日本語のあれこれ日記【38】

原始日本語の手がかりを探る[29]―1音動詞

[2018/6/14]


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動詞のリストを元にいろいろと考えています。

今回は1音動詞です。

サ変動詞"す"、カ変動詞"来(く)"、"得(ウ)"、"寝(ヌ)"などです。

どれだけあるか

動詞のリストには終止形を仮名表示している項目があります。それが1文字であるものを抽出します。

表1 1音動詞のリスト

仮名表記 漢字表記 自動詞・他動詞 活用の種類 活用形
下二 e/e/u/uru/ure
カ変 k-o/i/u/uru/ure
下二 k-e/e/u/uru/ure
サ変 s-e/i/u/uru/ure
サ変 s-e/i/u/uru/ure
下二 d-e/e/u/uru/ure
下二 d-e/e/u/uru/ure
下二 n-e/e/u/uru/ure
上二 h-i/i/u/uru/ure
下二 h-e/e/u/uru/ure

自動詞・他動詞が同じ音(おん)、同じ活用の種類の動詞

自動詞と他動詞が同じ音、同じ活用の種類という形で存在するタイプの動詞が二つあります。

為(ス)と出(ヅ)です。

自動詞と他動詞は、意味を分類する上でグループ化したもので、言葉の本質にそれほどの違いはない、と私は考えます。

そこで、自動詞・他動詞が同音で活用形も同じ場合には一つにまとめる、という扱いかたにしたいと思います。

(1)為(ス)

他動詞の"為(ス)"は明らかで、何かの行為をする、という事です。

自動詞の為(ス)については、たとえば「音がする」という場合は自動詞ですが、これは誰かが、あるいは何かが音を出したという点を無視して、結果として音が"聞こえた"という状況です。

辞書では、たとえば「広く行為、状態を意味する」(三省堂全訳読解古語辞典)などというように、自動詞、他動詞を総合して解説しています。

(2)出(ヅ)

出(ヅ)は、これはこれでいろいろと議論が出ます。

まず、他動詞形があるかどうかです。

この文例としては、多くは万葉集第十四巻 3376番歌が引用されています。

恋しけは袖も振らむを武蔵野の受けらが花の色に出(ズ)なゆめ

しかし、それを自動詞として取り上げるもの(小学館古語大辞典、小西著基本古語辞典)、他動詞として取り上げるもの(三省堂・全訳読解古語辞典、角川全訳古語辞典)とバラパラです。

前者の二つの辞書は"づ"については自動詞のみを上げていて、後者の二つは自動詞、他動詞の両方をあげ、他動詞の文例として上記の万葉集の3376番歌を引用しています。

また、"出(づ)"は"出(イ)づ"の短縮形(先頭のイが抜けたかたち)と言われます(三省堂・全訳読解古語辞典、角川全訳古語辞典)。

ということはまず"出(イ)づ"があって、のちに"出(づ)"という省略形が出現した、ということになります。

ですから、もっともオリジナルな日本語では"出(づ)"はなかったものと想像できます。

では、オリジナルな日本語を考える時には"出(づ)"はないものとしていいか、というと、まだそこまでの決断はできません。

日本語の長い歴史の中で、文字が導入されたのはそれほど古い時代ではありません。

文字というものが日本語の世界に持ち込まれたときには、すでに多くの変革が成されていて、その結果だけが文字の恩恵にあずかることになりました。

文字がない時代のことは記録されなかったわけです。

文字を用いて書かれた初期の文献である万葉集の時代にすでに"出(イ)づ"から出た"出(ヅ)"が使われてしまっていますから、"出(イ)づ"から"出(ヅ)"が分離独立した経緯が記録に残っていないのです。

ということで、"出(づ)"は当面は残しておくことにします。

考えてみると、"出(づ)"という動詞一つをとっても考えなければいけないことが実にいろいろとあるものです。

自分がまだ知らないことがいかに多いか、と言うことをしみじみと感じさせられます。

そのほかでは、消(ク)も問題で、用例のほとんどは連用形"消(ケ)"である(古語大辞典、日本語大辞典 精選版)ということです。

さらに、用例の多くは完了の助動詞"ぬ"を伴った"消(ケ)ぬ"という形である、と書かれています(古語大辞典)。

時代をさかのぼるほど用例は少なくなりますから、判断は微妙なものになってきます。

表1をすこしだけ整理します。

表2 整理した1音動詞のリスト

仮名表記 漢字表記 自動詞・他動詞 活用の種類 活用形
下二 e/e/u/uru/ure
カ変 k-o/i/u/uru/ure
下二 k-e/e/u/uru/ure
自・他 サ変 s-e/i/u/uru/ure
自・他 下二 d-e/e/u/uru/ure
下二 n-e/e/u/uru/ure
上二 h-i/i/u/uru/ure
下二 h-e/e/u/uru/ure

四段、ナ変、ラ変の動詞はないのですね。上一段もありません。

"来(ク)"と"為(ス)"というきわめて普遍的・基本的な変格活用の動詞の他は、上一段の"干"以外の五つが下二段です。

このあたり、なにやら"原始日本語"の手がかりがありそうな気もしますが、まだ何も分りません。

1音動詞の世界―生き延びたわけ

動詞の活用形でもっとも出現頻度が多いのは連用形と言われています。

そのことを重視して、岩波・古語辞典では連用形を見出しにしています。他のおそらくすべての辞書が見出しは終止形という原則を守っていながら。

それで、連用形を見ると、表2の動詞の連用形は一つも重複していないのですね。未然形も同じです。

上一段、下一段動詞が含まれていないこともあって、表2では終止形はすべてウ段で、r音はありません。

また、連体形・已然形は子音(動詞"得"は子音なし)に"uru"、"ure"が付く形です。

1音動詞というのは、本来はどうしても紛れやすいと思います。

しかし、このようにして、少なくとも1音動詞の間では紛らわしいことが実にうまく避けられていることが分ります。

日本語では、未然形、連用形で区別できればそれで十分である、という意識が働いていたのでしょうか。

"コ"、"キ"であれば"来(ク)"、"ケなら""消(ク)"と区別できるので、終止・連体・已然の活用形は区別できなくても良い、と言うことなのでしょうか。

同様に、"ヒ"なら"干(フ)"、"へ"なら"経(フ)"という区別で十分だったのでしょうか。

というよりも、"コ"、"キ"と聞けば「誰かがこちらに向かっている」というイメージがわき、"ケ"と聞けば「(火などが)消えている」と理解するのでしょう。

"ヒ"と聞けば、「どこかで何かが乾燥したんだ」と思い、"ヘ"と聞けば「時間・日が経過したのだな」と思ったのでしょうね。

命令形はこのシリーズの記事では除外していますが、命令形を考えるともう少しわかりやすいです。

たとえば、夜寝る時間に誰かが火を指さして"ケ"と言えば、近くの人は「火が燃えているから"消せ"と言われた」、と考え、夕方、誰かが囲炉裏を指さして"ケ"と言うので見たら火が消えていたら、その人は「火が消えているから火をつけろと言われた」と感じるのでしょう。


このようなことは、時代は後になりますが、「御格子参(まゐ)る」にあります。

御格子に対して「参(まゐ)る」とは、格子を上げる、下げるのいずれかを意味する、というものです。

「御格子参(まゐ)れ」と言われたら、格子を見て上がっていれば下げる、下がっていれば上げる、という指示です。

紫式部日記の初めのあたりに出てきます。

この部分については以前に他の記事で触れています。

まだ夜深きほどの月さしくもり、木の下をぐらきに、「御格子まゐりなばや」「女官はいまださぶらはじ」「蔵人まゐれ」

一般的に考えれば、昼の仕事が夜遅くなって、格子が上げたままだったのに気づいて「下げよ」といったのか、あるいは夜になって一旦寝た後で、翌朝早くにまだ下がっている格子をもうそろそろ「上げよ」と言ったのか、両方の可能性があります。

この場面に限っていうと、ここでの「まゐれ」とは"上げる"と解釈される、と解説されています。

いずれにしても、言われた人は格子が上がっているか下がっているかを見れぱ、どちらを指示されたのかは明快なのでしょう。


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