創作ことわざ
[2020/10/8] 11日目
前の記事で、「昔から続いていること」について、「変えるか、見直す」と言うことを書きました。
今回は「やめる」という選択肢を取り上げます。
「やめる」は「変える」に含めることも可能ですが、また独特の側面があると思われるので、別項目として扱います。
「やめる」ことは、その補償をどうするのか、という大きな問題が伴うのです。
ある企業が製造する製品の一部をやめる、ということは普通に起こります。
やめれば、それだけ売り上げが減ります。もっとも、それが赤字製品であれば赤字がなくなるのですから、有利に働きます。
企業の例で言うと、製品の製造を止めると、いろいろなことが必要になります。
製造を止めた製品でも一定期間はメンテナンスのサポートは欠かせません。これは面倒なことです。
その製品を担当していた開発・製造・検査部門の担当者の多くは仕事がなくなります。配置転換が必要です。でも、どこへ?
多くの場合、一部の製品はやめて、新製品の製造を始めることになるでしょう。そのような場合、新製品は止めた製品を担当していた人が担当することにはつながりません。
新製品は新しい技術を必要とします。従来の製品を担当していた人がそれを担当することは、常にできるというものではないのです。
ある新聞社が紙面編集作業をコンピュータ化するというので、それを見学する機会を与えてもらったことがあります。
業務上のことですが、もう40年以上前のことですから、それについて書いても問題無いと思いますので取り上げさせていただきます。
ここで着目するコンピュータ化は、手書きの原稿をまず文字入力してテキストファイルを作り、それを紙面のレイアウトに合わせて配置する、というものです。
それまでは、原稿(恐らく手書き)を見ながら活字を拾い、紙面のレイアウトに合わせて配置していきます。この作業は、今調べてみると、文選工と植字工と呼ばれる職種の人が行うもののようです。
これがコンピュータ化されたのです。
もはや活字は使わないので、活字を操作する文選工と植字工は仕事がなくなります。
私が見学したところでは、コンピュータ画面でひたすら文字を入力する作業と、レイアウトに合わせて、テキスト文章を配置していく作業が新たに必要になりました。
文選工と植字工を再教育して、文字入力する作業と、テキスト文章をレイアウト配置していく作業に業務内容を変えたということでした。
ということは、省力化にはなっていないのです。人手は同じようにかかるのです。
今になって想像すると、当時はまだ"かな漢字入力"のツールもレベルが低く、またモニターを見ながら文章を対話的にレイアウト配置していくツールも機能レベルが低いので人手が掛かる、ということは織り込み済みだったのではないかと思います。
いずれ、コンピュータ機能の向上により工数を削減できるだろう、という見通しで始めたのではないかと想像します。
これは、ある職種の人が不要になり、別の職種の人が必要になる、という一つの例です。
現在では、このような業務転換、配置転換が難しくなっています。
たとえば、ある企業が家電製品の一部を止めて、新たに金融の分野に進出するとしたら、家電製品を担当していた人が金融の分野で仕事をする、ということは無理です。
金融業の経験者や経済学を学んだ学生を取り込む必要があります。
金融業でなくて、保険とか、医療機器とか、知識・経験の無い人が入っていくのが難しい分野が増えています。
これほど極端でなくても、新しい分野として電気自動車の時代が来ることを想定して、自動車用バッテリーの世界に進出しようとしたら、この分野に精通した専門家を雇い入れる必要があります。
家電製品を担当していた人でこの新しい分野で仕事ができる人はかなり絞られてしまうでしょう。
それでも、「一部の業務はやめにして、新しい業務を発生させる」という判断は不可欠でしょう。
難しい時代になってしまいました。
私の場合、そのような状態になる前に退職したので、人からは"滑り込み"と言われそうです。
現在、現役で働いている人に関しては、大変な世の中だな、と同情せざるを得ません。
もっとも、昔は昔なりに大変なことはありましたね。
いずれにしても、働くと言うことの枠組みがドラスティックに変わってしまうことがあります。そうしないと企業・社会は活動を継続できないのです。
今やっている仕事がこれからずっと続くことは期待できないのです。
やめるべき事が止められずに残っている例をよく目にします。
なぜやめなかったのか。
「怠惰」、「臆病」、「既得権益の保持」の3種類の要因があります。
「既得権益の保持」は、その権益を別の人が引き継ぐことで利益を得る人がいるので、それが圧力になります。
「怠惰」、「臆病」については、これを打破するのは実に難しいですね。
人の精神の一番根っこのところに巣くっているからです。
内容が散漫になってしまいましたが、このままにします。秋田音頭の一節にありますよね。「当たり障りもあろうけれどもさっさと出しかける」と。