気まぐれ日記 19


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[2014/8/26] 枕草子 第32段 網代ははしらせたる その5

(2014/9/13に、この記事の末尾の"追記"で説明する修正を加えていますので、ご注意願います。)

思いがけないところで参考となる資料を見つけました。

株式会社村田製作所の技術広報誌 metamorphosis の記事

株式会社村田製作所の技術広報誌 metamorphosis に、京都市にある竹田工務店を取材し、木造車輪製作について記事にしたものがあります。

metamorphosis 17号 Column欄 和の仕事師たち~伝統の技を科学する~

以下では、この参照元の写真と図面各1葉につき、本サイトにおける転載の許可を株式会社村田製作所様からいただきましたので、この記事に利用させていただきます。

祇園祭りの鉾の車輪 車輪の図

写真と図面とから何が読みとれるかを考えてみます。

車輪の写真

祇園祭の鉾(ほこ)の車輪と思われます。知りたいと思っている通常の乗用の牛車とはだいぶ様子が違います。しかし、牛車自体が古い時代の形状を保存したまま伝わっているというものがなかなかみつからない状態では、鉾の車輪を参考にするほかはありません。

牛車と鉾とはまず重量が違います。鉾は走行時には10トン前後といわれています。祇園祭・山鉾巡行(河原町通) 山鉾の重量測定では、2台の鉾の重量を測定した結果、11.10トンと11.88トンと判明したとのことです。お囃子の人々(40人位のようです)や様々な飾り等を含めた重量です。一方、牛車は4人乗りが多く、まれに6人とされています。平安時代の衣装は重かったのでしょうが、あまり重いと動けない(牛車に乗るのは外出時)ので、一人の重量として80Kgくらいを考えればいいのではないでしょうか。6人でも480Kgです。箱の部分の重量は見当が付きませんが、むりやり見当をつけると、角材が10cm角で5mのものが20本とすると、木材の比重は重いもので0.7くらいですから、10×10×500×20×0.7=700Kg。その他布地や飾りで300Kgとすると、全体で1.5トン。鉾の1/7というところでしょうか。

こだけの重量の差があれば、車輪の構造も、鉾と比べると牛車はかなり軽装で行けそうです。ということを考えながら、車輪のサイズを調べてみました。

車輪のサイズ

Aは車輪中央部に見える木製の軸(と想像しています)の直径、Bは軸がはめ込まれる車輪の軸受けの穴径、Cは車輪の外側の直径です。A:B:C=1:1.06:10.6。車輪の外形は以前の記事で150cmとしたのを踏襲して案分すると、14.2:15.0:150 (単位はcm)という結果です。

直感的にいえば、車軸が案外細いことが意外です。写真を見直すと、10トンもの重量を支える鉾にしては軸が確かに細いです。よい材料を使えばこの程度で十分なのでしょうか。

多くの牛車の絵(絵巻物にいろいろ描かれています)と比べると、スポーク(輻(や)といいます)が太いですが、これは重い車体を支えるためでしょう。

写真では分かりにくいですが、車軸はその色から見ると木製で、その周囲には金属製と思しき円環が見えます。これが釭(かりも)でしょうか。軸の径に対し、釭の内径は9%ほど大きくなっています。木製の軸は少しずつすり減っていくでしょうから、このくらいの差はあって不思議ではないと思われます。

牛車の速度の再考

前回の記事で、車軸周りの速度を評価しました。車軸の直径が15cmと10cmを仮定したのですが、今回の値で再計算してみます(*3)。

牛車の走る速度が時速10Km、15Kmのとき、それぞれ、 0.59*0.142*3.14=0.26(m/s)、0.88*0.142*3.14=0.39(m/s)(*4)。つまり、時速15Kmで走っても、車軸周りの速度は39cm/秒(*4)。これなら、軸周りの摩擦の問題は大したものではないように思われます。油を切らさなければ問題なく走れるような気がします。時速15Kmといえば、ふつうの自転車ですいすいと走る、というイメージでしょう。

「あっ、車がいく」と視界の隅でとらえてそちらに顔を向けるとすでに通り過ぎていて、お供が必死で後を追って走っていくのが見える、という枕草子の描写に問題はないというのが結論です。

網代ははしらせたる。人の門の前などよりわたるを、ふと見やるほどもなく過ぎて、供の人ばかりはしるを、誰ならんと思ふこそをかしけれ。

(枕草子 池田亀監校訂 岩波文庫 2010年4月26日 第65刷発行 岩波書店 による)

絵巻物では、牛飼い童が鞭の様なもので牛を追いたてている様子が見られます。牛飼い童の走りっぷりの描き方からもかなりのスピードで走っているようですが、これとも符合します。

必要な時には牛車は結構速く走れるものだ、ということを確信しました。

釭(かりも)の構造

釭についての情報が少ないのですが、最初に上げた図面が参考になります。

釭に相当すると思われる部分を赤で示したのが次の図です。これは私の推測ですので、誤っている時には責任は私にあります。

車輪の釭(かりも)の構造

右側の正面図で赤い輪であらわしたところが釭です。その左に断面図がありますが、右の赤の円環に相当すると思われる部分を赤で示しています。このように、釭はここでは轂をつらぬく円筒ではなく、轂の穴の表と裏に縁取りのようにはめたリングの様な形状です。釭の形状としては、"円筒"とするものが多いのですが、そのなかで一部は、たとえば「轂の穴(そこに車軸が当たる)や口の周囲に当てる鉄製の筒」(古語大辞典)というように、穴の"ふち"のみという形状を認める場合もあります。もっとも、ある程度の幅はありますから、これを円筒と表現してもよいのかもしれません。

釭が「轂をつらぬく円筒」なのか、「両端部にはめ込んだリング状のもの」なのか、これは遺跡発掘で釭が発見されるような事がなければ判断できません。

加工の難しさからいえば、ある程度の深さの円筒の内側をまっすぐに、かつなめらかに鋳造する(鋳物として製造すると考えています)のはやや難しそうです。まっすぐに、というのは車輪を平面と見て、これに垂直な穴として加工するのが難しそうというところを意味します。そうでないと車軸の一部が集中的に摩耗してしまいます。

かといって、二つのリング状のものを正確に平行に配置するというのも難しそうです。ただし、こちらは幅が薄い分、許容誤差はやや大きくてよさそうな気がします。

まあ、勝手な想像をどれだけめぐらしても、真実に近づいていくものではない、というのも事実です。

それにしても、どこかに、正確に復元された牛車がないものでしょうか。

今回の広報誌の記事は京都市の竹田工務店で取材されたものです。北関東に住む私にとって、京都までいって話を伺う、ということは残念ながら簡単ではありません。もっとも、わたしの様な素人が伝統的な技術の詳細について教えていただけるのか、そちらの心配の方が先ですが。


◎ 広報誌の記事から写真と図面の転載を許可していただいた発行元の株式会社村田製作所様と、その広報誌の取材先である京都市の竹田工務店様に感謝申し上げます。


追記 (下記の(*1)~(*4)の修正を行いました。 2014/9/13)

(*1) 当初は A:B:C=1:1.09:26.6 としていたものを修正しました。

(*2) 当初は 5.64:6.15:150 (単位はcm) としていたものを修正しました。

(*3) 前回の車軸の直径の仮定が15cmと10cmで、ここでは修正前が5.64cmだったため、"大分小さくなります"と書いていましたが、今回の修正では14.2cmで、前回の仮定と合う数値だったため、表現を変えました。

(*4) 上記の二つの数値の修正により、車軸周りの速度の計算も修正となり、時速15Kmのときの車軸周りの速度について15cm/秒を39cm/秒に修正しました。



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