宇宙の始まりについて
[2020/5/22]
【30】宇宙の始まりについて
2020年4月、この地球ではコロナウィルスがはびこっています。
日本という国では(他の多くの国でもそうですが)、外出を控えることが求められています。なるべく家から出ないこと。これが合い言葉です。
"Stay home."英語ではこのように簡潔な表現が可能ですが、日本語ではどうでしょう。
ネットで探すと、「おうちにいよう」というのが結構あります。
「おうち」は子供に対して言う言葉です。「家(うち)」はより一般化しますが曖昧さも増します。それは"ウチ"が"内部"というニュアンスがベースになっているからだと思います。「自分が住む家(あるいはそこに住む人も含めての家庭)」を表す言葉が日本語にはないのですね。
"ウチ"があいまいなら、"家(イエ)"はどうでしょうか。「家を建てる」、「家を持つ」など、建物の意味合いが強くなります。「周囲が壁で囲まれ、屋根があり、内部に人がいることができる構造物」というところでしょうか。
「家の中」が一番"home"に近そうですね。
"家の中"で考え事をしているうちに、宇宙の始まりについて、なんとなくですが、考え出しました。
現代の物理学、天文学、数学などの知識を元にするものではなく、たとえば2000年前の人びとが、空想力だけで思いを馳せる、というのと同じものです。
どこまで想像を広げられるか
宇宙の始まりと言うことは、現在から時間さかのぼってみることです。
ビッグバンですね。
ビッグバンの前はどうなっているのでしょう。ビッグバンの前にさかのぼることができるのか。
ある時、時間と空間が現れて、ビッグバンが始まったのなら、それ以降は色々と探ることができます。
時間が"あるとき突然"進み出した、というのは理解を超えています。でもそうしないと、空間がなぜ、いつ現れたのか、という問題が出てしまう。
創造神を仮定すると何か前進があるか、というと、逆に問題が増えてしまいます。
万能の創造神がこの宇宙だけに関係する、というのは"万能の創造神"としての地位にふさわしくありません。
一つの宇宙だけしか作らなかった、となると、創造神はこの宇宙を作らないと"生きられない"、存在する意味が無い、という不完全な存在になってしまいます。
この宇宙に付属する存在ではないと考えるのが普通です。
この宇宙を作るときに、時間と空間と光を作った。その時に素粒子の特性が与えられ、それによって有限個の安定な原子構造がきまり、無機物の中から有機物が生じ、どんどん複雑化していく。まあ、このあたりは想像できます。
そうすると、我々が生きている時空とは別の時空がある。それは我々の時空とは独立したもので、重なることがない。
そのように考えると、宇宙空間が複数個ある、という考えは割と簡単ですが、三次元空間の他にもう一つの、時間とは別の、座標軸がある、ということの方が考えにくい。
宇宙空間が複数個ある、というのは喩えて考えることができるのですね。
二次元の無限に続く空間(平面ということですね)は三次元空間にいくつも考えることができます。
一つの二次元空間の存在は他の二次元空間と孤絶しています。三次元空間の立場で眺めると、沢山の二次元空間が見えます。しかし、二次元空間からは、ほかの二次元空間の存在を知ることができません。
一つの二次元空間の中で、ビッグバンの様なものが生じて、次々と変化していく。
上に書いた、「時間と空間と光を作った。その時に素粒子の特性が与えられ、それによって有限個の安定な原子構造がきまり・・・・」という展開が可能です。
ここにおいて、時間はすべての二次元空間について同期している、と考えることは可能です。
そうすると、創造神は"ある時"ひとつの「時間と空間の種」をつくり、以後はその進展を眺めている、と同時に、別の「時間と空間の種」をつくり、と言うことを繰り返して続ける、という存在と見ることができます。
では、創造神はいつ時空間の創造を始めたのか。
超創造神が創造神を作ったに違いないでしょう。作り出された創造神が宇宙時空間をどんどん作っていった。
では、超創造神は創造神をいくつ作ったのか。一つではない。一つとすると超創造神は創造神の付属物の地位に落ちてしまう。
超創造神は次々と創造神を作り続けるのでしょう。
すぐに想像できるように、超創造神を作り出した超超創造神を考えなければならない。それは超超超創造神を考えることでもあります。
このようにして、神を多重構造にして、無限に続ける。
無限に続く、と言うことで、問題を隠蔽してしまうのです。
まとめると、我々が生きているこの宇宙のすべてを(時間さえも)作り出した神の存在を仮定すると、その神を創造したスーパー神が必要になります。
このように考える時、我々の宇宙、言葉を換えると時空間を越えた存在というものは想像することは困難です。
なんとかそれを暗示する例がないかと考えた時、ひとつ思い出しました。
昔、何かの本で次の様な話を読んだ記憶があります。
妻が妊娠しているときに夫に宇宙探検の任務がくだり、たとえば1光年離れた星に向かって出発して(ロケットは光速度に近い速度で進むものとします)半年が過ぎた頃(地球とその星の中間地点を飛んでいる時)に妻が地球で出産して夫は父になった。地球から電波を飛ばして父になった事を発信しても、電波が届くのは1年後で、夫が目的の星についてから半年後である。しかし、父親になったという事実は妻が出産した瞬間である。伝えるすべはないかもしれないが、父になったのは出産の瞬間であると認めざるを得ない。
このように認識する立場は、神のような超越的立場ということができそうです。時空を超えた立場からできごとを見ているのです。その"時空間"のどこにいるのでもありません。
神というものはこのようなものだと考えると、すこし手がかりができるような気がします。
上に書いた考えは、神が号令をかけて時間が進み出し、いろいろなことが始まり、変化していくというものです。
時間がスタートする瞬間があるので、それ以前は時間は存在しません。時間も創造されるのです。
神の概念を持ち込まないと、どうなるでしょうか。
時間の進行は変化しないとして、安易な考えの一つとして、空間が繰り返して収縮・膨張する、という考え方ができます。
時間をさかのぼっていくと、空間が縮んでいく。もちろんこの空間に住む物・人に取っ手は空間自身が収縮・膨張するので、そのことは知り得ません。
一旦空間のサイズがゼロになり、更にさかのぼると膨張する。なぜそのようなことになっているのか、は分らないままです。神を持ち出さないので。
もっとも神を持ち出しても、結局は神がそのようにしたのだ、と言うだけなので、さほど変わりません。
なぜそのような動作が行われるのか。
比喩としては、蜘蛛と蜘蛛の巣を持ち出します。蜘蛛に産まれたからには、いつの間にか蜘蛛の巣を作っている。なぜかは分りません。なぜなのかと疑問を持つこともありません。「自分の体に蜘蛛の糸を吐き出す器官があり(あれっ、体に糸を出すところがあるぞという発見がある)、手足が蜘蛛の巣を作る動作ができ、巣を作ると虫がそれにかかって動けなくなるのでそれを餌にすることができそうだと気づく」、というものでもない。ただ黙々と蜘蛛の巣を作り出すのです。
このモデルでは、時間は無限にさかのぼれます。またもや"無限"です。未来の方向にも無限に続きます。