【18】雪村うちわ


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【雪村うちわ】

常陸太田市の郷土工芸品として雪村うちわが有名です。作業の様子を見せていただきました。

現在、圷さん一人だけでこの技術を守り続けています。

1.製造中

日当たりのいい縁側が定位置です。


2.竹を編む手

細く裂いた竹の一本一本にい草を交差させるようにしていきます。


3.微調整中

竹を薄く裂いて根本付近をイ草で編むと、骨が開きます。間隔が均等に成るようにい草で編んだところをしめなおします。


4.骨が開いたところ

骨組みが完成です。


5.ボール盤

一番下に太くて短い竹の棒をはめ込む穴をこれで開けます。


6.道具一式

良く見ると、数字(左端)や「圷」という姓(左から二つ目)が刻まれています。数字(4171)は明治41年7月1日という日付とのこと。右端は竹を薄く裂くのに使う小刀です。


7.先端

竹を裂く工程が一番難しいとおっしゃっていました。何十年もの間使われてきた小刀。


8.裂いた竹

竹を乾燥させてから細長い板の形に切り出し、細く40本に咲きます。竹が乾燥しすぎると薄く裂くことができないので、まだ青みが残っている状態で薄く裂くとのこと。青みのある竹は裂いて間がないものでしょう。乾燥が進むと上に写っているように青みがなくなり、赤みを帯びてきます。


9.喜久屋さん

9.喜久屋さん

雪村うちわは常陸太田市内の「喜久屋さん」と西山荘の二か所だけで販売されています(下記の追記を参照願います)。喜久屋さんから雪村うちわを作っている「圷」さんの家まで「大人の足で173歩」と喜久屋さんで頂いた案内書きにありました。


10.雪村うちわの表側

10.雪村うちわの表側

いよいよ雪村うちわです。絵柄はもう決まっていて、亡くなられた御主人がかいたものだそうです。


11.雪村うちわの裏側

11.雪村うちわの裏側

裏面には、「太田団扇の由来」が書かれています。室町時代(約400年前)に雪村という人が始めて作ったもので、い草で編み西の内和紙を張って作る、というような内容です。左下には、「名産太田団扇本舗 枡儀団扇店」と屋号が印刷されています。

【感想】

圷さんは今年(2014年)で92歳。とても元気な「スーパーおばあちゃん」です。

【参考】

(1) 茨城県の公式刊行サイト「観光いばらき」で雪村うちわが紹介されています。またYoutubeにいくつか動画が見つかります。また「いばキラTV」という県が運営するインターネットテレビにうちわ職人として紹介されています。

(2)私が圷さんを訪ねて行ったとき、家の前に何やら人だかり。BS朝日の撮影だそうで、来年2月に放送される予定とのことでした。

【追記 1018/7/14】

何気なく常陸太田市の道の駅(正式名は「道の駅 ひたちおおた」)に立ち寄ると、ここで紹介した雪村うちわが展示・販売されていました。隣に観光案内所のコーナーがあったので聞くと、圷さんは現在もうちわを作っているそうとのこと。うれしいニュースでした。なお、「道の駅 ひたちおおた」は2016年7月にオープンで、私が圷さんを取材したのは2014年12月3日でした。



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