ある日本人論
[2020/7/27]
【35】ある日本人論
今のままでは日本が滅びる。武田教授が懸念、変化に対応できぬ国の30年後
どのような経緯か忘れてしまいましたが、「まぐまぐニュース」という記事がメールで届くようになっています。
もちろん、何かの手続をして、「まぐまぐニュース」の配信を申し込んだはずですが、ずいぶん昔のことですっかり忘れてしまいました。
ホームページのタイトルには、第一線の専門家たちがニッポンに「なぜ?」を問いかける MAG2NEWS と書かれています。この中からいくつかの記事が選ばれて配信されるのです。
この「まぐまぐニュース」ですが、どうも極論を多く取り上げる傾向にあると感じていて、さほど重要視はしていないのですが、ときおり、目を見張るような記事があり、購読を続けています。
最近、次の様な記事が目にとまりました。
変化に対応しなければ滅びる。武田教授が懸念する30年後の日本
2020.07.27 136 by 武田邦彦『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」
武田教授とは中部大学教授の武田邦彦氏のことで、たびたび極論を吐くひとだ、と言うのが私の印象です。
でも、ときどき、これはその通りだな、と共感することがあり、この「まぐまぐニュース」の記事の中では、氏の記事はひととおり目を通すことにしています。
たとえば、レジ袋の有料化について、レジ袋の制限が本当に自然保護に関して特別に重要なことなのか、ということを取り上げていました。
武田教授が暴露する「レジ袋」追放運動という名の金儲けトリック
「レジ袋が自然環境を破壊する最大の問題なのか。そうではない。」
という指摘があり、本当にそうだと共感しました。
ただし、私が武田教授の意見に賛成しかねるのは、次の様なところです。
「市町村はレジ袋をゴミ袋に使うことを禁じ、スーパーはレジ袋を3円とか5円で売って儲けるようになったのです。つまり『レジ袋の追放』という運動は、環境問題ではなく、環境問題を装って新しい儲け口を探そうとした人たちの陰謀であり、それに真面目で節約家だけれど、計算などはあまりしない人たちが支持したという社会現象に過ぎないのです」
私は、金儲けの陰謀ではなく、「環境にとって何が問題なのか」を真面目に検討しないで、単に表面的な感情にとらわれて、なんとなく「レジ袋はなくすべき」、と判断してしまうという短絡思考にあるのだと思います。
今の政治は本当にレベルが下がって、世間のちょっとした噂程度のことを取り上げて、「簡単にやれる、なにかやったとアピールできる」ことしかやられていません。マスメディアも同様です。
まあ、「政府のレベルは国民のレベルのあらわれである」ということを考えると、しかたがないね、と諦める以外に何もできないのですが。
このように前書きのようなことを書いてきて、「ああ、なるほど、これから書くことを暗示したエピソードなのだ」と、"はたと"気づいたのですが。
武田教授の記事で感じたこと
この記事では、いろいろと興味深いことが書かれているのですが、ここでは一つだけ取り上げます。この記事の最後のところです。
(前略、中略)世界のGDPの10%を占め、アメリカ、EU、日本と続いていた経済力も、現在は4%を下回るようになり、中国や北朝鮮の攻撃にビクビクする二等国になってしまった。個人のレベルでは、「これからは静脈産業だ。リサイクルだ。資源回収だ」と言って新ビジネスに入った人はほぼ総員破綻し、倒産しないまでもひどい状態になっている。もちろん、同時にスタートしたアマゾン、グーグル、スマホなどの繁栄とは雲泥の差である。
「人間とはどういう動物か」という基本問題を間違い、「地球の活動と人間の活動の比」を知らないでビジネスをしたら、それは失敗するし、人生自体も失うことになるのは理の当然でもある。恐れ、不安などはいつもあるが、それは大人の知識と思考力で乗り切らなければならない。アメリカ在住の政治学者である伊藤先生が言うように「日本人は幼児である」ということが、1990年の判断にも表れたわけだ。(メルマガより一部抜粋)
この中で、特に「日本人は幼児である」という言葉です。
随分昔のことを思い出しました。40年あるいは45年前のことです。
会社勤めになって何年か経って、英語の泊まり込み研修を受ける機会がありました。4週間の長丁場で、確か、週末だけ帰宅できたと記憶しています。土曜日の午前まで研修を受けてから帰宅でき、翌日曜日の夜には戻るというもので、4週間は仕事から完全に離れるものでした。
なかなか印象深い経験でした。
その中で、ある日、講師の一人が次の様な話を披露したのです。
終戦直後に、日本にアメリカ進駐軍が入ってきて、しばらくして、「日本人についてどのような印象を持ったか」と聞かれた進駐軍の幹部の一人が、「日本人は "juvenile" だ」と答えた。 "juvenile" とはどういうことか。わかりやすい表現をすると、"少年少女世界文学全集"というものがある。そういうときの"少年少女"ということだ。
これはなにしろ昔のおぼろげな記憶なので、もしかすると、進駐軍の幹部が最初に現れたときに、「いままで(太平洋戦争中に)日本人についてどのような印象をもっていたか」と聞いたときの答えだった可能性もあります。
つまり、日本人を直接的に知らないときにどのような印象をもっていたが、という質問だったかもしれないです。
少なくとも、そのどちらかだとは思います。
上で引用した「日本人は幼児である」という表現は、「アメリカ在住の政治学者である伊藤先生」の言葉ですが、もしかしたら、"幼児"という言葉は言いすぎで、「子供っぽい」、あるいは「幼児性が色濃く残っている」というニュアンスではないのかな、と想像しています。
いずれにしても、 "juvenile" とか"幼児"とは、要するに"大人になっていない"、つまり「子供である」ということです。
子供である
"子供である"ということは、ある意味では"純真さを失っていない"ととらえることもできます。"世知辛くない"のです。
「善意で接すれば必ず気持ちが通じる」、「一つのことにひたすら努力すればいつか報われる」
この地球上で、このような事が通用することは多くはありません。世界の常識はそうではありません。
「善意で接しても、それだけでは相手の気持ちは変わらない」、あるいは「努力といっても、その方向を間違えるといくら努力しても成果が出ない(*1)」、これが真実です。
そういう世界はまっぴらだ、と考えて、海外に出て行かない日本人が増えているのではないか、それが私の心配事です。
たとえば、海外留学する人が減っています。
このことについてネット上で調べてみると、いろいろな記事があります。
当世留学生事情:なぜ日本の若者は海外を目指さないのか (nippon.com 小林 明 氏の記事)では、「2004年(8万2945人)から11年(5万7501人)までの7年間で3割超も減少している」とあります。
「『若者の内向き志向』だけが理由ではないようだ」として、四つの理由が挙げられています。
これを注意して読めば、「まず第一の理由は『若者の内向き志向』であり、そのほかにも四つほどの理由がある」ということになります。
昔はそうではなかった
昔はそうではなかったのです。
極端な例として、海外に移民として出かけていった人がいます。もちろん、日本での生活が難しくなったから移民という道を選んだのでしょう。しかし、移民先の実情がよく分らないのに出かけていったのです。
私の父の同郷の人でブラジル移民に行った人がいます。数回手紙が来ました。返事を書くのに、父は私に宛先を書かせました。来た手紙に書いてある差出人の住所・氏名と父親に対する宛名書きの書き方を参考にして、日本語の手紙では宛先として山田太郎様とするところを"Sr. Taro Yamada"のように書くのだ、と想像して書いた記憶があります。スペイン語でいわゆる"セニョール"というのが"Sr."で、ポルトガル語も同じなんだろう、と思ったのです。
その人は両親と一緒におそらくは十代で海を渡ったのであり、自分はブラジルに骨を埋めることを納得している」と手紙に書いてきていました。
日本人はすっかり閉じこもってしまっています。おそらくは総中流化で、国内で"そこそこ"生活ができるのでしょう。
ただ、国内で生きていけるというだけでなく、海外に目をを向けなくなっています。
最近ネット通販が便利になっています。それを利用した人の苦情の意見の中に、「説明書が英語だけで日本語表記がないので使い方が分らない」というものがあります。
難しい英語ではなく、中学・高校で英語を習った人なら簡単に分る内容です。でも英語はダメ、と最初から受け付けないのです。
それは理由の半分で、そのほかに、英文を理解するという"面倒くさい"ことはしたくない、という考えがあるのではないかと想像しています。
ここで、"面倒くさい"といったら、海外に行くという"面倒くさい"ことの代表のようなことに背を向けるのも当然です。
そのような内向き思考がますます進んでいます。
ここで引用した記事のタイトルにある「今のままでは日本が滅びる」ということが現実の問題になってきていると感じます。
備考
(*1) 昔のことですが、これと同じようなことをテレビで、大相撲の世界の言葉として聞いたことがあり、とても印象的だったのを憶えています。ある部屋の親方が次のように言ったのです。「今の人は稽古といわれると無闇にやる。それだけでは強くならない。『先場所、あの力士には○○になって負けた。それなら次回は△△のようにやろう。そのためには□□の動きを重点的に稽古しよう』と考える。このように工夫をして稽古をしないとダメなんだ。」相撲というと古くさいイメージがあるのですが、それなのにこのように明晰なことが語られたので驚いたのです。