小品いろいろ
[2025/11/30]
【58】途中で決まり事が変化したという思い出
今では誰でも細胞は"さいぼう"と読んでいると思います。
私の記憶では、最初は"さいぼう"と読んでいたのが、ある時教師に、「細胞は"さいほう"と読むのが正しいので、これからは授業では"さいほう"と呼びます」と言われたのです。
ですが、いままでずっと"さいぼう"と呼んでいたので、いつのまにか、なし崩し的に"さいぼう"に戻ってしまったという思い出です。
これについてはネット上で解説記事(木材解剖学用語集 主な変更点)を見つけました。
記事の一部を引用します。
「細胞」は元来「さいほう」と読むものであった(「胞」には本来「ぼう」という読みはない)。1956年の文部省学術用語集植物学編、1975年の現行組織用語集では、読みは「さいほう」である。しかし、世の中で徐々に「さいぼう」という読みが広がったとおもわれ、1990年の文部省学術用語集植物学編では「さいぼう」とされ、(以下省略)
このように明確な記述があり、私の記憶は間違ってはいないようです。
私が想像するに、「細胞」を"さいぼう"と呼ぶことが増えてきたので、文部省(当時)は「"細胞"は"さいほう"と呼ぶのが正しいのである」という通達を出したのではないでしょうか。文部省学術用語集などの文書で"さいほう"と一度は規定していても、世の中の趨勢は"さいぼう"が大多数を閉めている現状を見て、変更したのではないでしょうか。
では、なぜ"さいぼう"なのでしょうか。生物学でも、"胞子"は"ほうし"と濁りません。同胞も"どうほう"で濁りませんね。
漢和辞典を見ると、"胞"は漢音は"ほう"ですが、呉音は"ぼう"です。でも"ぼう"は「細胞」意外には見当たりません。
裁縫が"さいほう"であり、混同を避けたのでしょうか。
連濁なのでしょうか。でも同胞も"どうほう"と連濁にはなりません。
"小川"が"おがわ"と読むように、連濁はかなり強い傾向で、"アマゾン川"も"あまぞんがわ"と濁ります。
"川"はほとんどが連濁になる様で、濁らないのは"大川(おおかわ)"と"荒川(あらかわ)"くらいしか思いつきませんでした。
あらためて地図帳を眺めると、濁らないケースとして紀ノ川がありました。大川、荒川と並べて考えると、始めに和語があると連濁がないのか、とという考えが出てきますが、"和語+川"という形式でも、吉野川、熊野川、淀川、大井川など連濁しないのが多いです。
島も連濁により"じま"になることが多く、例外はここでも大島があります。伊豆大島、奄美大島など"しま"と濁りません。伊豆諸島で言うと、八丈島、三宅島、新島などが"じま"ですが、利島(としま)、青島(あおしま)など濁らない例もあります。
大島は濁らず、小島は濁る、というのはどういうことなのでしょう。中島は濁る場合と濁らない場合がありますね。
川島は濁らない場合が多いようですが、埼玉県川島町は"かわじま"と濁ります。
「多くの島々」という場合、"しまじま"と連濁します。
淡路島、小豆島、種子島、屋久島、佐渡島など、濁らない場合も結構ありますね。島ではありませんが、広島、鹿児島、徳島も、県名、市名ともに濁りません。
連濁が起こるか起こらないかについて、法則があるのかどうか私には分かりません。
これも"細胞"と似た例です。
光合成は、最初は"こうごうせい"と習ったところ、ある時に「"ひかりごうせい"が正しいのです」と教師に言われ、一時期、私自身"ひかりごうせい"と読んでいたのですが、いつのまにか回りは"こうごうせい"になっていて"こうごうせい"に戻ったものでした。
現在の辞書でも、"ひかりごうせい"を立項していて、「"こうごうせい"を見よ」という扱いになっているものがあります。
ネットでも、「生物の先生が"ひかりごうせい"とよむのが正しいと言っていた」という記事が見つかります。
小学校でも高学年になると、産業について学びます。
農業、商業、建築土木業などと共に製造業があります。製造業には、機械工業、精密機械工業、電気機器工業、化学工業など分類されます。
ある時、教師が言いました。「ミシンは今まで精密機械工業でしたが、これからは機械工業に分類が変ります。」
精密機械と言えば、時計、カメラが挙げられます。ミシンもある時期までは精密機械に分類されていましたが、「今となってはミシンは精密機械とはいえないね」という事なのでしょう。
おそらく小学5、6年生のときのことではないかと思うのですが、もしかすると中学生のときの出来事だったかもしれません。
これは、「途中で変ったのに私がたまたま遭遇した」のではなく、変ってからしか経験がないのですが。
"時定数"とは、物理学ゃ工学などで、時間とともに変化する量において、変化の速さを表す数値です。
昔聞いた話ですが、「我が国で最初に"time constant"という用語に対して、"時定数"という訳語を紹介した人は、"ときていすう"という認識だったが、印刷物の中では"時定数"と書かれていると"じていすう"と読まれる事が多く、"じていすう"で定着してしまった」というものです。
ネット上では、じていすう、ときていすう、ときじょうすう、という3種類の読み方がある、と書かれています。
"じていすう"であれば中国語音で、ある意味妥当ですが、"ときていすう"、"ときじょうすう"はいわゆる湯桶(ゆとう)読みという事になります。
余談ですが、湯桶読み、重箱読みとはよく言ったもので、私だったら、湯桶は"ゆおけ"、重箱は"かさねばこ"と読むのがまともではないかと感じます。
念のため、精選日本語大辞典を引くと、それぞれ第1の意味としては、湯桶(ゆおけ)は浴用の桶、湯桶(ゆとう)は茶などに用いる飲用のものという違いが出ています。第2以降の意味はそれ以外にもあります。ですから、湯桶読みと書いたら、"ゆおけよみ"とも読めることになりますね。
現在、テレビ東京という放送局があります。
この放送局は、開局時には「東京12チャンネル(読みは、とうきょう・じゅうに・チャンネル)」という名称でした。
私が大学生のときにある教授が言いました。「諸君は東京12チャンネルが名称変更になったことを知っていますか」と言うのです。学生は誰も知りません。教授が言いました。
「"東京12チャンネル"改め"東京12チャネル"です」
このことは少なくとも私はハッキリと憶えています。ですが、現在、ネットでこの件について検索しても何も見つかりません。
単なる冗談だったのでしょうか。あるいはそのような議論がなされていたのでしょうか。
当時、いろいろな表記の変更がありました。原語に近くなるように、ということなのでしょう。
トランジスター、コンビューターなどの最後の長音は書かないとか、チャンネルはチャネルにする、だとか。
たしかに、チャンネルの英語での発音はチャネルの方が原語に近い。"ン"を入れたのは"channel"という綴りに引きずられたのでしょう。しかし、現実にはチャネルはほとんど使われませんでした。
コンピューターは、私は微妙なところがあると感じます。英語に近づけるならコンビュータの方がいいでしょう。ただし、日本語のなかではコンビュータよりコンビューターの方が自然だと感じるのは、今までなじんだ結果なのでしょうか。
カー、ミラーなど1音(おん)または2音(おん)には長音記号を付ける、というのは、今までの習わしでした。少なくても産業界ではそうです。英語ではカーは長音になりますが、ミラーの発音はミラですね。
オンラインで検索できるサイト"Cambridge Dictionary"でComputerの発音を再生すると、イギリス英語では最後の音(おん)は長音気味に聞こえ、アメリカ英語では長音までは行かないが、ちょっと"r"のような音が付いているようです。ですから、イギリス英語ではコンピューター、アメリカ英語ではコンピュータに近い感じです。
日本語で"コンピューター"と書くと、"ター"のところまでハッキリ発音します。英語では、音節に分けると、"com・put・er"で、"put"にアクセントがあるので、"er"の部分はアクセントがなく、かつ末尾でもあるためにかなり弱く発音されます。
このために日本語での"コンピューター"の読みと英語での"computer"の読みはかなり違ったものになってしまいます。
日本語的に"コンピューター"と発音するよりは"コンピュータ"の方が差は小さいのではないでしょうか。
私が仕事で付き合った米国人、彼らはもちろん英語という原語の専門家ではなく普通のエンジニアですが、発音を耳で聞くかぎり、コンピュータでしたね。末尾に"r"が付くという印象もありませんでした。日常会話でのはなしです。
昔の経験ですが、英会話のCD-ROMを聞いたときに、"インターネット"(internet)は、"インタネット"でもなく"イナネット"でした。何回聞いても"イナネット"です。まるで、長野県伊那市に本拠地がある通信サービス会社の"伊那ネット"でもあるかのようでした。
"イナネット"というのは中間の"t"の音(おん)が消失するという現象ですが、消失しないとしても"インタネット"でしょうね。"インターネットではありませんね。"
球形の地球の表面を平面に描こうとしても、地図はどうやっても正確にはなりません。
同様に、本質的に異なる言語間では、発音を写し取ることは不可能と言うことですね。
これは少し有名なはなしです。
冒頭の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」で、国境をどう読むか、という問題です。
ほとんどの場合、"こっきょう"と読んでいて、私が持っている朗読のCDでもそう発音しています。
これに対し、"くにざかい"と読むべきなのではないか、という指摘があります。
私が目にしたものでは、川端康成の知人が本人から聞いた、という触れ込みで、「冒頭の国境を"こっきょう"と呼ばれているのは心外だ。"くにざかい"にきまっているではないか」と書き残していたのです。ただし、今となっては、ネットで検索してもこの、「知人が語った」という件は出てきませんでした。代わりに川端康成の弟の意見というものはありました。
ネットで検索すると、いろいろな議論があるようです。あまりたくさんあるのでいちいち引用はしません。「川端康成 雪国 くにざかい」で検索すれば沢山ヒットします。
文学の世界では、読み方が分からない、というのは、たとえば明治時代に読み仮名をどう付けるか、という場合に問題になっています。
もっと昔、たとえば万葉集では今でも読み方が分からない、という歌が少なからずあります。また、ある読み方が定着しても、そうではない読み方の可能性は残ります。
万葉集 巻1-48 ひむがしの野にかぎろいの立つ見えてかえり見すれば月傾きぬ
万葉集は漢字で書かれていて、それは「東野炎立所見而反見為者月西渡」です。この漢字の並びをどう読むか。いろいろな人がトライして、僧契沖が考えた上記のかな漢字交じり文のような読み方が定着したものです。
いくつかの問題点があるようで、いろいろな議論があります。たとえば「万葉集 東(ひむがし)の野の歌」という記事に解説があります。
ちょっと話がそれました。この「雪国」の場合は、「何かが変った」というものではありませんが、将来変るかもしれない、という可能性があるので、念のために書いておくことにしました。
個人的には、この"国境"の読みについては、"こっきょう"という引き締まった読みもいいですが、"くにざかい"という和語の範囲にとどまる読みも心引かれます。現在私は、中国語的な読み方を避けて、できるだけ和語的な言葉遣いをしたいという思いが強いので、"くにざかい"を採りたいと思います。さらには、"くにさかい"と濁らない方がいい。まあ、私が何を言ったって何の影響もないのですが。