気まぐれ日記 14


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[2014/7/30] 枕草子 第32段 網代ははしらせたる

このほど、3泊4日の手術入院をすることになり、時間が余るだろうと思い、枕草子と古今和歌集の2冊の文庫本を持参しました。

手術自体は深刻なものではなく、空き時間にこの二冊を結構細かに読むことができました。その中で、枕草子の中に困った一節を見つけてしまいました。

枕草子 第32段

檳榔毛(びらうげ)はのどかにやりたる。いそぎたるはわろく見ゆ。
網代ははしらせたる。人の門の前などよりわたりたるを、ふと見やるほどもなく過ぎて、供の人ばかりはしるを、誰ならんと思ふこそをかしけれ。ゆるゆると久しくゆくはいとわろし。

枕草子 池田亀鑑校訂 岩波文庫 2010年4月26日 第65刷発行 岩波書店

ここでは、「網代ははしらせたる」とし、さらに、「ふと見やるほどもなく過ぎて、供の人ばかりはしる」とあります。

「あっ、牛車だ」と思った時にはもう通り過ぎてしまうくらいに早く、しかも、「供の人は走る」のです。お供の人が牛車に遅れないで進むためには「走る」事が必要なのです。

本当にそのように速いのでしょうか。

実は、このシリーズの "気まぐれ日記 9" で、「牛の歩みはかなりゆったりしたものです」、と言うことを書いていたのです。

網代車が「走る」となると、考え直す必要が出てきます。

実際、いろいろなところで、牛車は遅い、ということは書いてあります。

牛が早く走る、というのはどういう場合だろうか、と考えて見ると、スペインの牛追い祭りを思い出しました。テレビのニュースなどで何度か見ましたが、牛は、とっとっとっとっ、という感じで、確かに走ってますね。でも、何を引いているわけではありません。

網代車を引きながら走る場合、問題が二つあります。

網代車はそれ自体重いですし、人が乗るわけですから更に重いです。とっとっとっとっ、というわけにはいかないのではないでしょうか。もう一つの問題は網代車の機構のことで、路面からくる振動を吸収するスプリングの様なものがありません。単なる木製の車輪に人が乗る箱が付いたものです。もしこれを引いて牛が走ったとすると、振動が激しくて人は乗っていられないでしょう。また、道路の凸凹による衝撃で、網代車はすぐに壊れてしまうでしょう。

重さの点と、振動に対して網代車が耐えられない、という二点から、網代車が「走る」のは無理だろうと思われます。

では、この32段に書かれたことは何を指しているのでしょうか。

当面は研究課題ということにしておきます。



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