形而上学的なこと 【4】人間の系統図―2


[2024/4/25]

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中断の記

前回の記事から、半年以上がが過ぎてしまいました。

私にとっては写真に関する、ちょっと大きな、言うなれば"仕事"といえる案件が発生したことと、前回の記事に書いた系図の作成ソフトを改善するのに時間がかかったこと、それとは別の系統図を表示するExcelマクロを作成していたこと、そして生来の怠け癖のためです。

系図の作成ソフトを改善については、次に示すような改善を行いました。

・第二子以降の子については、親と結ぶ線を省略していたが、やはりあった方が良いと考え、それを追加した。

・系図に表される人数をグラフ化する処理を自動化した

・始祖の人数、最大世代数をマクロの書き換えではなく、画面上で設定できるようにした

他にも細部に修正を入れています。


なお、前回の記事では親子関係を示す図を"系図"と読んでいましたが、通常は系図といえば、具体的な人名が示されるものです。

今回の私のシミュレーションでは人名は示さないので、"系統図"と表記することにしました。前回の記事も同じく修正しました。もっともこれは大差ないような気もします。


さて、この記事では、今までの先祖から子孫に向かう系統図とは逆に、現在から先祖をさかのぼる系統図についての議論です。


人類は有性生殖ですから、一人の人間には父と母の二人の親が存在します。

父にも母にもそれぞれ二人の親が存在します。最初の人間から見ると祖父母になります。四人になります。

四人の祖父母には一人一人にそれぞれ二人の親が存在します。最初の人間から見ると曾祖父母になります。八人になります。

このように、一般的に世代を一つさかのぼるたびに、先祖の人数が2倍になります。

たとえば4代さかのぼると、24=16(人)です。

この数は急激に大きくなります。

10代さかのぼると、210=1024(人) です。

先祖の総数を求めておきます。本人も含めた人数 N は、n代の先祖までさかのぼる場合、次のようになります。

N = 1+2+4+・・・・+ 2n = 2(n+1) - 1

ですから、本人を除いた先祖の総数は 2(n+1) - 2 になります。

4代さかのぼったときは、25 - 2 = 30(人)、 10代さかのぼったときは、211 - 2 = 2046(人) です。


先祖をさかのぼる

この関係を図示するExcelマクロを作成しました。

4世代さかのぼったときの例を次に示します。

説明

図1 4世代前までさかのぼる系統図

一番右側に基点となる特定の一人があり、左方向に時間がさかのぼります。

時間の流れは左から右の方向になります。

4世代までさかのぼると、先祖は16人、先祖の総人数は30人になります。

1世代を20年とすると、4世代まででは80年。現代では晩婚化の傾向にありますから、1世代を30年位で考えるのが良いように思われます。

その場合、4世代まででは120年です。今から120年前というと1904年。明治37年で、日露戦争が始まった年です。

その頃にいた男8人、女8人が結婚して8組の夫婦になり、そこから男4人、女4人の計8人が生まれ(兄弟姉妹は除外して考えます)、その8人が結婚して4組の夫婦になり、男2人、女2人が生まれ、その4人が結婚して男1人、女1人が生まれ、その2人が結婚してある一人が生まれたということです。

このように、時代を追って起こった事象を考えると、それはおよそ可能性がゼロに近いように感じます。

しかし、ある事象が発生する確率はとんでもなくゼロに近いことは普通にあり得ます。

トランプの例をこのシリーズの第二回の記事に書いています。

今から120年前に、上記の男8人、女8人を特定できたとして、その子孫がどのような変遷を経て、120年後に、ある特定の一人が生まれるのか、という事はまるで想像できないでしょう。

その間に、実に様々なことが起こるのですから。

さらに遠くまでさかのぼった場合

4世代ではあまり近過ぎるので、まず6世代さかのぼった場合を考えてみます。

説明

図2 6世代前までさかのぼる系統図

たった2世代増やしただけですが、図の高さは4倍になります。1世代ふえるごとに図の高さが2倍になるのですから。

ここで、10世代さかのぼったときにどうなるか、見たくなります。

説明 説明 説明 説明 説明 説明 説明

図3 10世代前までさかのぼる系統図

図が巨大になるので、7つに分割し、さらにサイズを縮小して表示しました。

この中で、起点になる一人はどこにいるかというと、左から4枚目の図の中程に位置しています。

ここでの時間というか年数は、1世代を20年とすると200年でしかありません。1世代を30年とすると300年です。

いまから200年前は1824年ですから、江戸時代の末期というところでしょう。明治になる44年前です。

いまから300年前では1724年ですから、江戸時代の中期というところでしょう。徳川家が権力を確立してから120年くらいが過ぎたあたりです。

一人の人間には遺伝という点で、必ず二人の親がいるのですから、このような状態になっているわけです。

先祖の数が巨大になることについて

さかのぼる先祖が24代では、224=16,777,216(人) です。25代では、225では約3,300万(人) です。

歴史上、日本人の人口は奈良時代から江戸時代にかけて3,000~3,500万人と言われています。今から25代さかのぼると、現在の一人の直接の先祖は日本人の全てということになります。

それを続けていくと、26代さかのぼると、先祖は日本人の人口の2倍という、おかしなことになります。

単純に考えると、人口は人類の発生以降、波はあったでしょうが、少しずつ増えてきてきたはずですから、先祖を探っていくと、先祖の人数がとてつもなく増えるというのはまるでおかしいと言えます。

一世代が何年かというと、平均すると歴史的には15~20年というあたりでしょう。晩婚化の傾向が強まったのは、ほんの最近のことですから。

20年とすると、26世代前は単に520年前ですから、西暦1500年くらいです。

日本では戦国時代です。その程度なんですね。

ですから、室町時代、鎌倉時代、平安時代とさかのぼっていくと、とんでもないことになってしまいます。

この説明については、以前に聞いたことがあって、要は一種の近親婚ですね。

10代さかのぼったケースで、先祖が1024人いるのですが、この1024人が全くの別人かというと、そうではない場合があり得ます。

図3の10代前とか9代前の先祖の中で、ある二人は実は同一人という場合です。

ある両親から生まれた何人かの兄弟姉妹は、互いに独立した生活をすれば、それぞれの子孫も独立した生活をします。その後数世代が過ぎれば、そのなかの男女二人が結婚したとして、その先祖をたどると一人の親にたどり着く、ということがありうるわけです。

日本の現在の法律では3親等以内の結婚は禁止されています。3親等はたとえば、おじ・おば、です。いとこどうしなら4親等ですから法律的には可能です

いとこ同士であれば、親同士が兄弟姉妹ですから、さらにその親、すなわち祖父母は同一人ということになります。

2世代ほどさかのぼったところでは先祖が同一人になり得ます。

ですが、この関係を分析するのは非常に難しい。

実例があればいいのですが、兄弟姉妹を全く省略してさえ、図3のように膨大なものになるのですから、これに兄弟姉妹を加えると、とても表現できるものではありません。

一人の人間の位置づけ

図3で、10世代前の先祖までさかのぼった系統図を示しました。

200年程度前まで考えても、随分多くの人間が現在の自分をもたらしているという事に驚きます。

そこに現われた先祖の一人が欠けただけで、自分という存在はないのです。

もっと先まで眺めれぱ、さらに多数の人間が自分という一人の人間の存在に直接的に関わっているのです。

地球上の全ての人間のひとりひとりにおいて、このように多数の人間が関わっているのです。

先祖の立場から考えると、10世代前の1024人(おそらくその何人かは重複している可能性があります)から見て10世代後において、ある人間が生まれるためには、本当に無限と言って良いほどの条件が重なる必要があります。

あまりに多くの条件が必要なので、およそ現実的に起こるはずがありません。


それではわれわれの一人一人がそれほど貴重な存在なのでしょうか。

そういうことではないのですね。

前々回の記事、つまりこのシリーズの【2】の記事で、トランプのたとえを書きました。

世界中の人々がいろいろにトランプの52枚のカードをシャッフルして一列に並べるのです。

アフリカのある国でカカオの栽培をしている人、北極海で漁業をしている人、アメリカのIT長者など、誰でもいいので、その人がある時に並べた52枚のトランプのカードの並びは、それが実現するためには限りない数の条件が重なった結果です。

手でシャッフルしたときの腕や指先の筋肉の動き、カードを空中に放り投げてシャッフルしたのであれば、そのときの周囲の空気の温度・湿度・気流の状態、はてはカードのへたりぐあい、などなど、どのような高速な計算機でも処理できません。もともと全ての条件を計算機に入力することができません。

どのような経過があって、その52枚のカードの並びが出現したのか、という事は謎のままです。

その並びが発生する確率は限りなくゼロに近いのです。

ですが、やってみると、その限りなくゼロに近い確率の事象が現実に発生するのです。

結果として発生するのです

宇宙の出現

われわれが生きている宇宙空間を考えてみます。

水素などの原子が素粒子の組み合わせで安定して存在し、それが莫大な数だけ近傍に集まり、その結果、互いに引き合う力により凝縮して恒星となり、複数の原子核が一つにまとまると、大きなエネルギーが放出されます。

それよりずっと小さく凝縮したものは恒星の周囲を回転し、こちらはそれほど大きくないので恒星のような大きなエネルギーを自分で発生することはなく、恒星から放出されるエネルギーを受けて、その範囲で可能ないろいろな反応を起こします。

反応の結果は最初は単純なものだったでしょうが、自分のコピーを生成するものが発生し、さらにコピーを生成するときにちょっと変形したコピーも生成し、その中でも自分のコピーを生成する能力に長けていて、またそのときに複雑さを増したコピーを生成するというタイプのものが現われたりします。

初めの状態では、このような結果が生じることはあり得ないと言っていいほどのことが、結果として出現してしまう。

結果が出てきてから、なぜこのような奇跡的なことが起こったのかと考えると、どうしても説明できません。そんな奇跡的な、いや奇跡的と言ってもまだまだ足りないくらいに発生するはずがないことが、起こってしまうのです。

もともと、ある素粒子の組み合わせが安定して存在するようなことは考えられません。

そんなうまい話があるのでしょうか。

その素粒子の組み合わせが多数集中すると、さらに別の種類の働きがでてくるのもおかしいです。

ですが、莫大な数の可能性があり、その一つは必ず発生するのです。

この宇宙空間の始まりはビッグバンと言われています。

ビッグバンがあったとして、その後、すぐに収束してブラックホールになって、永遠に閉じ込められてしまう場合もあるのかもしれません。それでもいいのですね。

そうなっても、誰も困らない。困るような存在がないのですから。

あるいは、特殊な生命体のようなものが出現して、必要とするエネルギーはゼロに近いものでよく、無限の寿命を持ち、爆発的に数を増して宇宙空間に漂い、それぞれが満ち足りて過ごし続ける、というものなのかもしれません。


私が自宅の庭にある花壇の花に水をかけるとします。たまたま花の近くにアリの巣があり、卵も含めて数100匹が暮しているとき、その水がかかって巣穴に入り込み、そこにいたアリが全滅してしまうというようなことが起こるかもしれません。

そのような、ある意味で大惨事が発生しても、その原因を作った私は気がつかないかもしれないし、気がついても気にかけることはないでしょう。

まして、他の人たちは全く気がつきません。そのような可能性を心配する人もいません。

絶滅危惧種というものが多数リストアップされています。種の個体数が減ってきてその種が絶滅寸前であるというのです。すでに絶滅してしまった種も多数あるはずです。

人類もいつか滅亡するのかもしれません。

しかし、地球上の人類が滅亡しても、この銀河系の中のわれわれの太陽系以外の生命体には何の影響もありません。

アンドロメダ銀河のどこかにいるかもしれない生命体には、われわれ地球にいる人類の存在は何の影響もありません。

そもそもアンドロメダ銀河はわれわれの銀河系から230万光年離れています。人類が滅びても、それをアンドロメダ銀河内の生命体が知るのは230万年後です。

地球上で原人が生まれたのは約200万年前と言われています。

いまわれわれが観察しているアンドロメダ銀河は、地球上で原人が出現した頃の姿が見える、ということでしかないのです。

アンドロメダ銀河はわれわれの銀河系からもっとも近い銀河系です。ですから、もっと遠くの銀河系との関係は時間的な点ですでに互いに孤立して、互いの影響はないのです。

おそらく、最近、どこかの銀河系のある恒星を中心とする太陽系の惑星で、一つの知的生命体が絶滅しても、そのことが分かるのは、ここにいるわれわれ人類が滅亡してから何千万年とか何億年とかが過ぎてからでしょう。

その頃、この地球にどのような生命体がいるのか、あるいは全て死に絶えているのか、いくつの知的生命体が誕生しては絶滅する、という事を何回繰り返しているのか、全く分かりません。


この宇宙空間のあらゆる所に存在する莫大な可能性のなかから、次々と選択がなされて、「結果として何かが起りつつある」という中で、人間のひとりひとりが「喜び、悲しみ、思いを巡らし、論理を働かせる」、などということが、一体どういうことなのか、・・・・、分かりませんね。


このような"とりとめのない"ことを書くことは許されるのだろうか、何の意味があるのだろうか、と思いつつ、今日を終わろうとしています。



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