創作ことわざ
[2020/9/28]
「できる限り100%を求めようとする」、「100%を手に入れないと不満を感じる」ことです。
さらに、100%では満足でなく、目標は120%だ、などと言い出す人もいます。
100%にこだわるべきではない、とはどうしてか。
【株式投資】
株式投資の世界で、「頭と尻尾(しっぽ)はくれてやれ」という言葉があります。投資の解説本とかネットの解説記事で何回か目にしました。
株式投資では、株価がもっとも下がったときに買い、もっとも上がったときに売る、というのがもっとも利益が大きくなります。当然のことです。
ところが、「株価が最低」、「株価が最高」というのは、その時が過ぎて初めて分ります。
過ぎた時では遅いのです。でも、人間は未来が分らないので、その時が過ぎないと分らないのです。
ですから、せいぜい、「株価が最低を過ぎてちょっと上がった」ときに買い、「株価が最高を過ぎてちょっと下がった」時に売ることになります。
100%にこだわると、「株価が最低のピーク」を待っていると上がってしまい、「株価が最高のピーク」を待っていると下がってしまうことになります。
どのみち、人間には未来が分らないので、株価が下がってから上がるという場合に、その株価上昇分を100%手に入れようとしても無理なのです。
その少し手前で満足しないといけないのです。
【落ち穂拾い】
別の話です。
西洋の文化に「落ち穂拾い」というものがあります。麦を収穫する時に、麦のわずかの部分が落ち穂になって残っている、それを拾うのです。
これは、「落ち穂はわざと拾わないで放っておく」というやり方なのだそうです。
地主が小作人を雇って、麦を収穫させます。その小作人は手間賃を手に入れます。小作人にさえなれなかった極貧の人は、収穫の後に残った落ち穂を拾って命をつなぐのです。
「落ち穂が残ってしまった」のではなく、意図して、「落ち穂は放っておく」のです。それを拾う必要がある人たちがいるからです。
【まとめ】
このように考えると、100%を求めて"しゃかりき"になるのではなく、ある程度まで手に入れたら、そこで止めるのです。
それで満足するのです。
人間というものは、そのやり方が良いのです。
単に個人の損得というだけではなく、社会を構成する多くの人びとのことを考えるとそうなのです。