気まぐれ日記 6


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[2012/5/30] 「しぼる」と「しほる」


[2012/6/21] 追記情報が末尾にあり。


和歌文学会が発行する「和歌文学研究」の百二号に、岩佐美代子氏が『「しほる」考』という論文を書いています。

和歌文学研究 第102号 (2011年6月10日) pp.1~12

以下のような内容です(文責は当サイト管理人)。

従来、「しほる」に対して、「絞る」という動詞を当てはめて、「涙に袖を絞る」のように詠んできた。

しかし、小西甚一氏によって、「しほる」という動詞との対応が指摘され、従来、「絞る」と解釈されてきたもののある部分は「しほる」と解釈すべき、との説が提起された。

たとえば、「鎧の袖をしほる」については、「絞る」と読むのはむりで、「しほる」以外に読み方はない。

だが、この説があまり採用されないのはおかしいではないか。


確かに、「鎧の袖を絞る」、では、いくら誇張表現としてもおかしいですね。

"鉄人28号"のイメージです。いや、これは古い。"ガンダム"と言い換えたほうがよさそうです。


岩佐氏の論文では、日本国語大辞典 第二版 を引いておられますので、まずそれを見てみました。

「しおる」の項は以下のようになっています(改行は筆者による)。

「しおお(しほほ)」、「しおたれる(しほたる)」などとの関連が考えられる。

従来「(袖・袂の涙を)しぼる(絞)」と解されていたものの少なくとも一部は「(涙で袖・袂を)濡らす」の意で、「しほる(霑)」の用例と見なすべきだとする説が有力になっている。

多くは清濁を区別した表記がされていないため、「しぼる(絞)」か「しほる(霑)」かは確定できないが、「古今集」の歌には「しほる」が読み癖になっているものがあるし、「泰時も鎧の袖をしほる」〔増鏡‐二・新島守〕という例は、「鎧の袖」であるから「しぼる」より「しほる」が自然であろう。

”しお・る[しほる]【霑】”, 日本国語大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://yw.jkn21.com>, (参照 2012-05-30)

岩佐氏は、「その『語誌』に小西論にもとづくものと思われる長大な解説を加え」とかいておられます。


その点では、同じ小学館の『古語大辞典』では、さらに踏み込んだ解説になっています。なお、こちらは見出しが歴史的仮名遣いであり、「しおる」は「しほる」になります。

中田祝夫・和田利政・北原保雄 古語大辞典 小学館 1983年12月10日 第一版

「しほり」の項の「語誌」欄

・・・・湿めるの意の動詞「しほる」の存在から、実は「しほり」で、表現がしっとりした趣であることを指したものとする説があり、傾聴に値する。・・・・

「しほる」の項の「語誌」欄

・・・・小西甚一説に従って、濡れる意の動詞「しほる」があったと考えるべきである。


古語大辞典の方がずっと積極的で、「傾聴に値する」という、まず普通の辞書の解説文では見られない表現をしたり、「小西甚一説」などと個人名を出したりと、大胆です。

この辞典の「後書」では、企画から刊行まで20年かかったということが書かれています。

「企画が緒についたのは昭和三十八年」とあるので、それが1963年のことで、第一版が出たのが1983年です。

一方、この辞書の末尾にある「参考文献一覧」(これが載っているのもまずほかにないでしょう)に、上記の小西甚一氏の論文が3本取り上げられ、一番古いのは 1966年のものです。

企画が始まって3年後ですから、企画案がまとまってきて、編集作業に取り掛かろうという頃だったのでしょうか。

私は、どうしても編集者・執筆者の「意気込み」というものを感じてしまいます。

この辞書の語誌欄は大変面白く、読み応えがあります。

私は、オンラインデータベースの"ジャパンナレッジ"を契約し、日本国語大辞典(第二版 2001年)をいつでも参照できる体制にしたため、この古くて(1983年ですから日本国語大辞典第二版の18年前で、今から29年前)重い(B5判で1936ページ、3.1Kgもある)古語大辞典は処分してもいいのかも、と思いました。

どうやら、手放せませんね。

後になって、縮刷版(コンパクト版と称されています)が出たようですが、どちらも今では絶版のようです。


[2012/6/21 追記]

小西甚一氏による古語辞典を入手しました。基本古語辞典(大修館書店)です。

まず来歴を確認すると、「本書は、昭和51年発行の三訂版に対して、二色印刷を一色にし、前書きをあつめただけである」となっています。つまり、内容は昭和51年発行時のまま、ということになります。

期待しつつ、「しほる[湿る]」の項を見ると、さすが、この論の"張本人"だけあって、とても詳しいです。

以下、辞書の内容を手短かに"要約"します。

【一】[自下二](1)ぐっしょり濡れる

(2)表現がしっとりしている

(3)悲嘆にくれる

【二】[他四]濡らす

【三】[自四](蕉風俳諧で)「しほり」と呼ばれる表現だ

本当は説明はもっともっと詳しく、用例も豊富です。ぜひ原著をご覧になってください。

【三】の内容はこれだけでは理解しようがないのですが、悪い辞書の典型と言われる"言いかえ"の類では決してありません。

「しほり」の項を見てみます。

(蕉風俳諧で)「さび」「ほそみ」「かるみ」とならび、重要な表現理念の一。その意味は、まだ明確にされていない。従来は「撓(しを)り」すなわち表現にしなやかな曲折のあることだとする説が有力だけれど、信頼できるテクストはみな「しほり」で、疑問がある。「湿(しほ)る」(「しっとりする」の意)と同源の語で、しんみりした趣のある意ではないかとも考えられる。


これだけきちんと解説されると、どんな言葉も出ません。



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