気まぐれ日記 21


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[2014/9/11] 枕草子 第32段 網代ははしらせたる その7

車のかも

前回の記事で、拾遺和歌集にある"車のかも"を詠んだ歌について、

私としては、「車の氈」をよそから借りる、とかもらう、ということは十分ありうるのではないかと思います。しかし、これが「車の釭」となれば、それをよそから借りる、とかもらう、という解釈には無理があるのではないかと思います。

と書きましたが、どうしても引っかかります。

そこでもう少し詳しく調べた結果、上記の「車の釭をよそから借りる、とかもらう、という解釈には無理があるのではないか」という判断は撤回すべき、との結論となりました。

以下、その顛末について書きます。

延喜式における"釭一具"

古事類苑器用部(*1)に、延喜式における牛車の製作に関する記事が記載されているので、内容を注意して読んでみると、大変気になる言葉が見つかりました。"製作"の項のうち、"牛車一具"というタイトルで記載されているところです。

"釭一具"

「具」とは「一式」あるいは「一組」ということであるのは、「腰車一具」、「牛車一具」などと書かれていることから分かります。

したがって、「釭一組」と書けばそれで何か特定のものを指し示していることになっているかのようです。

これだけでは手掛かりになりませんが、"製作"の項には牛車に関する記述に先だって、腰車の記述があり、こちらには、

担当者として、「長工」の中に「釭四人」と書かれている

のです。

つまり、腰車の「釭」は"釭の担当者4人で製造する"、牛車の釭は"釭1組"を部品として入手して使用する、というように理解するのが自然であると思われます。

鉄は何に使われたか

以下の議論で、鉄の用途が問題になります。そのことについて先ず考えておきたいと思います。

やはり延喜式を載せた古事類苑に参考になりそうな記述を見つけました。"車"ではなく、"輿(こし)"の"製造"の項(*2)です。

釘料鐵三廷

これは、「釘を製造する材料として鉄を3廷使用する」ということでしょう。鉄については他に記載がありませんから、輿においては鉄はもっぱら釘を作るために使用されたようです。釘の製造方法は、おそらく薄く延ばして細く切りだし、鍛造して固くする、というものでしょう。鋳造ではもろくなり、また小さなものはつくりにくいでしょうから釘には向きません。

"輿"と"牛車"は何が違うか、といえば、大きなところでは、牛車には車輪が2個、車軸が1本、及び軛(くびき)がある、ということになります(*3)。つまり、牛車から車輪、車軸、軛を取り除き、2本の轅(ながえ)を人が肩にかついで、あるいは腰の高さに手で支えて進むものが"輿"になります。この相違点の範囲で鉄が使われるのは、車輪の釭だけでしょう。釘は"輿"でも"牛車"でも同じように使われるのではないかと思われます。

腰車の「釭」は"釭の担当者4人で製造する"

このことについて更に読んでいくと、これを裏付ける記述がありました。

腰車、牛車に使用する原材料の中に"鉄"が挙げられています(原文では"鐵"の文字が使われています)。腰車では"鉄11廷"、牛車では"鉄4廷"なのです。この差分の"鉄7廷"は"釭"に使用される、と考えるのが妥当ではないでしょうか。

「腰車では鉄を材料として釭を製造する」ということになります。

では、工数はどうでしょうか。

製造期間については記述が見つからないのですが、必要とされる工人の数については詳細な記述があります。腰車については長工、中工、短工と3分類してそれぞれの人数を記述しています。未確認ですが、長工、中工、短工とは、熟練の度合いで分けたもので、熟練技能者、中堅技能者、初心技能者、というところでしょうか。

長工 292人半、中工 341人、短工 389人大半

"大半"はこれも未確認ですが、他のところでは"小半"も出てきますから、半:0.5人、大半:0.75人、小半:0.25人ということではないかと考えています。

長工については、更に詳細に書かれています。

木工119人、銅56人、鉄35人半、画3人、釭4人、(以下省略)

"木工"という言い方に合せれば、銅工、鉄工、画工、釭工ということでしょう。輿において鉄は釘に使用されると考えられる、ということをすでに書きました。それに従えば、釘の製造に35人半、釭の製造に4人となります。「腰車では"鉄11廷"、牛車では"鉄4廷"」ということから考えると、「腰車では釘に4廷、釭に7廷」と考えられます。鉄の使用量でいうと、釘は釭の1.75倍であるのに対し、工人の数では釘は釭の8.9倍となり、釘の製造にかける人数が多すぎるようにも思えますが、次の様に考えるとおかしくはないのかもしれません。すなわち、釭は鋳物であり、型を作り、炉で鉄を溶かして型に流し込み、冷えるのを待って型から取り出す、という作業で、高度な技能が必要とされるのでしょうが、同じものを2個または4個(備考1)製造する、と考えると、人数としてはそれほど必要はないのかもしれません。釘は小さいものを多数つくるのであって、鍛造でしょうから、1本のサイズごとに切り出し、熱してたたくことを繰り返す、という作業であると想像でき、多数の工人が必要になる、というのも理解できます。

なお、牛車の工人については腰車の場合のような詳細な記述はなく、

工103人、夫98人、不論長短功

という記述のみです。「長短の功を論ぜず」ということですが、「功の長短はなんでも良い」というのか、「ここでは書かない」というのかわかりません。残念ですが、工人の数を腰車と牛車で比較することはできません。

備考1:釭は、"筒状"とされる場合と、"金枠(または口金)"とされる場合があります(*6)。金枠の場合、車輪の外側と内側に"つば"のようなものを取り付けることになり、2個の車輪で4個必要になります。

車輪の製造と釭の製造との違い

牛車の釭は標準品が作られてストックされており、牛車を製造するときにはその標準品の釭を入手する、というやり方がなされていた可能性がある、ということになりました。車輪も同じでしょうか。

腰車、牛車ともに、

輪料櫟28枝

と書かれています。"輪"は車輪の外形の輪の部分で、"櫟"は"クヌギ"です。「車輪の輪の部分の材料としてクヌギの枝を28本使用する」、という意味でしょう。つまり、腰車でも牛車でもその都度製造するように書かれています。

車輪については釭のような標準品がなぜ作られなかったのでしょうか。

釭だけが標準部品になっているのは、金属加工は鋳造でしょうが、それは鉄を溶かして鋳型に流し込むという特殊な製法が必要なので、"ふいご"とか"炉"を備えた専用の工房で製造されたのではないかと私は想像します。木材の加工は"のこぎり"とか"かんな"(この時代は"ちょうな"でしょうか)、あるいは"のみ"など、持ち運びが簡単で、どんな場所でも作業しやすいために、その都度製造しても問題がない、ということなのではないか、と思います。

結論

以上のように、釭については、標準品として流通していたことをうかがわせる記述があり、またそれとうまく調和する記述もあることから、「釭を"借りる"とか"もらう"という状況の可能性は否定できない」との結論に至りました。


参考文献

(*1) 近代デジタルライブラリー 古事類苑 器用部10 車上 コマ番号29~30

(*2) 近代デジタルライブラリー 古事類苑 器用部11 輿 コマ番号8~9

(*3) 古事類苑 器用部11 輿 の冒頭に次の様に書かれています。

輿ハ、コシトイフ、其形ハ輪ヲ除ケル車ノ如シ、前後ニ轅アリ、或ハ手ヲ用ヰ、或イハ肩ヲ用ヰテ之ヲ舁ク(かく)モノナリ、

(原文(古事類苑)では"、"は文字間に入ります。またカッコ内の読み仮名はサイト管理人による追加です。)

(*4) 鉄の時代史 佐々木稔著 2008年4月30日 雄山閣

(*5) 鉄と銅の生産の歴史 増補改訂版 佐々木稔編著 2009年11月20日 雄山閣

(*6) 古語大辞典(小学館)では、「車輪の轂(木製の筒(どう)が車軸と摩擦して摩損するのを防ぐため、轂の穴(そこに車軸があたる)や口の周囲に当てる鉄製の筒」とし、両方の形態をのべています。漢和辞典では多く"轂の穴にはめる枠"とか"轂の穴にはめる鉄管"という表現です。本シリーズの前々回の記事である気まぐれ日記 19では、車輪の断面図をみると筒ではなく口金(従って一つの轂に釭は2個)のように表現されています。



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