一昨年と昨年にやった、と言ってました。

屋根の反対側に命綱を引っかけて、そして屋根の一番高いところから順番に下まで塗っていく、というのです。

今回の取材で、当然、立ち入ったことを聞くわけにはいかないので、食材はどうしているのか、生活費がどうなっているのか、というようなことは放送にありませんでした。

衛星写真では家の周りに広い畑らしい所が写っていましたので、野菜は作っているのだと思われます。しかし、米は作っているのかどうかは分かりませんでした。

山奥の生活では、大抵は、どうやって生計を立てるか、ということがまず問題になります。そこの所は分かりませんでした。

それで、一番印象的だったのは、このご老人が夕食に卵焼きを作るシーンです。

その様子を文章で表現すると、次のようになります。


卵2個を椀に割り入れる
→箸でかき混ぜる
→箸を水洗いして元の場所にしまう
→椀の中の卵を卵焼き器に入れる
→椀を水洗いして片付ける
→卵が焼き上がったら更に盛る
→卵焼き器を洗剤で洗い、水ですすいで片付ける



使った道具はすぐに片付ける、ということが徹底されています。

この整理整頓の驚くほどの徹底ぶりは、いろいろな場面で見ることができます。

まず、台所に撮影クルーが入ったとき、まず第一声が、「えー、お父さん、本当にきれい好き」というものでした。確かにそれは一目で分かるほどのきれいさでした

「ポツンと一軒家」に出てくる家の中は、皆さん実によく片付けされています。散らかっているような状態では、厳しい自然の中で生きていくことはできない、ということなのでしょう。それにしても、ここは一段と徹底しています。

上で、道路の補修について触れました。その補修をするシーンが出てきます。両サイドにキャタピラーを装備した運搬機につるはしなどの道具を載せて補修する場所に行くのですが、運搬機の荷台が実にきれいなのです。このような所はどうしても泥がついたり、木の葉が落ちているなど、なかなかきれいにしておくのは難しいのですが、じつにきれいなんです。

ここでまた夕食のシーンに戻ります。

卵焼きができあがったら、カップ2杯の日本酒をヤカンに入れて火にかけ温め、それを飲みながら「まあ、ちょうどええわ」と独り言を言い、夕食を食べます。

20年間、そのように生活してきたのです。

そのように長い間、どうしてこのような不便な山の中で暮らすのか。

戦死した義兄、奥さんの兄ですが、その人の霊を慰めるため、と言います。そのために祖霊舎を置いて祀(まつ)り続けているのです。


「人間というものは、こんなことをしてあげるのがいいとか悪いとかいうものとは違う。心の持ちようや。オカンにも言うてある。俺がおる限りはここに来たら眺められる。そしそうできなくなったときには外して持って行くという約束はした。我の考えやったらここは一生の家。最後までこれを継ぐ。そいつは俺の肝(きも)の胸の中に納め込んでいる」


この告白を聞いたとき、一つの思いが湧いてきました。

既にこのサイトの別記事である「前書き・後書き 24 バガヴァッド・ギーター」のところで、次の様に書いています。

「私利私欲を離れ、執着なく、なすべき行為を果たす」という教えにいたく感動した。
・・・・・・・・ 私が「バガヴァッド・ギーター」に心惹かれるのは、ひとえにこの部分にある。ただし疑問符付きである。「なすべき行為」とは何か。意外に何も書いていない。一番近いと思われるのは、神に対する祭祀である。しかしそれでは、ヒンドゥーではない私には取り付くことができない。いろいろと探して手がかりを探したのだがわからない。一人一人が捜し求めるのだ、という"悟り"にすがることはしたくない。私はあくまでも論理的に考えたい。

それと似た言葉は他にもあります。ひとつあげれば「あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。結果の行為を動機としてはいけない」というところです。

鎧 淳 訳 講談社学術文庫 講談社

こういうところに説かれたことを、現代において実践している、という印象を受けます。


3本の放送内容について

今回、この文章をまとめるに当たって、録画した番組をかなり細かく見直すことになりました。

その結果、見直すたびに新たな発見、感動がある、という感を強くしました。

よく「本は読み直すたびに新たな発見がある」とか、「映画は見るたびに新たな感動がある」などと言われます。

それと似たことがこの番組にはあります。正確に言うと、取材を受けた皆さんの行動、言葉にそのような力がある、ということです。

このことは、今回、何度も見返す、ということをして初めて気がついたものです。

それは同時に、番組制作者ならびに番組出演者の皆さんのおかげであることに間違いありません。


いま、あらためて振り返ってみると、ここで取り上げた3組4人の生き方は、まさに「人生の達人」と呼ぶのにふさわしい、と感じました。


番組の構成について

番組作りについて色々と気がついたことがあります。

【言葉遣い】

撮影隊のメンバの言葉遣いですが、とても気を付けているのがよく分かります。

相手のほとんどは高齢者である、ということもあるのでしょうが、声の抑揚をかなり押さえていて、かつゆっくりと一定のテンポで話します。

それが、番組が始まった頃には、徹底されていないときもあったのですが、回を追うごとに徹底していきます。

取材の理由を相手に説明する場合ですが、最初の頃は「ポツンと一軒家から来ていまして」などと言っていた時もあり、初対面の人に対しては『ポツンと一軒家というテレビ番組で』というように『テレビ番組』という言葉を入れないとダメだろう」と思ったのですが、最近は必ず「ポツンと一軒家というテレビ番組で」という言い方がされています。

パネリストの林修氏は予備校の国語教師なので、言葉遣いについては林氏のチェックが入っているのかな、と思っていますが、あるいは番組製作スタッフの間で次第に熟成していったのかもしれません。

【電気】

番組を見ていて気づいたことに、電気はほとんど来ている、ということがあります。あのような人里離れたところによくもまた電線を張り巡らしたな、と感心します。多くの場所が、ようやく軽トラックが1台走れる、という道路の先にあるのです。

電力会社はかなり頑張っているのですね。以前に、人が常駐しているなら電気を通すことが法律として電力会社に義務づけられている、ということを聞いた記憶があるのですが、これは未確認です。

もっとも、いまは山奥の"ポツンと一軒家"で暮らしている、といっても、多くの場合は、昔は近くに人がたくさんいたが、だんだん人がいなくなって、一軒だけ残った、という例が多いので、電気については昔から引いてあり、さほど問題がないのかもしれません。

たとえば、上記の二番目の放送の場合ですが、お二人が結婚した当時はその地区に45軒の家があり、200人以上が住んでおり、学校も幼稚園もあった、と紹介されていました。やがて農業だけでは生活が苦しく、働く場所を求めて若い人から少しずつ人が出て行き、今ではこちらのたった二人が残ったということです。

【事前調査】

この番組では、事前調査はしないことになっています。衛星写真で"この家"と決めたら、その写真だけを持って近くの集落に行き、そこに住んでいる人に衛星写真の画像を見せて、ここに行くにはどのように行けばいいのか、と尋ねて教えてもらうやり方です。

事前調査をしないので、調べればすぐに分かることでも、現地で住んでいるご本人に会って話を聞いて始めて分かる、というもあります。

九州の山奥にある焼酎の工場を尋ねたとき、連絡先に電話をして、その社長に会い、いろいろなことを聞きます。社長が子供の頃に慣れ親しんだ山や川が、廃棄物処理場になって荒れていく可能性があり、山を買って自然保護を進めている、という感動的な話につながったことがありましたが、その会社が自然保護を熱心にやっているという、その内容は、その会社のホームページを見るときちんと、事細かに説明されていて、情報としてはそれで充分なのでした。

ですから、報道という観点から見れば、現地に行かなくてもホームページを見るだけですぐに分かったものなのです。

ですが、社長本人に会って、その風貌や話しぶりなどににじみ出る、人としての魅力、というものは、初めて会って、話を聞いて、という過程を通じて本当に新鮮な感動を生んでいます。

また、現地で情報を得る、ということは、目的の家の近くの集落の人と言葉を交わすことでもあります。そこで、その集落の人びとの生活ぶりや人情に触れることにもなります。

事前調査をしない、という方針を立てたことは、全般的にみてかなりうまく行っていると感じます。

この番組が高視聴率をキープしている、ということは、番組作りの基本方針が成功している、ということですね。

狙いが当たったことに、番組製作スタッフは大いに喜びを感じていることでしょう。最近、テレビ番組の視聴率はなかなか上がらないですから。

備考

(*1)ちょっと話が飛ぶので、この備考として書きます。話の論理性についてです。といっても難しいことではありません。2019年末の「M-1グランプリ」は非常に興味深いものでした。決勝に3組残るのですが、最終的に1位になった"ミルクボーイ"と3位の"ぺこぱ"の漫才が非常に特徴のあるものでした。上方漫才では、大抵はボケがとんでもないことを言って、「そんなことあるかい」、「そんなやつおるか」などとツッコミが答える、という体裁をとりますが、それとは、ツッコミのやり方がまったく違うのです。ぺこぱは、ボケが無理なことを言うと「そう言われたら、それを受け止めてあげるようにボクが変わればいいだけだ」などと、相手を否定せず受け入れるのです。「そうであるなら、こうすればいい」と、論理的に考えるのです。ミルクボーイの場合はもっと明確で、ボケがあるものの名前は忘れたが特徴は分かる、と言い、特徴をいうと、「それだったら○○で決まりだ」といい、続いて、ボケがそれと全く相容れない別の特徴を言い、ツッコミは「それだったら○○ではないな」と前言を否定するのです。ツッコミはボケの言うことを100%真実であると受け止めるのです。実は、そのやりとりは論理的に展開していくのではなく、"どうどうめぐり"で、収束していかないのです。あるものの特徴が色々と挙げられますが、一つ前に言ったことと相容れない。まずそれを全部正しいものとして受け止める。これは一種の優しさです。論理的であることの前提として、事実をそのまま受け入れる、ということを気づかされました。そして、それが実践されています。この二組の漫才は画期的なものでした。漫才というと上方漫才が優勢で、上方漫才は、"ドツキ漫才"というものがあるくらいに、感情的になり、相手と烈しくやりとりするのが基本ですが、それとは正反対の"優しさ"と"論理性"を持った漫才が出て来た、という印象でした。

備考―人名について

人名の敬称については、所ジョージは芸能人なので敬称は付けません。林修氏は最近はテレビの露出が非常に多いのですが、本職はあくまで予備校教師と考えられるので敬称を付けています。


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