小品いろいろ


[2017/10/4]

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【15】長い間気づかなかった勘違い三題

あきのみやじま

「あきのみやじま」という言葉はいつ憶えたかはっきりしません。

広島県に"宮島"という大変有名な観光地があって、「宮島を見るのだったら秋が一番いい」ということだと長い間思い込んでいました。

本当は"安芸の宮島"が正しいのですが、ある時それに気づきました。「ああ恥ずかしい」と思う一方、「それにしても紛らわしいよな」と思ったのも事実です。

そもそも安芸国という旧地名を持ち出すのがおかしい。

"あき"と聞いたらまず思い浮かべるのは"秋"です。

しかも宮島が一番魅力的な季節は"秋"のようで、"宮島は紅葉が美しい"、"秋の宮島はとてもいい"というような記事がネットでたくさん検索できます。

その意味では、"秋の宮島"も"安芸の宮島"も正しいともいえます。

「来年は秋の宮島に行きたい」とか、「去年旅をした内では、春の伊豆半島と秋の宮島が特に良かった」とかあり得ますね。

夕べは秋と

新古今和歌集
                太上天皇(後鳥羽上皇)
36 見わたせば山本霞む水無瀬川ゆふべは秋と何思ひけむ

歌の表記は「久保田淳訳注 新古今和歌集 上」による

私は、「昨日の夕方、(今は)秋だと思っていたが、今見ると山の麓が霞んでいるよ(すっかり春ではないか)、水無瀬川が流れていて、とても美しい、昨日の夕方はいったい何を思っていたのかね」、つまり「季節の移り変わりはなんと早いのだろうか」、という意味に解釈していたのですね。

問題は"ゆふべ"です。

"夕べ"。辞書を見ると主に二つの意味があるようです。一つは"昨夜"。「夕べから急に冷え込んできた」などと言います。「夕べの夢見が悪かった」なんて聞いたことがありますね。

昨日の夕暮れ時から今日の早朝に明るくなる前の暗い時間帯、ということになります。

もう一つは夕方。夕暮れ時です。「夕べ見た一番星は」というと昨日の夕方で、すっかり暗くなる前ですね。

このように"昨日の"という限定がつくとは限りません。

「ピアノとバイオリンの夕べ」というと、ある日の夕方です。

いずれにしても一日の日暮れ時前後の時間帯を表現しています。

"夕べ"の意味をまとめると、次のようになりますかね。

1.昨夜(英語の"last night"に相当する)、2-1.昨日の夕暮れ時、2-2.(特定の日に限定されない)夕暮れ時

私は2-1の意味だととらえていたわけです。

「春の夕暮れ時の趣もとてもいいじゃないか」、ということは考えていませんでしたね。

枕草子の一節に「秋は夕暮」とあり、一般に夕方の趣は秋が一番いいと考えられていた、ということが背景にある、ということがいろいろな解説書に書かれています。

でも、いま読み返してみても、"夕べは"と言われたら"昨日の夕方は"、あるいは昨夜は、というように、時間の表現のようにとらえてしまいますね。

蛍の光―明けてぞ今朝は

蛍の光はたぶん小学校から歌い出した(歌わされた)と思います。

「蛍の光、窓の雪」などという外国の故事の歌詞など、意味なんてまるで分かりません。

「いつしか年しもすぎの戸を」はどう書くのがいいのでしょうね。

「いつしか年も[過ぎ=杉]の戸を」こういうのはどうかしら。

いよいよ問題の個所です。

あけてぞけさはわかれゆく

"あけて"はその前で"杉の戸"と言っているのでそれを開けるのでしょう。

"ぞけさ"が"別れ行く"とはなんだろうか。

"ゾケサ"。

"佐渡おけさ"という民謡があります。"ぞけさ"とはそのたぐいのものか。

"あけてぞけさ"。これは"あけてぞおけさ"が縮まったもの。

佐渡とは別の島で、あけてぞ島というところがあり、そこに伝わるおけさ節が"あけてぞけさ"、それを歌うおけさ節集団の人々も"あけてぞけさ"といわれ、"あけてぞけさ"の人々が別れ行く。なんか、こんな印象だったんですね。

係助詞の"ぞ"なんて子供にわかりっこないです。

さらに、別れ行く、という言葉が四段活用で終止・連体同形です。係り結びになっていることが明示されません。

「あけてぞひとはいまわかるる」のようなことばだったら、"分かるる"から何かヒントをえられたのかも。もっとも小学生や中学生ではやはりわかりませんね。

ところで、"かしら"について

「いつしか年も[過ぎ=杉]の戸を」こういうのはどうかしら。」

と上で書きました。

"かしら"という言い方にはちょっと引っかかるものがあります。

最初は"どうかな"という言葉を思いついたのですが、「そういうことを言うのはどうかなと思います」などと、否定的な表現に使われることもあり違うものにしたい。

話し言葉であれば、「どうでしょうか(ね)」などは候補になります。

"かしら"というのは私には女性特有の言葉にように感じてしまいます。

実際、現代国語例解辞典の巻末にある助詞・助動詞解説での"かしら"の項目には「主に、女性に使われる」とあります。広辞苑第五版でも「主として女性が用いる」、日本語大辞典精選版でも「多く女性が用いる」とあります。

永六輔さんは、ラジオのパーソナリティをしていたときに、"かしら"をラジオでちょくちょく使っていて違和感はありませんでした。生まれは浅草なので下町の言葉としては違和感はないのでしょうか。

もう一つ、この"かしら"という言葉で印象的な例があります。山好きの人には定番の深田久弥の「日本百名山」で、その中の「31 雨飾山」は、「雨飾あまかざり山という山を知ったのは、いつ頃のことだったかしら」という印象的な文で始まっています。

使うのにはちょっと難しい言葉です。



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