田舎の洗練


[2020/2/4]

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【28】田舎の洗練

テレビ番組「ポツンと一軒家」をみて思った

「ポツンと一軒家」というテレビ番組があります。関東では朝日放送の番組です。

どのような番組かは、朝日放送のサイトの番組紹介の文章がわかりやすい。次のようなものです。

日本各地の人里離れた場所に、なぜだかポツンと存在する一軒家。そこには、どんな人物が、どんな理由で暮らしているのか!?衛星写真だけを手がかりに、その地へと赴き、地元の方々からの情報を元に、一軒家の実態を徹底調査しながら、人里離れた場所にいる人物の人生にも迫っていく。

(中略)

どのような人がどんな暮らしをしているのかに思いを巡らせるのは、MCの所ジョージとパネラーの林修

どんな人物が、どんな理由で、そしてどのような暮らしぶりなのか、を紹介するというです。

これがおもしろくて、初回から欠かさず見ています。

先日の放送で、パネラーの林修氏が「ポツンと一軒家」にお住まいの皆さんは"上品な方ばかりなんですね"とコメントしていて、まさに同感という思いをしました。(備考1を追記[2020/2/7])


正確に言うと、私の場合は、人柄、生活ぶりが"洗練されている"という風に感じていたのです。

"都会における洗練"とはまた違うもので、私は"田舎風の洗練"と感じます。

林修氏の"上品"ということと、私の"洗練"というものはどう違うのか、どう同じなのかについて考えてみました。

そして二つの要素を思いつきました。

慎み深いこと、とむだが無い事です。

"都会における洗練"では、他人に対して乱暴な言葉を発したり、無理なことを要求するのとは正反対の位置づけになると思います。

また、必要な物だけは良い物を揃え、不要な物は持たない、というのが典型的な態度だと思います。

必要なこと、大事なことをきちんと行い、なくてよいものには手を出さない、求めない、という態度だと思うのです。

「ポツンと一軒家」では、まずその場所は田舎であり、その田舎の集落からさらに山深いところに住まいがあります。

ですから、まず第一に自然に親しむ生活です。別のいい方をすると、厳しい自然に対して"折り合いをつけて"生活せざるを得ない。

大自然に対して人間はほんのわずかの存在です。自然の中に住まわせていただく、という感覚なのだと思います。自然を屈服させる、という考えはまるでない。

そのような中でも、人は他の人と助け合いながら暮らすしかない。だから、皆さん、近くの集落の人と実にうまくつき合っています。

テレビ番組ですから、きれいなところだけを取り出して放送している、という面もあるのでしょうが、「ポツンと一軒家」に住む人と近くの集落の人との温かい交流が常に見られます。

「ポツンと一軒家」の生活にムダがないのは当然でしょう。ムダなことに割り当てられるような余裕がそもそも無いのです。必要最小限の生活になります。

時々、趣味の品々が紹介されます。おそらく、その趣味もその人が生きる上で必要な物なのだと思います。

必要がないものといえば、昔使っていて今は使っていない物が残っている、という場合だけでしょう。処分する余裕がないか、あるいは先祖代々の物で捨てられない、というケースがほとんどです。

ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」

"田舎風の洗練"ということを以前に感じた事がいくつかあります。その代表が、ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」にでてくる場面です。レントラー(Ländler)というフォークダンスを主人公の二人が踊るのです。それが実に田舎風ですが、洗練されているのです。

監督はダンス場面が得意なロバート・ワイズですから、踊る場面の完成度が高いのは当然といえますが、現代風のダンスだけで無く、フォークダンス、あるいは民族舞踊というほうがぴったりする、そのような場面で、実に優雅で美しい踊りを見せます。

youtubeにこの場面がありましたので、リンクを張っておきます。

マリアが着ているドレスが野暮ったいもので、ドレスという日本語の語感とはかけはなれた、単に"洋服"というべきもの、ということも"田舎風"というイメージをもたらしています。

テンポは遅めで、見栄えのする動きはあまりなく、また難しい振りもなく、でも実に優雅です。踊る人の品格がにじみでているという印象を受けました。

"田舎風"というのはどういうことかというと、私はうまく説明ができません。しかし、同じロバート・ワイズ監督の作品の「ウェストサイド ストーリー」でのダンスの場面、あるいは最近のテレビ番組で、ダンス選手権の様子がときどき放送されますが、そのような中で踊られるダンスなどと比べると、その違いが感じ取れます。

音楽でも、たとえばラフマニノフ 前奏曲第5番

音楽でもやはり"田舎風の洗練"ということを感じるものがあります。

ドボルザーク作曲のスラブ舞曲第10番はその一つです。

聞いてみると、"上品さ"、"優雅さ"を感じますが、"スラブ"という言葉からも"田舎"を連想します。ただし、"田舎くささ"はかなり後退していますね。

最近聴いた曲では、ピアノ曲ですが、「ラフマニノフ 前奏曲第5番 ト短調」が、"田舎風の洗練"、とくにそのなかでも"田舎風"を強く感じます。

言葉ではうまく表現できませんが、"ズンチャカチャッチャ、ズンチャズンチャ"というような単純なリズムなどが特に"田舎風"と感じるのですね。

ここまでくると"安っぽい"のかろうじて一歩手前という印象です。いや、ここだけを取り出すと、"安っぽいリズム"と言いたくなるくらいです。

それが、実に堂々としていて立派なんです。"偉大なる田舎"というところでしょうか。

全曲を通して聞けば、いろいろな要素があって、ピアニストにとっては弾きごたえがあるんだろうな、と想像されます。私はピアノは全く弾けません。単なる想像です。

私が聞いた中で、"偉大なる田舎"にふさわしい演奏と感じたのがエミール・ギレリスのものです。

表面的な"華なかさ"を廃して、聴衆に訴えかけるのではなく、作曲者に、あるいは曲自身に向かって演奏する、というところでしょうか。


昔読んだバッハのエピソードを思い出しました。

演奏会が終わったときにバッハの友人が、「どうして君はそんなに一生懸命弾くのかね。ここで聞いている連中は誰一人君の演奏の価値をわかってないよ」と言うのに対して、バッハは「私はいつも神がそばにいて聞いている、と思って、神に対して恥ずかしくないように弾くのだよ」と答えた。

備考1 [2020/2/7 追記]

この番組は放送内容を録画してあるので、再確認しました。

「パネラーの林修氏が「ポツンと一軒家」にお住まいの皆さんは"上品な方ばかりなんですね"とコメントしていて」という所は見つかりませんでした(今のところ)。ポロッと漏らしただけの言葉なので、見つけられていないのでしょう。

これと似た場面が2020年1月19日放送のなかで見つかりました。おおよその内容は以下のようなものです。

初日に目的の家を探し当てると、その地区の祭礼の日で、当人は祭りの準備で応対できないことが分り、まずは祭礼の様子を撮影し、夜になって、祭りの後片付けまで済んで、当人は神社総代の方の車で自宅まで送ってもらう、というので、撮影クルーも同行。家に着いて、クルーが「あした、また伺います」、といったときに、当人は深くお辞儀をして、「ありがとうございました」などと言葉を交わす。

そのシーンの直後に司会者・ゲストのコメントが発せられた。という場面です。

司会は所ジョージ、林氏がパネラーという立場、ゲストが二人、渡辺大地という俳優・ミュージシャンとタレント山口もえという四人。

[所] 「ていねいだねえ」

[林] 「とっても品のいい方ですね」

[所] 「品がいい」

四人が同感、という感じで大きく頷く

[山口] 「すてきな方」と独り言のように言葉をもらす

また、その時の祭礼の様子も、もう10人もいない過疎の集落で、かろうじて続けているもので、ひなびていると同時に、伝統的で格調高いという印象を与えるものでした。

いくつか録画してある放送内容を見直すと、ほとんどすべての回で、「品がいい方だね」とか、「すてきですね」という発言が、司会者、パネラー、ゲストから発せられていることが分りました。

「ポツンと一軒家」にお住まいの方の言葉遣い、生活の様子、家のたたずまいなどから、"上品"とか"すてき"という印象が自然に伝わってくるのだなあ、と強く印象づけられました。


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