創作ことわざ
[2020/10/21]-24日目
これはよく言われる言葉です。
私が現役の会社員時代、しかもその前半の、つまりかなり昔ですが、会社の方針としてこのことを再度徹底する様な話がありました。
たとえば、その時よりずっと後のこと、日立製作所のニュースリリースの中の一つに、次のような一節が見つかります。
・・・・損得より善悪の観点でものごとを判断して行動する・・・・
(日立製作所2017年度4月入社式 社長メッセージ(抜粋) 2017年4月3日)
企業は損得を考えて行動するものですが、善悪の観点を忘れてはいけない、ということだと理解します。善悪だけを考えて損得を全く無視したなら、企業は立ち行きません。
ただし、損得と善悪が衝突するような事態になったら、善悪の判断が優先される、ということで「損得より善悪」という表現になったのでしょう。
それでは、善悪より優先すべきことは何かあるのでしょうか。
いろいろな考え方があると思います。
たとえば、善悪の判断は時に非常に難しいことがあります。単純に"善悪"といって済むわけではないのです。
善と思って行動したとき、他の人はそれを悪と考えるかもしれません。
あるいは、後になって考え直して、「あのときは善だと考えたが、今振り返ると、悪だった」ということがあるかもしれません。
「善かれ」と思って行動したことが、相手にとっては「悪意」と受け取られてしまうとか、「ここまでは許されるべき」と思ったことが、人によっては、「とんでもない、絶対に許されないレベルの悪行」ととらえられることもあります。
たとえば宗教対立が激しい時代、場所ではそのようなことがよくあります。
考えてみると、損得にしても、簡単には済みません。
自分自身、自分の家族、自分が働く企業、自分が属するコミュニティー、などと考えていくと、広くするほど判断が難しくなります。
国家レベルになると、判断の一致は難しくなります。
それに時間軸を加えたら、自分自身についてでさえ難しくなります。
昔はあのように考えたが、今となって考え直すと、○○の観点を見逃していて、今現在苦しい目にあっている、などということは頻繁にあります。
これといった言葉が出て来ないのです。
世の中には分らないことがたくさんあります。
せいぜい人間にできることといったら、「自分にはそのことはわからない、ということを常に認識して、その正しい答えを探し求め続ける」、という"態度"で過ごす程度しかないのです。
人間は過ちをしてしまう不完全な存在です。
「正しいと判断したが、後で誤りだったことが分る」、そのようなときに、「自分は過ちを犯す人間である、しかし、過ちを起こさないように気をつけていたのだ」と考えることが人間のできる限界でしょう。