日本語のあれこれ日記【33】
[2018/4/13]
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自動詞と他動詞の対応
一つ前の記事で、自動詞と他動詞が音(おん)として対応がとれる場合、4つのパターンに分類できることを示しました。以下のようなものです。
(1)自動詞と他動詞の終止形が同形
(2)自動詞の r と他動詞の s との交替
(3)他動詞に ar/ir を挿入して自動詞化
(4)自動詞に as/os/is を挿入して他動詞化
たとえば"下がる(sag-ar-a/i/u/u/e)"という自動詞は、対応する"下ぐ"という他動詞の"sag-e/e/u/uru/ure"という構造の"sag"という変化しない部分の直後に"ar"を挿入した形になっています。また活用の種類は四段に変化しています。
そこで、"下がる"は、"sag"、"ar"、"a/i/u/u/e"という3つの部分から構成されると考えることにします。
自動詞と他動詞の三部分―"ar"などによる自動詞化
"sag"は自動詞・他動詞に共通で、下向きの移動を意味する言葉と考えられます。「ある人の評価が下がる」、「気温が下がる」などということがありますから、物が下に(重力の働く方向に)移動するだけでなく、抽象的なインジケーター(評価・気温など)が"低い方向に変化する"ということを含みます。
"a/i/u/u/e"はいわゆる活用語尾で、次に続く言葉との接続のための働きをします。これ自身は特別の意味を持つとはいえません。
しかし、上一段活用の"見ば"と"見れば"を比べると、"見ば"は仮定条件、"見れば"は確定条件という違いがあります。それは"れ"の有無に依存するものですから、その点では"a/i/u/u/e"は動詞の働きの環境条件を規定しているものと考えられます。
"ar"は自動詞であることを示しており、これも変化部分と同様に個別の意味を持つものではなく、動詞の意味を限定する働きをします。
"ar"は、"sag"が示す"下向きの移動"に関して、それが実現した要因、誰かの意思によるものとか、自然現象によるものとかを無視して、現れた現象に注目していることを示します。自発的な動作(絡まる、など)とか、ある状態にある(重なる、など)、という様な意味合いを"sag"に追加する働きをするといえます。
この三つの部分について適切な言葉がまだ思いつかないので、"sag"を本体部、"ar"を修飾部、"a/i/u/u/e"を変化部と呼ぶことにします。すでに前の記事の表1~4で使いました。
もう少しうまい表現ができればいいのですが、今後の宿題です。
修飾部とは、本体部の作用を"限定的に修飾する"という意味です。
また、変化部については、活用語尾という言い方をすることが多いのですが、派生文法の考え方では動詞は活用しない、ととらえます。そこで、"活用"という表現はこのシリーズの記事では使わないことにしています。
この記事で分かるように、活用という言葉をつかわないで済ませるのは難しくて、現実には使ってしまうことが少なくありません。
自動詞と他動詞の三部分―"as"などによる他動詞化
たとえば、"暮る"という自動詞に対して"暮らす"という他動詞があります。
"暮るは kur-e/e/u/uru/ure という語尾変化で、"暮らす"は kur-as-a/i/u/u/e という語尾変化ですから、"kur"の次に"as"が挿入されている形です。"ar"の時のように活用も四段に変化しています。
"散る"はどうでしょうか。 tir-a/i/u/u/e という変化で、これを上記のように"as"を挿入して他動詞化すれは、散らす tir-as-a/i/u/u/e となります。
四段動詞には使役の助動詞"す"が未然形に接続することが可能です。その場合、"散らす tirasu"で、上記の他動詞化された"散らす"と同じです。ただし使役の助動詞"す"は下二段型に変化するので、 tir-as-e/e/u/uru/ure という変化です。動詞"散らす"は四段動詞の変化をしますから、"散らす"は使役の助動詞"す"が付いたものではないということになります。
終止形だけでは判断できない例ですね。
本体部について
本体部は原則としては自動詞・他動詞について不変ですが、上記の(2)のタイプにおいては違いがあります。本体部の末尾が自動詞では"r"で他動詞では"s"というように、"r"か"s"の選択です。
このシリーズの記事では、動詞からいわゆる活用語尾などと言われる変化部を除いた部分は子音で終わり、変化部分は母音で始まることを原則としています。
従って、たとえば"成る、"成す"は、"nar-a/i/u/u/e"、"nas-a/i/u/u/e"という構造で、本体部が"nar"、"nas"ということになります。
これとは別に、"nar"、"nas"を"n"が本体部、"ar"、"as"を修飾部とする考え方もあり得ます。そのときには"n"が特定の意味を持ち、それを"ar"、"as"が"限定的に修飾する"ということになります。
しかし、"n"が"成る、成す"の両方の意味を持つもの、とは思えません。"乗る、乗す"、"似る、似す"も同じ"n"が使われますが、"成る、成す"と"乗る、乗す"、"似る、似す"に共通の意味合いは感じられません。
確かに、上一段動詞の2音動詞である"見る"、"乗る"、"似る"をみると、本体部は"m"、"n"の1文字です。しかし、上一段動詞の2音動詞は数が限られていることは、1文字で意味を持たせることに限界があることを示しているように感じられます。
本体部の母音について
本体部の母音について、一つの発見がありました。
一つ前の記事の表1~4に56個の動詞のペアを取り上げています。
本体部の母音を見ると、"狭(せば)まる・狭(せば)む"を除けば、a,i,u,o"の4文字だけであり、"e"がきわめて少ないのです。日本語の最初は"a,i,u,o"の4母音だった(*)という説があるので、そのあらわれと見ることができそうです。
(*)たとえば、沖森卓也著 日本語全史 ちくま新書 筑摩書房 2017年4月 p.47 には次のように書かれています。
日本語の古層における母音は、a、i甲、u、o甲、o乙であって、(中略)さらに古くはこれを除くa、i甲、u、o乙の四母音体系であったと考えられる。
一般的には、責む、照る、召す、愛(め)づ、巡るなどがあるのですが、相対的に少ないというう感があります。もっとも、左の5つの動詞はきわめて基本的な動詞でしょうから、これがなかった時代は考えにくいという気もします。別の音(おん)から変化したものなのでしょうか。
修飾部について
修飾部について最大の興味は、"ar/ir"と"is/os/as"の対応がラ変動詞"あり"とサ変動詞"す"に関係しているのかどうか、ということです。
"あり"は自発や状態を示すことが多く、自動詞的といえます。"す"は積極的に動作を起こす、あるいは使役の意味合いが感じられ、他動詞的といえます。
自動詞的な"r"と他動詞的な"s"があり、動詞の意味を修飾したり、動詞の一部に組み込まれて動詞が持つ意味に関わる、という働きをしている、ということは一考の余地があります。
この記事の冒頭で書いた「自動詞 r と他動詞 s の交替」ということもその一つでしょう。
備考
今回の記事は特にまとまりがありません。まだまだ先が長いですね。