創作ことわざ


[2020/12/7]-71日目

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【32】世の中のできごとは、偶然と画策通りと画策の不首尾との混合比率の違いで決まる

世の中のできごとは

世の中のできごとは三つのタイプに分けられます。

偶然の結果、誰かの画策の結果、誰かの画策が不首尾に終わった結果、という三つです。

偶然

まず最初に取り上げるのは、偶然の結果。

誰がしたのでもない。偶然そうなった、というものです。

厳密に考えると、誰がした結果なのか、多くの要素が複雑に絡みあって、原因はこれこれ、と言うことができない、ということまでその範囲は広がります。

たとえば、トランプカードを取り出し、ジョーカーを除いた52枚をよくシャッフルして一列に並べるとします。

何かの順序で52枚のカードが並びますが、その順序はとにかく"偶然"としか言いようがありません。

ですから、その並びが出る確率は、1/(52!) ということになります。

分母の(52!)は巨大な値ですから、1/(52!) はきわめてゼロに近い、つまり、ほとんどゼロです。

パソコンの電卓機能で計算すると、(52!)の値は計算できてしまいます。やってみると、
80,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000,000
という、とんでもない数になります。

この中の一つのパターンが現れたことになります。これは偶然としか言いようが有りません。

偶然としてよいものには、星の配置、稲妻の形、草や木の根の伸び具合、など自然界にはいくらでもあります。

画策通り

これは単純ですね。

古代縄文人は、落とし穴を掘り、イノシシや鹿などの動物を捕らえた、とされています。

穴に落ちたイノシシにとっては、その穴は自然にできたのか、他の何か、誰かが作ったものなのか知ることはないでしょうが、作った人間は、「よしよし、期待通り」と思うでしょう。

古代縄文人は釣りもしたようです。

骨で作った釣り針にエサを付けて釣り糸を垂らし、魚が食いついたら引き上げる。思った通りです。

画策が不首尾に終わることもある

落とし穴を作っても、獣の通り道から外れていたり、魚がいないときに釣り糸を垂らしても、何も獲物はありません。

一か月に一頭くらいは獣が落とし穴に落ちていたり、釣りの獲物が小魚数匹ということも場合によってはあるでしょう。

逆に、間違って人間が落とし穴に落ちたり、食べられない海藻が釣り針に絡まる、ということもあり得ます。

落とし穴に人間が落ちた場合、間違って落ちたのか、憎む相手を落とし穴に落とそうと謀った結果なのか、これはよく調べないと分かりません。

画策する/しない

画策する、ということには「必要な画策(対策)をしない」ということも含まれます。「対策とか行動を行わない、という謀りごとをした」のです。

そのように、積極的に働きかけをしたのです。

混合比率

すべてのできごとは、偶然と画策通りと画策の不首尾との混合比率で考えることができます。

福島第一原発事故について考えてみます。

三陸地方は過去にたびたび津波被害が起こっており、隣の福島県でも津波については対策しなければいけなかったのは確かなことです。

5mまでの津波は対策したが、それ以上の対策はしなかった結果、大事故になったものです。

「地震・津波の専門家グループがその土地の津波の最大は5m」と発表したことを受け、「それを100%信じる」という判断をし、「それ以外の意見は考慮しない」という判断をした結果起こったものです。

5mを超える津波が発生したら大事故になる、という状態で稼働し続け、とうとう15m級の津波に襲われたものです。

まさしく、人間のはかりごとの結果として起こった、と言うべきことでした。


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