司馬江漢に注目する


[2019/9/28]

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【26】司馬江漢に注目する

偶然、司馬江漢の「春波楼筆記」を読む

現在、手元にある本を整理しています。

なくて良い本は、程度が良ければ売りに出し(ヤフオク、Amazon小口出品など)、持っておきたいものは、一部は本のまま取っておき、残りはスキャンしてデジタル化します。

少し前に、「日本の名著 22 杉田玄白 平賀源内 司馬江漢」という一冊をスキャン入力しました。

スキャン入力というものはなかなか時間がかかります。

まず、本の各ページをばらばらにするのに時間がかかります。(私はカッターナイフでページをばらしているものですから)

次にスキャンするのに時間がかかります。スキャナでどんどん処理しますが、400ページの本は200枚の紙を読み込ませる必要があります。

スキャナーの仕様上の制限から、一度に20~30枚程度しかセットできず、つきっきりでスキャンの様子を眺め、紙を補充する、という作業になります。

読み込んだ内容は一旦画面に表示されます。2秒程度です。

細かく言うと次のようになります。両面同時にスキャンするのですが、まず、紙の前面のページがモニターに表示され、次に後面のページが表示されます。どうしてなのか分りませんが、前面のページが表示されるのが遅れ、後面は比較的早く表示されます。従って、たとえば、前面のページが0.5秒間表示された後で後面のページが1.5秒くらい表示される、という感じです。その結果、1ページおきに見る時間が長くなります。

このようにして、なんとなく画面を見ているのですが、なぜか気になる文章が時々現れます。

「日本の名著 22 杉田玄白 平賀源内 司馬江漢」ですが、たぶん杉田玄白の「蘭学事始」を読もうとしてこの本を手に入れたと思います。というのは、収録された作品のタイトルを見て、それ以外に気になるものがないからです。

ところが、何か気になる表現が目にはいってきたので良く見ると、司馬江漢の「春波楼筆記」という作品でした。

「春波楼筆記」はそれまで全く知りませんでした。司馬江漢については「確か、江戸時代の画家だった気がする」という程度しか知りません。

スキャン作業が終わってから、改めて読み始めました。

司馬江漢 「わが日本の人、窮理を好まず」

「わが日本の人びとは窮理ということを好まない。」

この文章が最初に興味をそそられました。なお、この表現は、「日本の名著 22 杉田玄白 平賀源内 司馬江漢」の文章を引用したものです。

この本は現代語訳であり、読みやすいのは確かです。ただし問題もあります。

その一つが、つぎの一節です。

俗の好みに従えば、諸侯や貴人はわたしをタレントあつかいにして歓迎してくれる。

江戸時代の人が、「タレントあつかい」(よりわかりやすく書くと「タレント扱い」)とは、なんとも異な表現です。こういう表現を見ると私は「この文章はかなり意訳しているな」と警戒してしまいます。

というわけで、この記事を書くに当たっては「司馬江漢全集 第二巻」に収録された「春波楼筆記」も合わせて読んでいます。

引用するときには原則としては「司馬江漢全集 第二巻」の方を採用します。

ただし、こちらもなかなか難しいところがあります。巻末の"解題"の「春波楼筆記」に関する記述を読むと、自筆本、書写本がすべて現存せず、もっとも古く、かつ信頼できるものとして、明治24年に刊行された最初の翻刻本を底本にしている、とのことです。

すこし脱線してしまいました。

"窮理"は"理を窮(きわ)める"ですから、自然科学を代表とする学問(的な態度)だろうと思われます。辞書を引くと、たとえば「物事の道理、法則などをきわめる学問。西洋流の学問一般をいい、特に現在の物理学をさした。」(精選版日本国語大辞典 "窮理学"の項)とあります。

「わが日本の人、窮理を好まず」という表現での"窮理"とは、私の理解では、「西洋流の学問一般」というよりは、「物事の道理、法則などを冷静に、正確に分析・判断して真実を追求する」ということだと思います。

日本人は「ものごとを冷静に、正確に分析・判断して真実を追求する」ことを好まず、「感情的に、あるいは行き当たりばったりに判断する傾向が強い」、と言っているのだと感じます。

これと似た事が書かれている個所がいくつかあります。"窮理"をキーワードにして探して見ました。

以下、全集本に従って引用します。全集では、段毎に○印がつけられていますので、その書き出しを始めにカッコ内に書いておきます。

(1) p.51~53 (画は、貴賤共に好むものにて)…吾国の人は、万物を窮理することを好まず、天文、地理の事をも好まず、浅慮短智なり、予此日本に居て、吾国の人に差ふは、甚しき謬なり

(2) 53~54 今西洋の天学、万造の窮理を以て考ふるに、天地の中、一つとして静まる者更になし

(3) p58~59 (予七十有余に及びて)…天地は人の視る処、不視処を以て、窮理する者多からず

(4) p70~71 わが日本の人、窮理を好まず、風流文雅とて文章を装り偽り、信実を述べず

(5) p71~72 予江漢考に、支那及わが日本窮理の学なし、古は猶人智浅し…是其の始め馬子太子と謀りて仏を信じたる故ならずや、窮理に昧(くら)き愚人と云ふべし

ある文部大臣が昔"科学する心"という言葉を発したとされます。(1)や(3)の"窮理する"はこの"科学する"というニュアンスに近いものと思われます。

(2)、(5)での"窮理"は"自然科学"に近いでしょう。

(4)では"風流文雅とて文章を装り偽り、信実を述べず"の対極の立場で、上に書いた「『ものごとを冷静に、正確に分析・判断して真実を追求する』ことを好まず」に当たると感じます。

井上ひさし 自家製 文章読本

上で書いた「日本の名著 22 杉田玄白 平賀源内 司馬江漢」のすぐ後に、偶然ですが、「井上ひさし 自家製 文章読本」をスキャン入力しました。

井上ひさし 自家製 文章読本 新潮文庫 新潮社 昭和62年4月発行

その時に目に入ってきたのが、巻末の解説のページにある次のような一節です。少し長いですが引用します。

最近ある日本人と話をして腹が立ったことがある。議論の出発点が全く無意味なのだ。

―日本語には「○○がないからちょっと買って来る」といぅ言い方があるが英語にはない。「買って行く」と言う。やはり日本語はユニークだ。日本人の発想は外人とは違う。

そうでしょうか。地球上では二千以上もの言語が現在使われているのですよ。ナパホ語とかかエスキモー語は調べたのですか。実際同じアジアのヒンディー語には「買って来る」という表現があるらしい。

―へえ、そうか。なるほどね。

 なにが「なるほど」なのですか。では「買って来る」という表現をするのは仏教の影響ですか、それともアジア独特の発想ですか。それならヨーロッパやアフリカのどこかの言葉に「買って来る」という表現があったらどう考えればいいのですか。

 日本語は世界に類をみないユニークな、もっともニュアンスに富んだ難しい言語である、と頭から決めつけてしまうと、誰かの言葉を借りれば「知的水準」が落ちてしまうことになりかねないと思うのだがどうであろう。

この話にはオチがあります。

「自家製 文章読本」の解説のページを書いたのはロジャー・パルバースという、いわゆる外国人なのです。ネットで調べると、アメリカで生れてそこで教育を受け(さらに留学もしている)、その後日本で翻訳者として活動し、国籍はオーストラリアということでした

これとよく似た経験を私自身がしています。

何かの集まりの時に、ある人が「温泉にはいると本当に気持ちがいい。つくづく日本に生れて良かったと思うんだよね。外人ならこういうことはないだろうね」と言ったので、私が「でも、アメリカ人なら、何かの時に、ああ、自分はアメリカに生れて本当に良かった、フランス人なら、何かの時に、ああ、自分はフランスに生れて本当に良かった、と思うんじゃないですかね」と言ったところ、相手の人だけでなく、まわりの人からも、実に冷たい視線を浴びたのです。

このエピソードについては、いろいろな事が言えるでしょう。

いわゆる「空気が読めない」というのが代表的なところでしょうか。

あるいは、「日本がいい」と言っているのだから、黙ってうなずくべき、というとらえ方でしょうか。

私が感じた事は、"誰かの意見に反対の意見は言うべきではない"という印象でした。

反対意見はすべて"控えるべき"という考え方です。賛成であれば口に出す、反対なら言わない。そうすれば波風が立たず、みんなが心地よい、と。

私はこういうがイヤなんですね。言い方を変えると不安なんです。

"ぬるま湯"に浸かってナアナアで済ませる、というのが我慢できない。

そうやってのんびりしている間に、回りは(世界は)どんどん進んでいって引き離されてしまう。

どうして追求しないのですかね。

進歩は対立から生れるのではないでしょうかね。追求して何が正しいのかを明らかにすべきです。

この世界では現状維持はあり得ません。進歩するか後退するかのどちらか一方なのです。

司馬江漢 「(日本の神について)拝礼する者かつて私願を口に言はず、神霊かつて奇瑞を垂れず」

日本の名著ではこの部分は、「拝礼する者はけっして私ごとの願いを口にすることがないし、また神霊がなにか奇瑞を垂れたというためしもない」です。

司馬江漢は日本の神を大切に考え、仏教の導入に反対する廃仏論者です。たとえば、上記で引用した(5)で、蘇我馬子と聖徳太子について「馬子太子と謀りて仏を信じたる故ならずや、窮理に昧(くら)き愚人と云ふべし」という具合に、聖徳太子を"愚人"とこき下ろしています。

ところで、日本の神に拝礼するときに願いごとを口にしない、とはどういうことなのでしょうか。

私はこれについて少しずつ分ってきたことがあります。

日本の神に祈るとき、何かをしてください、というお願いをするものではないんですね。

たとえば、次の神道の解説書には、「神社に祀られた祭神は救いをもたらす存在とは考えられていない」とあります。

島田裕巳 神道はなぜ教えがないのか KKベストセラーズ 2016年1月 p.154

また、「神は、神社に赴いて願いを捧げる人々の思いを受け止めてはくれる。だが、神のすることはただそれだけで、積極的に救ってくれるわけではない。神は救いの手をさしのべてはくれないのだ」(p.159)とも書かれています。

戦国時代に武将がよく神社に行き、次の戦での勝ちを祈ることがあります。このときに「どうか勝つように導いてください」とか「勝たせてください」などというお願いをするものではない、ということのようなのです。

「私は次の戦で勝つように全力を尽くします。神よ、どうか見守ってください」と言うだけなんですね。

神は何もしません。何もしてくれません。せいぜい見ているだけです。

「私が頑張ります」と神の前で宣言するのです。自分がやるしかないのです。

それで戦に勝つことができれば、「私は勝ちました」と報告するのです。また負ければ、「私の力不足で勝てませんでした」と報告するのです。

「拝礼する者かつて私願を口に言はず、神霊かつて奇瑞を垂れず」。このような事を最近まで私は聞くことがありませんでした。司馬江漢は昔、はっきり言ったのです。

夏目漱石と司馬江漢

夏目漱石が司馬江漢に言及していたことは有名だったようで、いろいろなところで書かれています。

上記の日本の名著でも、その冒頭に芳賀徹による「十八世紀日本の知的戦士たち」と題した解説の中で、

二十五歳の夏目漱石が『春波楼筆記』を読んで「図らずも古人に友を得たる心」がしたというのも、なにかその辺に共鳴するものがあったからではなかろうか

と紹介しています。

具体的な引用がないので、"二十五歳の夏目漱石"という事を手がかりに書簡集を探してみると、明治24年7月24日付けの正岡子規宛の手紙の末尾に、次のように書いてあるところが見つかりました。

頃日来司馬江漢の春波楼筆記を読み候が書中往々小生の云はんと欲する事を発揮し意見の暗合する事間々有之図らず古人に友を得たるこころにて愉快に御座候此は序(ついで)ながら申上候

新書版 漱石全集 第二十七巻 書簡集一 岩波書店 1980年1月

現代語にすると次のような感じでしょう。

最近、司馬江漢の春波楼筆記を読んでいるが、私が言いたいと思っていることをたびたび発見する。意見が合う事が何度かあるという事。図らずも昔の人と友達になったような心地がして愉快な気分だ。ついでながらこのことを申し上げた。

なお、漱石は1867年2月9日生まれで、これは明治元年の前年です。数え年では、明治元年は2歳なので、明治24年は25歳です。満年齢では明治元年2月9日で満1歳ですから、明治24年7月24日は満24歳です。ということは「二十五歳の夏目漱石が」というのは数え年での表現になっているのですね。

年齢と聞くと、満年齢だろうか、数え年だろうか、と迷います。

数え年であれば年だけで年齢が分りますが、満年齢の場合は生年月日を知る必要があります。この点では数え年での表現の方が簡単ですね。

ところで、漱石のこの子規宛の書簡では、とても長い手紙(単純に行数を計算すると400字詰め原稿用紙6枚半)の末尾に、"ついでながら"という書き方で司馬江漢の春波楼筆記に触れています。

もし、この本はすごい、と思ったら、そのためにわざわざ手紙を書いたでしょう。大したことはない本だ、と思っていれば何も書かないでしょう。

関心の程度はその位だったのでしょう。とても大きなものではなく、また些細なものでもない。

ふたたび司馬江漢

本のスキャン入力という作業は退屈なものですが、今回は思いがけず面白いものを見つけた、と思いました。

時間があったら、ほかの作品も読んで、いろいろな事を考えてみたいですね。


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