気まぐれ日記 3


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[2012/5/1] 古文での動詞「来(く)」


和泉式部日記を読んでいて、「ただ今、参り来ばや」というところがあり、「行く」というところで「来」を使っていました。「アレ、英語と同じ発想じゃないか」、と思い、調べてみました。


(1) 「・・・・たゞ今参り来ばや」とあり → 「・・・・すぐにでも伺いたいものです」と書いてある (岩波文庫 和泉式部日記 P.86)

(2) 御文あり。「おぼつかなくなりにければ、参り来てと思ひつるを、・・・・」 → お便りが届いた。「ご無沙汰してしまいましたので、お伺いして、と思ったのですが、・・・・」  (岩波文庫 和泉式部日記 P.89)

現代語訳は、「増補版 全講和泉式部日記 円地文子 鈴木一雄 至文堂」を参照しました。


ここでは、来(く)という動詞が、現代語では「行く」を使う場合に使われています。

このような「来(く)」の用法は、古語辞典に説明されていて、特別なことではないようです。

角川 全訳古語辞典  (視点を相手側において、自分がそちらに)行く
例文 いまこむといひしばかりに長月の有り明けの月を待ち出でつるかな(古今691)

あとで気がつきましたが、このサイトでも、似た文例を取り上げていました。「その他いろいろな小品」

万葉集(527) 来(こ)むといふも来ぬ時あるを来じといふを来むとは待たじ来じといふものを

もっとも、こんな込み入った例文は辞書にのせるわけにはいかないですね。


面白いのは、英語の語法に似たところがあることです。

英語では、電話で "I'm coming" と言えば、「今(そちらに)行くよ」というようなニュアンスになります。

中学の英語で、come は日本語の go の場合にも使われる、と教えらます。
たとえば、「表現のための実践ロイヤル英文法(旺文社)」 p. 36 では、(英語が)日本語と発想が違うために誤りやすいもの という分類の最初の項目に"come と go"があげられ、"I'll come to see you tomorrow." が例文としてあげられています。

英語のcomeの用法は、"現代日本語とは発想が違う"が、"古典日本語とは発想が似ている"ということですね。



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