食品スーパーで考えた


[2020/9/14]

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【38】食品スーパーで考えた

食品スーパーとは

食品スーパーというところは、頻繁に出かけるところで、私自身は、どちらかというと好きです。よく夫婦で行きましたが、最近は一人で行くことが増えててきました。

食品スーパーというのは、なかなかおもしろいところですね。

「人生の縮図」、あるいは「社会の鏡」といった趣(おもむき)(*1)があります。

いくつか、気づいたところを、思い出すままに書いておきます。

チェッカー

チェッカーというのは、レジのところで、商品の値段を打ち込み、料金を受け取る人です。

一部では、セルフレジがあらわれて、チェッカーさんがいない、ということもありますが、現在のところ、チェッカーさんの存在は重要な位置を占めています。

このチェッカーさんですが、店によって傾向の違いをはっきり感じます。その違いの最たるものはスピードです。

"レジ打ち"は今ではほとんどがバーコードを読み取るというやり方になっています。ただし、山積みの野菜や果物などはバーコードがついていないので、商品コードを入力する必要がありますが、それも、レジの機械にあるそれぞれに対応するボタンを押すだけです。

このときのスピードはどこで感じるか、というと、(a)買い物カゴから商品を取り出してバーコードの読み取り位置に移動させる、(b)バーコードを読み取らせる、(c)商品をレジ済みカゴに入れる、という三つのステップで考えるのがよいでしょう。

【ステップ(a)について】

(a)のステップでの速い、遅いはどのように違うかというと、「バーコードの読み取り位置に移動させる」というときに、同時に商品のバーコードの部分を読み取り位置に合わせている、ということです。「バーコードの読み取り位置に移動させ」てから商品を回転させてバーコードを読み取り位置に合わせるのではないのです。

もう一つは、(a)と(c)を同時にやる、ということです。バーコードを読み取らせたあと、左手で商品をレジ済みカゴまで移動させてそこに置く、というときに、同時に右手で買い物カゴから次の商品をつかんで取りだし、バーコード読み取り位置まで移動させる、という動きです。

もちろん、この同時作業が常にできるわけではありません。右目で買い物カゴを見て、左目でレジ済みカゴを見る、ということはできないのです。だから、レジ済みカゴに入れる、というときには、おおよその位置におけばよい、というときだけ可能です。

【ステップ(b)について】

このステップもなかなかやっかいです。バーコードは、ときに読みとることができない、ということがあるのです。

たとえば、袋入りの野菜ではその袋にバーコードがついていますが、平らではありません。運が良ければさっと読み込めますが、バーコードのシールがくねっているとバーコードを読み取れません。その時は袋を左右に引っ張って平らにして読み込ませる、などということが必要になります。

うまい人はバーコードの部分が曲がらないような持ち方をして読み取り位置に当てます。慣れない人は、両手でバーコードを左右にひろげで読み取らせるので、2段階の動きになります。うまい人でもこのように動きが2段階になる場合もありますが、その頻度はずっと低いです。

【ステップ(c)について】

このステップでは、まず商品の並べ方が問題です。重くて、安定している(平べったい、あるいは長い)形のものを下に並べて、かるいもの、壊れやすいものは上に載せます。

うまい人はこの判断が速くて適切です。そうでない人は、置く場所を考えたり、途中で既に置いたものを動かしてスペースを空けたりします。

私は昔、山登りをしていた頃、このパッキングには気を遣いました。山登りの時のザックでは、基本的に軽いもの、使用頻度の低いものはザックの下に入れ、重いもの、使用頻度の高いものは上に入れます。重いものは高い位置に置いた方がザックを背負ったときに楽なのです。

このようなスピードの感じですが、店による違いというものがあります。

ここでは仮にA店とB店とします。A店は少し規模が小さいので、品揃えの点ではB店に劣っています。その代わりかどうかは知りませんが、安売りを頻繁にします。たとえば火曜日、木曜日、土曜日には割引セールがあります。したがって、割引セールの日には客の数が増えます。また、全般的に午前中は客が多く、午後は減ります。

それで、レジ打ちのスピードはどうかというと、A店とB店ではかなり違います。午前中にA店にいき、午後にB店に行くと、B店のレジ打ちは、極端な言い方をすると、スローモーション動画を見ている様です。レジの前に並ぶ客の列の長さは特に違いは無いのです。それなのにそれほど違うのです。


【伝説的なチェッカーさん】

上記のA店に、私にとって伝説的、とも言えるチェッカーさんがいました。

無口な人で、愛想はよいというものではない、しかし、その速さはすごかったのです。神業に近いものがありました。

上に書いた、「買い物カゴから取り出すのとレジ済みカゴに入れる、という動きを同時にやる」、ということが完璧なほどにできていました。また、商品をバーコード読み取り位置にもっていくと、瞬間的にピッと音がして、一発で読み取れるのでした。

あるチェッカーさんが機械の操作が分らなくなって困り、"チーフ"と声をかけるとその人が来た所をみると、チェッカーさんのリーダー的な立場にいたのでしょう。

そしてあるとき、その"神業"が一段と光っていて、何か最近は神がかりなレベルだなあ、と感じていたときがありました。そういうときが何日か続いた後、突然姿が見えなくなり、"チーフ"と呼ばれる人も替っていました。

他の店に移動したのか、都合で仕事を辞めたのか、それはわかりませんが、"日本レジ打ちコンテスト"というようなものがあって出場したなら、きっと上位に入っていただろうな、といまでも思います。

支払い

支払いの点では、最近大きな変化が現れました。

政府が、「キャッシュレス支払いに対する5%還元」というキャンペーンを始めたのです。

キャッシュレス決済を推進するために、プリペイドカードやクレジットカードなどによるキャッシュレスで支払った金額の5%を還元する、というものです。

上記のA店、B店では、これに合わせて、従来はポイントカードだったものを、プリペイドカードを兼ねたタイプに切り替えました。

5%還元は支払いの時点で即時に行われます。チャージしてある金額に足されます。これは実質的に5%引きということです。

これにより、ほとんどの客はキャッシュレスで支払いをするのではないか、と思ったのですが、実際には結構な数の客が今まで通り現金で支払いをしていました。これは予想外でした。事前にカードに現金でチャージする手間は必要ですが、支払いの時は小銭を扱う面倒なことがなくなるとか、現金に触れなくて済む、というメリットの方が大きいと思っていたのです。

買い物の支払いが5%引きになったら、これは魅力的ではないのでしょうか。

現金払いの方々は、カードは持っているのですが、単にポイントカードとして使うだけなのです。

キャッシュレス決済で不便なこととして、使った金額のイメージがつかみにくい、ということはよく言われます。

ですが、私個人としては、面倒な現金を扱わなくて良い、というメリットの方が大きいです。

私の場合、手元にお金があるから使ってしまう、ないから使わない、という生活パターンではありません。定年退職して数年もたてば、買うものは決まってきます。必要なものがないから、あるいはその残りが少なくなったから買う、というのであって、手元にお金があればあるだけ使う、というものではないのです。

買い物の出費を厳密にコントロールするという必要性はそれほど高くないのです、

特別に買う、という場合でも、「今日は国産牛が安いから」、とか、「今日はウナギが安いから」、という程度で買うだけです。


最近、この「キャッシュレス支払いに対する5%還元」のキャンペーンの期間が終わりました。支払いのパターンがどうなったか、というと、少し現金払いが増えたかな、という感じです。

高齢者は現金払いが多い、という傾向は確かに感じます。キャッシュレスなどというものに慣れるのに時間が掛かる、というのはしかたがないことでしょう。

特に、小銭を出すのに手間取る、ということをよく目にします。財布を引っかき回して小銭をならべて、時にはそれが見当違いの額だったりして、「あといくら足りません」などと言われたりします。

そういうときに、レジで列を作っている人が文句をいう、というような光景を最近は見なくなったのはとてもいい事ですね。みなさん、しんぼう強く黙って待っています。

高齢者がこういうように手間取る段階の次には、小銭を使わない、という段階に進みます。釣り銭をもらうだけで使わないので、小銭が増える一方です。そうならずに、時間がかかっても小銭を使おうとする気持ちは大事にしたいものです。

男の客

食品スーパーは、女性の客が多いのは当然かもしれませんが、男の客も最近は少しずつ増えてきているような気がします。

この男の客というものがなかなか興味深いのです。

私は次の様に分類してみました。

(1)夫婦または夫婦プラス子供

(2)複数の中高生

(3)老夫婦

(4)一人の中年

(5)一人のシニア

(6)一人の中年~シニア世代(店内または駐車場の車内にいて、買い物には参加しない)

(7)一人または二人の若年層(駐車場で車内にいる)

この人達は、合計しても数は多いわけではありません。なんといっても、女性一人の買い物姿というのが一番多いです。あくまでも、男性客という観点での分類です。

(1)は当たり前ですね。逆に、当たり前なのに数が少ない、という点で私には腑に落ちない、という印象があります。

(2)は、大抵は部活帰り、という感じで、各自が飲み物を一つだけ買っていく、というケースが多いという印象です。女性客の場合も同じくらいあります。男女のカップルはないですね。やはり部活帰りということなのでしょう。

(3)は、これも当然ですね。妻とおぼしき女性が車いすに乗っている、という例も最近はちょくちょく目にはいるようになってきました。

夫とおぼしき男性が車いすに乗っている、という例はまず見たことがありません。高齢になると、食品スーパーでの買い物は、妻が元気なら一人で行き、妻が車いすの生活になった場合、夫が付き添って買い物をする、というパターンなのでしょうか。

(4)は最近増えているような印象があります。イメージとしては40代~50代というところです。結婚しないで中年になる、というのはめずらしくないはずで、その年代の人が食品スーパーであまり見かけない、というのはよく分りません。

もっとも、このような人は結婚していない、とここで決めつけているのはおかしな話です。"中年の男"が食品スーパーに一人で買い物をする、というのがあまりに例が少ない、ということからそう感じてしまったのです。結婚して子供がいる、という男が一人で食品スーパーで買い物をする、ということはもっとたくさんあって良いはずですが、なぜか少ないようです。

(5)は私が含まれます。妻はいるが、そのときは何かの理由で買い物に出られない、あるいは独身生活をしている人が買い物に来ている、というもので、何の不思議はありません。

上記の(4)のケースの人が、時間の経過と共に(5)になる、というのは自然ですね。

(6)はスーパーまで来たが、買い物は妻に任せる、というタイプのようです。

夫はクルマで待つか、店内のレジの外側の荷物をパッキングするスペースでうろうろしている、というものです。

クルマで待つ、という場合、自分は運転手として妻の買い物を手伝っている、という意識なのでしょうね。大抵はなにもしないか、せいぜいスマホをいじっているかです。

買い物が数分で終わるわけはないのに、特に待ち時間をどうすごそうと準備してくるわけではないようです。こういう人の顔つきはたいていはよくありません。いかにもつまらない、という顔つきをしています。

店内で待つという場合、きょろきょろしているか、近くをうろうろしているか、のどちらかです。

きょろきょろしている人は、妻がどこで買い物をしているか目で追っている、というようには見えないことが多いです。やたら視線をぐるぐると動かして、店内をまんべんなく見ています。「どこかにいい女はいないだろうか」と思って見ているわけではないでしょうが、そう思いたくなります。このタイプの人も顔つきはいかにも不機嫌そうな場合が多いです。

(7)の例は最近数回目にしました。とても気になります。

駐車場で車内にいたまま動く気配がありません。上の(6)のケースと区別がつかないのは確かですが、まず男二人が運転席と助手席にいる、という場合、身内の誰かが買い物をしているのを待っている、という感じではありません。男が二人で暑い中、車内で待っている、という状況が想定できません。

一人でいるか、二人でいるか、何れの場合も、運転席の男が非常に熱を帯びてスマホで話している、という特徴があります。

暑い季節の暑い時間帯に、もちろんエアコンはかけているのでしょうが、わざわざスーパーの駐車場まで出かけて、車内で話し込む必要がどうしてあるのでしょうか。

私が考えることができる唯一のものは、最近多くなってきた、"オレオレ詐欺"の類いです。なにか条件が揃ったときにすぐに出かけられるように、わざわざスーパーの暑い駐車場で話をしているのではないか。まあ、考えすぎかもしれません。

備考

(*1) 和語の漢字表記について

趣(おもむき)という表記はどうも迷います。漢字で"趣"という1文字を"おもむき"と読ませるのは無理があると感じてしまうのです。振り仮名を使って、おもむきとするのはいいと思いますが、振り仮名を使い出すと、どの範囲まで使うか、という悩ましい問題に直面します。今回のように「趣(おもむき)」と書くのは、いかにも振り仮名を代用した、という感じがして、これも感心しません。これと似た例では、「試(こころ)みる」、「慮(おもんぱか)る」、「顧(かえり)みる」、「志(こころざ)す」、などが挙げられます。ちなみに私自身は、「試みる」は普通に書きますが、「志す」あたりからちょっと引っかかる感が出て、「顧みる」は疑問が出てきて、「慮る」と書くには大きな抵抗があります。

今挙げた言葉は、おそらくは合成語でしょう。たとえば「心+見る」、「思い+はかる」、「帰り+見る」、「心+指す」のように。同様に「趣」も「面(おも)+向き」でしょう。

そして、たまたま中国語の漢字1文字がぴったりと対応する場合にそれを当てはめたのでしょう。ですから、「心掛ける」、「心遣い」、「心強い」、「心細い」、「心許ない」などは対応する漢字がなかったので漢字1文字で書くことはせず、「こころみる」、「こころざす」は対応する漢字があったのでそれを使うことにしたのでしょう。

そうすると、漢字1文字で訓読みとして書き表す場合と、2文字以上とする場合の違いの原因は、対応する漢字があるかどうかであって、これはすなわち中国語の事情に依存する、ということになります(あくまでも日本語の立場で考えた場合の話です)。このようなことが、表記の上で引っかかる結果になっているものと思われます。

「試みる」という表記について私自身は違和感を感じないのは、恐らく「試みる」という表記が頻繁に使われており、自分でもよく使う、という結果だと思います。

「試みる」であって、「試る」でないのはどうしてか、ちょっと疑問でした。「心+見る」であれば、「見る」からの類推で、「試る」ではないのか。この問題に関して、解決のヒントを見つけました。日本国語大辞典(精選版)で、「こころみる」の語誌の欄に次のような説明があったのです。(以下、筆者の要約と追記による)

平安時代は上一段活用「こころみる」が普通。院政期あたりから上二段活用「試 ココロム」もあらわれて、並行して用いられ、中世以降は上二段活用の方が一般化したらしく、近代以後ふたたび「こころみる」と上一段化したと考えられる。

"こころみる"と"こころむ"の二つの形があったならば、"こころみる"に対して"試みる"という表記(送り仮名の付け方)は当然のように思われます。


これに近い話題として、「志す」の名詞形は「志(こころざし)」であって、「志し」ではない、という点も気になります。一般に活用動詞の名詞形は連用形が採用されるのが普通ですから、「志し」ではないのかな、ということです。

ただし、この種の疑問は数限りなくあるので、これいじょうの詮索は止めます。

ここでも、「止める」は「やめる」のか、「とめる」のか、「とどめる」のか、文脈からで判断する以外には判別できません。このような問題は、どこまでいっても切りがありません。


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