どこにも、いつでもあるサムライ精神
[2020/11/11]
【40】どこにも、いつでもあるサムライ精神
現在の米国では、大統領選挙の開票結果が出て、敗れたトランプ現大統領は訴追を仕掛けています。そのような時に、「ワクチン開発の発表を投票日の4日後に遅らせたのは、ファイザー社が反トランプの立場から、ワクチン開発成功の発表をわざと投票日より後にした」と避難した、と報道していました。
これに対し、ファイザー社側は「政争にまきこまれたくなかった。だから政府資金も受け取らなかった」と発表したそうです。
これを聞いて、「これぞサムライ精神」と思いました。
「サムライ精神」という言葉は好きではないのですが、その言葉が浮かんだのです。
新しいワクチン開発は、想像するに、かなりの費用を必要とするのでしょう。
政府としても優先度の高い事業ですから、資金を提供するでしょう。
でもそうなると、特にトランプという特殊な大統領の下では、利用される可能性も高い。
そこで、金は欲しいが我慢する、という道を選んだようです。
論語の本を手にするのは久しぶりでしたが、ふたたび目を通し始めました。その中に次の様な一節があり、大変感動しました。
子の曰わく、孟子反(もうしはん)、伐(ほこ)らず、奔(はし)って殿たり。将に門に入らんとす。其の馬に策(むちう)って曰わく、敢えて後れたるに非ず、馬進まざるなり。
先生がいわれた、「孟子反は功を誇らない。敗走してしんがりをつとめたが、いよいよ[自国の]城門に入ろうとしたとき、その馬をむちでたたいて『後手(うしろで)をつとめたわけではない。馬がはしらなかったのだ』と言った。」
合戦で敗れて城に逃げ帰るとき、その最後尾を"しんがり"と言います。相手が追いかけてくるのですから、もっとも危険な立場です。
少なくとも日本の合戦では、殿が「○○、そなたはしんがりをつとめよ」と命令するか、あるいは、「われら○○隊がしんがりをつとめます故、殿はすぐに御帰城なされよ」などと、自ら志願する場合だと思っていたのですが、この論語の文章からは、誰が"しんがり"になるかはっきりしない状態で、いわば成り行きまかせのようです。それだけ追い詰められてしまっていたのかもしれません。
孟子反というひとは、自分で"しんがり"を買って出たようです。しかし、何も言いません。
仲間に対しても、「自分は"しんがり"をつとめた訳ではない。馬が走るのが遅いので一番最後になっただけだ」というのですね。
危険な役目を志願して果たし、そしてその功を認められることさえ避ける。
いかにも、日本的な英雄像と言いたいところですが、これは中国の話で、紀元前484年(注釈による)ですから、いまから2500年以上昔のことです。
古代中国でも、現代の米国でも、サムライ精神は生きていて、多くの人の共感と尊敬を得ている、ということに、「人の気持ちは共通」ということを感じさせられました。
洋の東西を問わず、また昔も今も、ある種の生き方が共感と尊敬を呼び起こすことがある、と言えますね。