創作ことわざ
[2021/1/19]-114日目
宇宙の大きさは、いままでいろいろな言い方をされてきましたが、一応は138億年が代表的な値です。
星雲については、距離と移動速度を測定することができますが、遠くの星雲ほど高速で遠ざかっているとされます。
そして、138億年というのは、遠ざかる速度が光の速度に等しくなる距離です。それ以上遠くの星雲は光が届かないのです。
その先は観測できないのです。知りようがないのです。
そして、その138億年先の星雲から見ると、われわれ地球が遠い限界で、反対方向を見ると、やはりさらに138億年先が限界になると私は想像します。
このあたりは、いろいろな説があるようで、たとえば、地球が丸いことがまだ確信できない時代で、船で西へ西へと進んでいくと元の位置に戻る、というように、どんどん進むともとの位置に戻っている、という考え方が可能だそうです。三次元空間が、いわば四次元的に空間が"曲がって"いるのだというものです。
こうなると、想像だけの世界、ファンタジーの世界です。
ですが、138億年先の星雲ではさらに138億年先まで観測できる、ということは、どこまで行ってもその先があるわけです。あくまでも想像の範囲ですが。
宇宙の場合、上下はありませんから、「上を見たら」とか、「下を見たら」ということはあり得ません。
まず、「上をみたらきりがない」というのはおかしなことです。
一番上を見る必要はないのです。
自分の位置から見て、ある程度上のあたりを見て知ることは、自分を伸ばすためにもよいことです。
手が届く範囲を注目すればよいのです。
次に、「下をみたらきりがない」というのもおかしなことです。
下を見る必要はないのです。
あるとするなら、助けを必要とする人がいるかどうか、ということに気を配るだけです。
自分が助けてあげることができると思われる場合には、そうすればいいのです。
下は、自分が目標とするところではありません。だから見なくてよいのです。
最初に書いた宇宙の話のように、見える範囲を、見るべき範囲を見ればいいのです。
究極のところがわからないからと言って、すべてを放棄する必要はないのです。
自分にとって意味がある範囲を見ればいいのです。
自分に縁がないところに気をとられて、足元を見ないのはおかしなことです。
「上を見たらきりがない、下を見たらきりがない」と言う言葉は、現在に疑いを持たず、ただ現状であきらめるという方向に持って行こうとするもので、私は"悪意"を感じます。