印象的な言葉のフレーズ トップ 10
[2019/4/6]
8つ目のトップ10です。
以前に、好きな交響曲のトップ10について書きました。
結果的には、単に有名な曲を並べただけのリストになってしまい、何の意味もないものになっています。
あまりにも月並みな曲が並んでいて、全く詰まらないものです。
そこで、続編として、曲単位ではなく、フレーズとして選んではどうだろうか、という考えが湧いてきました。
あの曲のあの部分とか、あそこの○○な所、とか、いくつか出てきましたが、問題は「その部分をどうやって表現することができるか」ということです。
以前に吉田秀和の本を読んでいて、そのようなフレーズの所を楽譜で表現していたことが思い出されます。
しかし、私には楽譜の形で表現して"ここ"と言うことは難しいのです。
もともと楽譜が読めませんし、元になる楽譜が入手できるかどうかも怪しいものです。楽譜が手元にあっても、それをコピーして載せることは著作権上の問題は無いのだろうか、とか、五線譜に自分で音符を写し取ってそれを載せればいいのだろうか、いやいや、口でラララ―ララ、などといえても、楽譜では自分自身でイメージがわかないだろう、などと、迷うばかりです。
第二主題の展開部の云々、という言い方は私にはそういう知識がないので無理です。
そこで、音楽ではなく、文字で表現される"言葉のフレーズ"、という点でやってみることにしました。
Archaiomelesidonophrunicherata
これだけはすごく昔に読んで憶えました。子ども向けの文学全集で、上下2冊組の"我が輩は猫である"に出てきます。小学5,6年生か、中学生か、その頃に読んだものですから、50年以上昔のことです。
世界で一番長い単語である、と語られます。
私の記憶では、"アルカイオメレシドノプリュニケラータ"で、意味は「シドンのプリューニコスのように愛らしい」というものです。
"Archaiomeresidonophrunicherata"ではなかったかな、と思ってネット検索しましたが出てきませんでした。いろいろと試していて、"omere"ではなく"omele"と分かりました。
なぜ印象的だったのか、よく分かりませんが、ラテン語的な響きが新鮮だったのだろう、と思います。
"Archai"は美術で習ったことがある"アルカイック・スマイル"ということではないかと勝手に考えています。広隆寺にある弥勒菩薩の半跏思惟像です。
今回あらためて調べると、上に書いた"r"と"l"の違いだけでなく、意味として「フリュニコスの昔の歌のように愛らしい」というのが正しく、またフリュニコスは詩人のようです。私の記憶では、「フリューニコス少年がとても愛らしい顔立ちだった」、というものでした。
ただし、厳密に言うと、詩人フリュニコスが"昔の歌"として書いた歌なのか、昔の詩人フリュニコスが書いた歌なのかは判然としません。
この言葉は良く憶えているので、これをもじってログインのパスワードを作ろうか、と考えているのですがまだ実現していません。"r"と"l"の記憶違いが見つかったので、止めた方が良いとも思います。
たッかはしさん
新潮文庫の「現代名詩選(上)(中)(下)」で読んだと記憶しています。通勤電車の中で、この個所にさしかかって、思わずニヤリとしてしまいました。いや、実はアハハと声を出しそうになったのです。
"コケコッコー"が"タッカハシサン"に聞こえた、という所は、「さもありなん」という所です。
その本はいつの間にか書棚からなくなっていました。
東日本大震災のときの地震(東北地方太平洋沖地震)で書棚の本が落ち、ひどく痛んだ本は処分したことがあるので、そのときになくなったものと思います。
今回、図書館であらためて探して昭和文学全集(小学館)の昭和詩歌集という1冊にその詩を見つけました。
昭和文学全集 第35巻 昭和詩歌集 平成2年4月 小学館
ただし、この本では旧仮名遣いです。私が最初に見た時には現代仮名遣いに書き換えられていました(私の記憶では)。
そこで、以下の引用では、現代仮名遣いにして表示します。
題名は「にわとり」です。
―おかあさん よう
この詩人は鶏のいわゆる"コケコッコー"が「おかあさん よう」と聞こえるのです。
どうききなおしてもやっぱりそうだ
おかあさん よう と鳴いているんだ
聞き直しても、やはり「おかあさん よう」と聞こえるらしい。
おとうさん
というのも方々にいる
こちらには「よう」はないのですね。
それどころではない
たかはしさあん というのがたしかにある
たッかはしさん という風にいやに「か」にアクセントをつけて呼ぶのだ
最初に通勤電車の中で声を上げて笑いそうになった、というのはこの部分です。
「たっかはしさん」と「コケコッコー」を比べて、さらに鶏の鳴き声を思い出しながら、「たっかはしさん」という音(おん)を想像してみます。
意外に合いますね。
「か」にアクセントをつけて、というのは、音のピッチを少し上げて「か」を発音するのでしょうね。
ドレミで言うと、「ドッミレドドー」という感じでしょうか。「ドッミミミミー」という感じもします。
「たかはしさあん」と「たッかはしさん」は微妙に違いますが、私にはどちらかというと「たッかはしさああん」というのが一番近い感じがします。
この夏一寸葉山へ行ったら葉山にもいるんだ
かなり粘りますね。
このような"くどい"所は私は大好きです。
この詩の本筋は「たッかはしさん」ではなく、「いやだなあ/あの絶望的な声の呼び方は」と書いているように、鶏が「愬える(うったえる)ように鳴く」なところがイヤだ、という所です。
同じ詩人の「大正十五年夏日」という短い詩を集めた作品でも、「いやな鶏だな あの鶏は/おとうさん/おとうさん/またあんな哀れっぽい声をしておれを呼んでいる」と書いています。
確かにあの鳴き声は、"哀れみ"とか"恨み"とかが籠もっているという感があります。
ただし、それほど深刻にとらえる必要はないでしょう。なんと言っても"鶏"の鳴き声ですから。
文字をもって対象を書き尽すべき文学者として、図形の助けを借りるのは屈辱であるが、(中略)いっそ図形を入れてしまった方がお互いに手間が省ける。
上のような文言に続いて、第一図、第二図(ここでは共に省略)があります。
捕虜収容所の建物の構成と、捕虜の人々の配置、また付属する設備が書かれています。
たとえば第一図では、一中隊から五中隊の五つと大隊本部、医務室、理髪室、塵芥焼却場などがあり、道路を挟んで台湾人地区などと書かれています。
確かに、文学作品で何か具体的なものを表現する時に図形を使うことはないですね。
"文学者として屈辱"という認識があるのでしょうか。
敗戦の結果捕虜となり、米人、あるいは米国文化にふれ、その合理性に感化された結果なのでしょうか。
上記の(中略)とした所には、次のように書かれています。
小学校の進歩的教育によって、視覚的に甘やかされた現代の読者は、我々が文字をもって記述するところを、まず図形として脳裡に描くと信ずべき理由があるから
「現代の読者の低い読解力にやむなく合わせた」、というニュアンスを醸し出しながら、実は「お互いに手間が省ける」と、自分にとっても"楽だ"と白状しているのです。
私の経験では、技術文書では図が多用されます。
一般的に、図を使った方が理解するのに要する時間が短くなります。逆に書く側に立てば、書くのに要する時間は長くなります。
図示することの問題は、理解の浅い、深いの差がでてしまうことで、しかもそれが気づきにくいことです。
時には、書いたのに伝わっていない、ということが起こります。
文章であれば、ここに書いてある、と指摘できますが、図では、この線はこういう意味だ、と言っても、そういう意味にはとれない、などと争いになります。
このことからでしょうか、顧客から提示された技術文書のもっとも規範的なことを書いた文書では図がとても少なかったことがありました。
法律で言えば憲法のようなものです。それからいろいろとブレークダウンした文書が作られ、そこには図が使われます。
そもそもこの「俘虜記」という作品は文学作品であるのは確かですが、小説ではないですね。体験記とかルポルタージュでしょうか。記録文学という言い方もありますね。
それなら図を使うことに何の問題もないでしょう。むしろ積極的に使うべきではないでしょうか。
見られい。「しめおん」。見られい。傘張の翁。
芥川龍之介集を1冊読んで、特に印象に残ったのが、「蜜柑」と「奉教人の死」の二つでした。
「蜜柑」は芥川龍之介の作品にしてはめずらしく"穏やかな"内容で、ほのぼのとした情愛を描いた、そういう意味でユニークな作品です。
激しい感情や毒がまるで見られない、おそらく唯一の作品でしょう。
「奉教人の死」には最後に"どんでん返し"があります。
いみじくも美しい少年の胸には、焦げ破れた衣のひまから、清らかな二つの乳房が、玉のやうに露はれて居るではないか。(中略)おう、「ろおれんぞ」は女ぢや。
少年と思われ、傘張りの翁の娘が宿した赤子の父とされて不義密通のために迫害されてきた「ろおれんぞ」が実は女だった、傘張りの翁の娘が嘘をついたのだった、という場面がじつにリアルに描かれます。
翁の娘が生んだ赤子を火事の炎の中から助け出し、そこで息絶える、というドラマチックなものです。
これは舞台劇とか映画、テレビドラマには最適でしょうね。
この作品がある本を元に作ったとして、その種本はこれこれこういうものと懇切丁寧に語られます。しかし、それ自体が小説の中の一部です。
猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な
以下では、主に次の3冊を参照しています。
日本の詩歌 10 高村光太郎 昭和49年9月発行) 中公文庫 中央公論社
北川太一編 高村光太郎詩集 昭和49年 第19刷発行) 旺文社文庫 旺文社
草野心平編 高村光太郎詩集 昭和43年12月改版初版発行 角川文庫 角川書店 (巻末の年譜(北川太一編)を参照した)
高村光太郎は明治39(1906)年アメリカに渡り、翌年イギリスに、さらに翌年バリに移り、次の年の明治42(1909)年に日本に帰国します。
帰国の翌年の12月にこの詩が書かれ、翌年1月発行の雑誌スバルに本作品を含む5編の詩が発表された、とあります。
上記の「高村光太郎詩集」の年譜によると、帰国の翌年、「荻原守衛の死をききショックをうけ(中略)本気で詩を書く衝動に駆られる」ということが背景にありそうですが、何よりもアメリカ、イギリス、フランスと海外の自由な空気を吸った後の帰国で、日本の封建的な状況に落胆したことが最大の動機だったと思われます。
7行の短い詩ですが、各行の文字数を数えると次のようになり、その特徴がよく分かります。
36 14 14 5 4 14 51
最初と最後の行が飛び抜けて長い構造で、その内容は以下のようになっています。
「頬骨が出て、唇が厚くて、眼が三角で、名人三五郎の彫つた根付の様な顔をして」
「猿の様な、狐の様な、ももんがあの様な、だぼはぜの様な、麦魚(めだか)の様な、鬼瓦の様な、茶碗のかけらの様な日本人」
最初の行は顔について、「○○て、○○て」と並べ立て、最後の行では「○○の様な、○○の様な」とたたみかける、"狂気がほとばしる"というイメージです。
"狂気がほとばしる"という点では、実際はいろいろな作品があるようで、山村暮鳥の詩や高橋新吉のダダイズムの作品などが思い出されるのですが、前衛的であることを自分に課して作品を書いた、という印象を受けます。「読者を驚かせようとして頭を絞って書いた」というものです。
高村光太郎のこの詩は、「頭を絞った」のではなく、「怒りにまかせて書き殴った」感があります。怒りの感情がストレートに出て来ているのです。
上記の「日本の詩歌」において、この詩に対する脚注に「感情や思考をむき出しのまま投げつけた」とあるのもそういうことでしょう。
なお、この詩が最初に発表された「すばる」ですが、その部分が写真で掲載されている(*1)のを見ると、現在では最初の1行が"名人三五郎の"のところから改行されていて、全体は8行の詩になっています。
それによると、各行の文字数の配分は
17 19 14 14 5 4 14 51
ということになり、最終行だけ特に長いということがさらに際立ちます。
この写真では、句点が文字と文字の間に挟まって文字サイズとしては0になっており、見かけ上の行の長さは私の文字数の数え方(句点も1文字と数える)とは異なります。また、各行の最後は句点(最終行だけは句点)が付いていますが、現在の出版(上記の「日本の詩歌」本と「旺文社文庫」本)では、各行の最後の句読点はありません。
最初に発表された時に2行であったものが、後に1行にまとまった、というのはどういうわけなのか、については私は何の情報も得ていません。詩作で行をどう分けるか、ということはとても重要なことでしょうから、作者が後に推敲して変わったものなのか。もしかして、最初の発表の後で手書きの原稿を別の編集者がチェックして間違いを発見して訂正したものなのか。
この題名が「根付の国」で、「名人三五郎の彫つた根付」とわざわざ"名人"と書いていますが、たとえば光太郎の父高村光雲の手による上野公園の西郷隆盛像と比べると、作品のスケールがまるで違います。
この詩で書いている「小さく固まって、納まり返った」―これなんでしょうね。
もっとも、高村光雲の西郷隆盛像ですが、光太郎はまったく評価していませんね。昭和29年3月~5月に雑誌「新潮」に掲載された「父との関係」という文章(*2)で、次のように書いています。
父の作品には大したものがなかった。すべて職人的、仏師的で、又江戸的であった。『楠公』は五月人形のやうであり、『南州』は置物のやうであり、…
『楠公』、『南州』とは、「父との関係」の前の部分で「(父光雲は)…仕事の種類からいつて、仏師屋の縄張りをはるかに突破したやうな、たとえば、「楠公銅像」とか、西郷隆盛銅像」とかいふものを作っても、その製作の基調はやはり仏師屋的であった。」という記述を受けたもの。
(*1)新潮社 新潮日本文学アルバム 高村光太郎 1984年6月発行 に収録
(*2)新潮社 日本詩人全集 9 高村光太郎 に収録
そやそや、そやさかいにやね
これはなんという本に書いてあったのか、書名が確認できません。ですから、言葉がまったくこの通りか、というと、100%この通り、という自信がありません。
ですが、とても印象的なので取り上げることにしました。
かすかな記憶をたどれば、湯川秀樹がなくなった後、関わりのあった人々が追悼文をよせ、それをまとめて出版した、という様な本だったと思います。
これを書いた人は当時学生(湯川秀樹は京都大学が長かったが、一時大阪大学にもいた)で、湯川秀樹から教えを受けていたということだったと思います。
このような内容です。
学生が二三人、教室の黒板の前であれこれと議論をしていると、いつの間にか教室の後ろのドアから湯川先生が入ってこられて、「そやそや、そやさかいにやね」といいながら議論に入ってきて、いろいろなことを教えてくれた
日本で最初のノーベル賞受賞者となった湯川秀樹が「そやそや、そやさかいにやね」という関西弁丸出しの言葉を口にした、ということが強烈でした。
考えて見ると、京都生まれで京都育ちの湯川秀樹が関西弁(京都弁なのか大阪弁なのかについては私には何も言えません)を日常の言葉として使うのは全く普通のことなのでしょう。
I must have done something good.
映画の中の1曲で、タイトルは"Something good"です。
この言葉のどこが印象的なのか、というと、全くの個人的な事情なのですが、歌の歌詞のこの部分を映画を見ていて"聞き取れた"というだけのことです。
私の英語の力では、英語の映画をそのまま聞いて理解できる、というのはまずありません。
しかも、この部分は"must have done"という複雑な(私にとって)構文ですから、普通は聞き取れないのです。
たまたま、英語のヒアリングの教材に、聞き取りの難しい例として"must have done"というフレーズが出てきて、これは通常は"マスタブダン(must'ave done)"の様に発音される、ということを習っていたのです。
"something good"の部分はゆっくり発音されるので問題なし。
というわけで、この部分が聞き取れたことが、とてもうれしかったのです。
ちなみに、私が英語の映画で聞き取れたのは、他には、"0011 ナポレオンソロ"で、主人公のナポレオン・ソロのことを"ナポーリオン"という様な発音で呼んでいた所と、ディズニーの映画"メリー・ポピンズ"の中で、薬を飲むのを子ども達がいやがっていた時に、メリー・ポピンズがなんとか飲ませようと歌っていた歌詞の一部に"medicine go down"と繰り返していた、そのくらいですね。
"ナポーリオン"では聞き取れたことにはなりませんね。
弱い老人も多いが、しかしそれは、何も老人に特有の欠点ではなく、病弱に共通のものだ
老年は青年、壮年より"衰えてしまった"、"悲しむべき"存在という常識に対して、反論する余地があるのだろうか、と思っていましたが、この作品では、実に見事に"老年を弁護"しています。
むしろ、老年の方がいいことがたくさんあるじゃないか、と思ってしまいます。
その一つが冒頭に挙げたフレーズで、老人が弱い、というのは老人であるからというのではなく、病気が原因なのだ、という論法です。
似たような話が漱石の"我が輩は猫である"に出てきます。
登場人物の一人の迷亭が、「今咲いているサルスベリの花が散るまでに"美学原論"という著述を完成させる」、といい、そんなことはできない、と言われて、「自分は見かけによらず意志が強い男だ、できなかったら料理をおごる、できたらおごってもらう」、という約束をしたが、いっこうに著述に取りかからずに、サルスベリの花が散ってしまった。約束をどうするのか、と言われた迷亭は「意志は強いが記憶は弱い。言った次の日には忘れてしまったから、著述ができなかったのは『記憶の罪で意志の罪ではない』。意志の罪でない以上はおごる必要はない。(「漱石全集 第一巻」からサイト管理人による要約)
脱線が長くなってしまいました。
老年について冒頭に挙げた言葉は、「では老年は病気になりやすいという問題があるのでは無いか」と反論できそうです。
ですが、そのような反論を許さない言葉がいくつもあるのです。
たとえば、「老年は体力が衰える」、ということについては、「老年には体力が欠けているか?いや、老年には体力は要求もされない。だからわしらの年輩は法律と制度によって、体力なしでは支えきれない義務からは免れている」と言うのです。
あるいは、「今、青年の体力が欲しいなどとと思わないのは、ちょうど、若い時に牛や象の力が欲しい、と思わなかったことと同じだ。あるものを使う、そしてなにをするにしても体力に応じて行うのが良いのだ。」
もう一つ例を挙げると、老年はより死に近づいている、ということに対して、要約すると、「死はいつ誰に訪れるか分からず、青年の方が死の影響(ダメージ)が大きい」、と語ります。
全般的に、高い知性を感じました。
また、東洋哲学の"中庸の徳"に通じるような印象を受けるところもあります。
キケロはキリストが生まれる以前の人なので、当然ながらキリスト教の影響がありません。キリスト教が広まるより以前は、ギリシア、ローマの知性は東洋の知性と相通じるところが多くあったのではないか、とさえ感じます。
このあたりを調べたらおもしろそうですが、私には難しすぎて手が出せないですね。
この作品の内容の引用、あるいは要約は、下記を参照しています。
キケロー著 中務哲朗訳 老年について 2004年1月 第1刷 岩波文庫 岩波書店
雨飾山(あまかざりやま)という山を知ったのはいつ頃だったかしら
"かしら"です。
このフレーズは以前の記事ですでに取り上げています。
このサイトの記事で検索して見ると、"かしら"は何カ所かで使われていました。自分で書いているのですが、未だに引っかかります。
誰の文章の場合でも、"女性"的な印象を持ってしまうのです。
この「日本の百名山」でもほかで使われている例は見つかりませんでした。
この"かしら"を使うのに"ぴったり"というのでいつも思うことがあります。
源氏物語の冒頭の「いづれの御時にか」について、「いつ頃のことだったかしら」と軽く言う表現です。これでいいのではないでしょうか。
ほとんどの現代語訳では"御代"を使います。"御時"ということから天皇がイメージされるのでしょう。
日本書紀では「何々天皇何年」と書きます。(前の天皇の○年○月○○の日に天皇に即位し改元した、として、元年何月の○○の日にどうした、二年何月の○○の日にどうした、と書き連ねます。
「○○天皇の何年」という形で年を表すのですね。他に言い方がないのです。
源氏物語では、特定の天皇を指すのではなく、漠然とした昔を指すのですから、"どの天皇の御代(あるいは時代)"という表現は必要ないと感じます。
これが実はどの天皇のことか作者も読者もスグ分かるのに、すっとぼけて"どの天皇だったかな"といっている、というなら分かりますけどね。
ところで、この"かしら"ですが、男性が使うことが最近増えてきているような気がするのですが、いかがでしょうか。
「あなたの人生を豊かにする最大の投資エンジン―それは仕事からの収入です。」
サラリーマンを対象とした投資の本はたくさんあります。ほとんどは、各商品(株、投資信託、債券、金など)について特徴を説明するというものか、特定の商品たとえばFXについてそれがどのように優れているかを書く(たいていは欠点に触れずに)というものです。
"自分への投資"についてふれているものも少しはありますが、"自分への投資"も重要です、などど囲み記事などで触れる程度、というのが私の印象です。
本書のように、仕事からの収入が一番大事ですよ、という書き方をしているものは他に見たことがありません。
「サラリーマンをしているが、投資の収入が本業の給与の何倍にもなる」という例が雑誌に載ったりします。
しかし、投資の解説本としてターゲットとするのはそういう例外的な人ではないはずです。
ですから、本業が一番大事ですよ、と念を押すことは、まったく正しいのです。
なお、この著者のこのタイトルの本は私の手元に3種類あります。
「投資戦略の発想法 2001年2月」、「最新版 投資戦略の発想法 2005年8月」、「投資戦略の発想法2008 平成19年12月」です。
奥付を見ると、最初のものは"第1刷"、二番目のものは第1版第1刷、最後のものは初版第1刷としてあります。3冊共に初版の扱いで、版というものをどのように考えているのか分かりません。
だいたい、"最新版"という言葉は意味がありません。どんなものでも出てすぐの時は"最新"なのです。そしていつの間にか"最新"でなくなっても"最新"という言葉が残ってしまうのです。
ちなみに、私が嫌いな言葉として真っ先に頭に浮かぶのは、本の"最新版"とホテル名によくある"ニュー"です。
それで、この3冊ですが、本質的には上に書いたことが同じ表現で書かれています。
さらに付け加えると、消極的なエンジンとして"節約"、積極的なエンジンとして"仕事からの収入"の二つが大事なのですよ、という論点は変わりません。
"節約"と"仕事からの収入"が一番大事、などと書いてあると、「投資の本なのになんだこの本は」と思ってしまうかも知れません。
まさにそのことがこの本に書かれています。
実は、この作者はある銀行の立ち上げに関わり、さらにその銀行の責任者の立場になった後に銀行は破綻(2010年)し、後に有罪判決を受けています。
金融業界で失敗したわけです。
この著者は銀行の経営には失敗しましたが、この本の評価は高いです。Amazonでレビューを見ると、このシリーズは「投資戦略の発想法2010」までの4冊出ていて、評価は星4~4.5です。
【備考】
この記事は、3週間前に95%ができていました。
残っていたのは高橋元吉の詩の部分で、それも書きたいところはおおよそできていて、後は参照できるテキストを探して、正しい言葉を引用するだけだったのです。
ところが、高橋元吉の"鶏"の詩が乗っている本が見つからないのです。自分で持っていた文庫本がなくなっていたことは本文に書きました。
自宅にないので、図書館に行くわけです。
どうもそのとき、詩人の名前を高橋新吉と間違えたようなのです。あのダダイスト新吉です。
「ダダイスト高橋新吉がこのようなとぼけた詩も書いている、そこがまたおもしろいところだ」、などと思ってしまったのです。
高橋新吉の詩を探しても上にあげた"鶏"の詩は当然見つかりません。
市内の一番近い市立図書館で探しても見つからず、さらに二つの市立図書館で探しても見つかりません。
もしかしてネットにあるか、と思い、いろいろと検索しましたが、当然該当するものは出てきません。
県立図書館に高橋新吉全集があり、その1冊が詩を集めたものだ、ということがわかりました。
県立図書館は県内市町村の図書館と連携していて、近くの市立図書館で県立図書館の本をリクエストすると届けてもらえるので、申し込みました。
県立図書館は市町村の図書館との間の本の往復の便が、この市の場合は週に1回あり(以前に聞いた時にそういうことだった)、最悪でも1週間後には本が届きます。
今回、1週間後に本が届いたという連絡があり、市立図書館に行って本を受け取り、帰宅して目的の詩を探しました。
まず、目次から"鶏"にちなんだタイトルの詩を探します。いくつかありましたが、その詩の文章を見ると探していたものとは違います。
結局目次では分からず。
タイトルが違っているのかも知れない、と思い、詩が載っている700ページ余りをすべて探しましたが、見つかりません。
ここに来て、もしかして作者は高橋新吉ではないのかも、という考えが浮かんできました。
「たっかはしさん」ということからその詩人の姓は"高橋"のはずです。
そこで文学全集などを探すと、高橋元吉の名前が出てきました。
その結果、ようやく今回参照した詩が見つかったのです。
高橋元吉と高橋新吉では確かに似ています。
それにしても「ダダイスト高橋新吉がこのようなとぼけた詩も書いている、そこがまたおもしろいところだ」、などというまったくの見当違いのことをどうして思い込んでしまったのか、不思議と言う他はありません。