考えてみると=まじめ編=原発=


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【4】全交流動力電源喪失は考える必要はない―安全設計審査指針―について (2012/6/6)


「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」

東京電力福島第一原発のこのたびの事故について、その原因追及が進んできています。

ここで取り上げる問題は、「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」です。


1970年(昭和45年)4月、当時の原子力委員会が、「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」を定めた。

1977年(昭和52年)6月、その内容を全面的に見直して改定した(文言は、1990年(平成2年)の大改訂版に従う)

1990年(平成2年)8月、原子力安全委員会がその内容を全面改定した


この全面改定に至る間に、米国のスリーマイル島原発事故(1979年)、ウクライナ共和国のチェルノブイリ原子力発電所事故(1986年)当の深刻な事故が発生しています。


現行の内容はネットで容易に読むことができます(2012年6月5日時点)。

http://www.nsc.go.jp/shinsashishin/pdf/1/si002.pdf#search='発電用原子炉施設に関する安全審査指針'

内容は以下のようになっています。

私が問題視する部分を原文そのままに抜き出したものです。

Ⅰ.まえがき
Ⅱ.本指針の位置付けと適用範囲
Ⅲ.用語の定義
Ⅳ.原子炉施設全般

指針27.電源喪失に対する設計上の考慮
原子炉施設は、短時間の全交流動力電源喪失に対して、原子炉を安全に停止し、かつ、停止後の冷却を確保できる設計であること

Ⅴ.原子炉及び原子炉停止系
Ⅵ.原子炉冷却系
Ⅷ.安全保護系
Ⅸ.制御室及び緊急時施設
Ⅹ.計測制御系及び電気系統
XI.燃料取扱系
XⅡ.放射性廃棄物処理施設
XⅢ.放射線管理

解 説
本指針を適用するに当たって、運用上の注意を必要とし、又は指針そのものの意義、解釈をより明確にしておく必要があると考えられる事項について、次にその解釈を掲げることとした。
指針2.自然現象に対する設計上の考慮
「自然力に事故荷重を適切に組み合わせた場合」とは、最も苛酷と考えられる自然力と事故時の最大荷重を単純に加算することを必ずしも要求するものではなく、それぞれの因果関係や時間的変化を考慮して適切に組み合わせた場合をいう。
指針9.信頼性に関する設計上の考慮
上記の動的機器の単一故障又は想定される静的機器の単一故障のいずれかを仮定すべき長期間の安全機能の評価に当たっては、その単一故障が安全上支障がない期間内に除去又は修復できることが確実であれば、その単一故障を仮定しなくてよい。
指針27.電源喪失に対する設計上の考慮
長期間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない
非常用交流電源設備の信頼度が、系統構成又は運用(常に稼働状態にしておくことなど)により、十分高い場合においては、設計上全交流動力電源喪失を想定しなくてもよい

全交流動力電源喪失は考慮する必要はない

長期間にわたる全交流動力電源喪失は、....考慮する必要はない。

・・・・・・・・

これは安全基準なのです。

しなければいけないことと、してはいけないことを書くものです。


どこの世界に、しなくてよいことを安全基準に盛り込む人間がいるのですか。


真実は、次のようなことではないかと想像します。

誰かが、「長期間にわたる全交流動力電源喪失を考慮しなければならない」、と主張した。
これに対して、電力会社(対策する当事者なので)から反対が出た。
結局、「考慮する必要はない」ということで押し切られた。
この件で将来問題が出ても、電力会社が責任を取らなくてもいいように、基準に明記した。

安全対策はお金がかかる。低コストが目的の原子力発電では、安全対策をどこまで抑制してよいか、が大事であり、発生することが考えにくいことまで対策していたら、低コストにならないではないか。

こういうことですね。

大津波が発生する可能性については、東京電力福島第一原発だけではありません。みんなが発生しないだろうと思ってきたのです。

そうでなければ、今まで津波で壊滅的な被害を受けた三陸地方で、海岸近くに家を建て、町を作るはずがありません。

安全対策にはお金がかかる。これは事実です。

身近なことでは、セルフサービスのガソリンスタンドがあります。
客が給油するのだから、人件費が節約できるはずです。ところが、ガソリンの価格は、店員が給油するところと、セルフサービスのところで差が少ないのが現実です。

店員が給油する店の一番安いところは、セルフサービスの店より安いことが多いようです。
セルフサービスの店は、なれない客が給油するのだから、安全対策をしっかりとやる必要があります。
また、緊急時の対応を考慮すると、店員をあまり減らすこともできません。

法的に厳しい規制があると聞いています。その結果、セルフサービスであってもそれほど安くはできないのだそうです。


暗黙の了解があった

別の朝日新聞の記事が見つかりました。

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103300512.html

原子力安全研究協会の松浦祥次郎理事長(元原子力安全委員長)は「何もかもがダメになるといった状況は考えなくてもいいという暗黙の了解があった。隕石(いんせき)の直撃など、何でもかんでも対応できるかと言ったら、それは無理だ」と話す。

「暗黙の了解」などという言葉をいま言うのか、と愕然としました。

日中戦争、太平洋戦争で、日本軍の問題点を議論するときによく出てきましたね。

隕石が落ちて来ることに対して、対策することは無理だ。
なるほど。では、そうなったらどういうことになるのですか。

ないことにするというのは無責任ですよ。

たとえば、東京都庁とか霞ヶ関の庁舎を隕石が直撃したとしましょう。

大きな隕石は観測網ができているから、事前に検知して、そこに働く人々や周囲の人々の多くが避難できそうです。
仮に、事前予測できなかった場合、多くの人命が失われるでしょう。

でも、現在の技術で前もって予測できないような隕石が直撃した場合、誰かが責められることはないでしょう。

それでどうなるか。

今の時代、データベースは遠隔地にバックアップがあって当然です。していなかったら、怠慢ですね。

庁舎が隕石により破壊されたなら、やがて仮庁舎が建てられ、データベースが数日前の段階まで復旧し、都庁の業務は次第に回復していくと予想できます。

原発が直撃を受けると、半径10Kmとか20Km以内に住む人が避難しなければならず、何年もの間、あるいは半永久的に、立ち入りできなくなる地域が出るのです。
そして、放射能汚染は、数100Kmの範囲に及び、都市だけでなく、田畑、森林、海洋に影響する。
こう考えると、原発とは、本当に厄介なものだとつくづく思います。

高さ15mの防潮堤を作るといいます。では、20mの津波が来たらどうなるのでしょうか。

そんなことをいったら何もできないではないか、というのですか。

対策を無限に行うことは現実的ではない。

だが、最低限、どうなるのかということを考えるべきではないですか。


限界試験

限界試験というものがあります。


部品によって、耐久性が5年とか10年とかの要求仕様があります。

10年なら10年持てばよい。10年持つことを確認する試験をすればよいのです。

限界試験では、10年持つことが確認できたときに、そこで終わりにしないで、何年で壊れるのか、壊れるまで試験するのです。

15年持っても、20年持っても、必要な耐久性があるのだから差はありません。
しかし、すべての部品が15年持つのであれば、全体として15年の耐久性をアピールできるということがわかります。

他の部品が15年で一つだけが10年であるとき、余裕がありません。その10年の部品が最初に壊れる可能性が高いのです。

他の部品の耐久性が10年で、ひとつだけ20年だったとすると、その部品の耐久性能を少し下げて価格を下げることができるかもしれません。

顧客はその方を喜ぶかもしれません。


茨城県東海第二原発に高さ17mの防潮堤を作る計画が取りざたされています。では高さ50mの津波が来たらどうなるのでしょうか。

津波の直接的な被害としても、300万の県民の1/3の100万人が死亡するかもしれません。周囲の都県はどれだけの被害が出るのでしょうか。

高さ50mの津波が来たら、とんでもなく大きな被害が出ます。それでは、15mの津波なら、17mの防潮堤により問題は起きないのでしようか。20mだったら防潮堤を乗り越える海水で何が起こるのでしょうか。25mだったら。


なるほど、隕石が直撃したときの対策は難しいです。
問題は、そのことを誰も考えていないことではないでしょうか。

難しい問題は、考えることをしない。
口に出す人がいると、けしからん、と攻撃する。

これが最大の問題点であるように思います。


神話となった「日本は官僚がしっかりしているから、政治家が頼りなくても大丈夫」

上記に、元原子力安全委員長のコメントを引用しました。ついでですが一言。

原子力安全委員長が攻撃のやり玉に挙がっています。

古いことですが、30年くらい前からずっと、「日本は官僚がしっかりしているから、政治家が頼りなくても大丈夫」という話を聞いてきました。

今回の原発事故の対応で、官僚がいかに頼りないか、無責任か、ということがわかってしまいました。
でも、今、原子力安全委員長が攻撃されているのをみると、原子力安全委員長を選任し、原子力安全委員会の活動をコントロールし、自分の思うように操ってきた官僚は、霧の中にうまく隠れているな、と感心します(寒心と書いた方がぴったりしますが)。

官僚の中で、責任感を表明した人は見当たりません。
なるほど、保身という点では、官僚はずいぶんとしっかりしていますね。

ちゃんとスケープゴートを用意してあったということです。


ついでですが、と書いておいてさらに書きたすのも何ですが、

"スケープゴート"は、"エスケープゴート"だといままで思いこんできました。

辞書に"エスケープゴート"が載っていないので、調べていて、"スケープゴート"が正しいとわかりました。

多くの辞書は、他人の罪をかぶる、みがわり、いけにえ、などと説明されていますが、広辞苑はちょっと驚きの説明です。

スケープゴーツ
民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代わり。責任転嫁の政治技術で、多くは、社会的弱者や政治的小集団が対象に選ばれる。

広辞苑第三版 編者 新村出 岩波書店

「民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代わり」とか、「責任転嫁」とか、「弱者が対象」とか、私が感じたこととぴったり一致します。

ちなみに、大学教授は研究費不足にあえいでいる、という点では弱者であるという側面があります。

それにしてもここまで書くとは。新明解国語辞典並ですね、まだ調べていませんが。

第三版という30年前の版ですので、最新の版でどう変わったかも気になります。

⇒最新の第6版でこの項目をざっとみてみると、変わっていませんでした。この説明が妥当である、と判断しているようです。
以外に大胆ですね。



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