創作ことわざ


[2023/11/5]

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【52】過ぎて初めて過ぎたるを知る

「過ぎたるは猶(なお)及ばざるに如かず」

よく知られた論語の中の一節です。

この言葉の解釈はいくつかあるようですが、「やり過ぎるのは、足りないのと同じようなものだ」というところでしょうか。

解釈の中には、「中庸の徳を示したもの」というものもありますが、中庸というのはちょっと違うのではないかと思います。

ベストが100というときに120というのは80と同じようなものだ、とうことで、いずれにしても50とか60よりは良いのです。

問題は「過ぎたる」とはどのようなことか、ということです。

株式投資のこと

株式投資の世界で、「頭としっぽはくれてやれ」という格言がある、という事を目にしたことがあります。

株式投資においては、底値で買って、最高値で売るのが良いことは当然です。ですが、今が底値なのかどうかは、普通は分かりません。

株価がだんだん下がっていくといっても、小さな上げ下げは常にあります。小さな上げ下げは無視して、大きな上げが来ると、その時に初めて少し前が底値だったのだ、と分かるのです。

最高値の場合も同様です。

もう一つ、投資の世界での格言を取り上げます。

「"もう"はまだなり、"まだ"はもうなり」

株価が下がっていき、いったん停滞する、あるいは少し値が戻ったりすると、"もう"底値だ、と考えがちなのですが、さらに株価が下がっていく、ということがあるのだ、というものです。

"もう"と思っても、"まだ"ですよ、というわけです。

また、株価がどんどん下がっているとき、"まだ"下がるだろう、と思っていても、急に上昇に転じることがあります。"もう"底値になっていた、ということですね。

"まだ"と思っても、"もう"ですよ、というわけです。

「"もう"はまだなり、"まだ"はもうなり」とは、要するに「よくわからない」ということでしかありません。ある瞬間に、"もう"なのか、"まだ"なのか、これが分からないのです。

ですから、「頭としっぽはくれてやれ」になるのですね。底値を少し過ぎて初めて分かるので買うのです。底値になった瞬間というものはそのときには分からないのです。

底値からすこし上がったところで買うのです。同様に、最高値から少し下がったところで売るのです。

過ぎて初めて"過ぎた"ことが分かるのです。

カメラのレンズのはなし

レンズのピントを合わせる時を考えます。

フォーカス・リングを回してピントを合わせるのですが、写す対象がたとえば樹木の先端とすると、近いところからピントを変えていくと、ファインダーで見たとき、木の先端が大きくぼけた状態から徐々にぼけが小さくなり、やがて画像はっきりしてきて、さらにピントリングを回すとファインダーで見たときの木の先端がぼけてきます。

ピントリングを今度は逆方向に回してファインダーで見たときの画像を確認します。

>ピントが合う位置の前後で往復してピントが合う位置を決めるのです。ですから、ピントが行きすぎる位置まで動かす必要があります。

オートフォーカスのカメラの時、もっとも最近はほとんどがオートフォーカスですが、その場合はレンズが上に書いたような動きをします。

遠くの山とか月のようなきわめて遠距離の被写体の場合、これは実質的に無限遠ですから、ピント調整は無限遠を超える位置より先までピント調整することが求められます。

このほかの理由として、温度変化でレンズが伸縮することをカバーするため、とか、無限遠にストッパーをつけると、無限遠にピントを合わせようとしたとき、勢いがついているので無限遠の位置でストッパーに衝突するのでそれを防ぐためとか、いくつかの理由があるようです。

いずれにしても、無限遠を超える位置までピント調整ができるレンズが普通になっています。これは"オーバーインフ"と呼ばれています。

"オーバーインフ"とは"オーバーインフィニティ(over infinity)のことです。ただし、ネット検索すると"over infinity"という言葉では、英語のサイトではほとんどヒットしません。たとえば"focus beyond infinity"などという表現が見られます。確かに、英語では"over infinity"はしっくりきませんね。無限遠を超えた、というよりは通り過ぎた位置ということで"beyond"なのでしょう。

無限遠より遠い位置というのはありませんから、無限遠までしかレンズが動かない、というのは当たり前と考えがちですが、そうではなく、無限遠を通り過ぎて初めて無限遠を通過したことが確認できるのです。

目標を通り過ぎて初めて「目標値に至り、それを超えた」ということが分かるのです。

目標を通り過ぎることは「目標値に至る」ために必要なことなのです。行き過ぎて良いのです。



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