考えてみると=おあそび編=


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【1】映画でこんなところをどうして変えたの-原作との違い:潮騒 (2012/5/17)

「潮騒」は三島由紀夫作である。

主人公の久保新治と宮田初江との恋物語である。

その中で、島の海女たちのアワビとり競争の場面がある。

宮田初江は別の土地に養女に出されたが、父親が跡取り息子を亡くしため、呼び戻された。
つまり、その島にとっては「よそもん」であり、島の海女たちは親しみを持っていない。
あるとき、アワビとり競争があった。
優勝賞品はハンドバッグで、白の若向き、茶の中年向き、黒の老人向きがあり、優勝者によってどれか一つを選ぶというものである。
皆がほしがった。新治の母は家が貧しい(夫を亡くしている)ので、その思いは特に強い。
結果的には宮田初江が一位になって、島の海女たちに実力を見せつけた。
新治の母は、今まで海女として島一番とみられていたが、二位だった。
初江は、中年向きの茶のハンドバッグを手にする。そして、新治の母に差し出す。
これは、恋人の新治の母だからわたすという意味ではない。
以前に、初江の父が二人の交際を快く思っていないことから、新治の母にひどい態度をとったことを覚えていた。
「あやまらんならんといつも思うとった」といい、周囲の皆が初江の心遣いに感心する、という場面である。


どうでもいいけど気になるというのは、アワビとり競争の成績発表である。

焦点は新治の母と初江の二人なので、「一等 だれだれ ××個、二等 だれだれ ××個」と発表する場面だ。


映画(山口百恵主演大全集 第二巻)では、台詞はこうなっている。

「一等 十六杯 宮田初江さん」
「二等 十四杯 久保とみさん」

映画では、"ジューロッパイ"、"ジューヨンハイ"といっている。「ハイ」と言っているが、貝の助数詞には色々あり、「ハイ」と発音されるものは、「杯」、「盃」の二種類があるようで、どちらかはわからない。

一方、原作を新潮文庫版で読むとこうだ。

(映画では、最初のところで、「原作 三島由紀夫 (新潮文庫 刊)と出てくるので、新潮文庫版と比較するのは妥当である。)

「二十疋(ぴき)、初江さんが一番」
「十八疋、久保さんの奥さんが二番」


原著で"20"と"18"としているを、映画では"16"と"14"に変えている。ここである。

たとえば、事実上、初江と新治の母の二人の競争だ、という場合に、

「宮田初江さん、十六杯、久保とみさん、十.....(と間をおいて気を引いてから)四杯」

というのだったら、"20"と"18"ではまずいので、どちらも「十何杯」ということにした、というのならわからないでもないが、最初に、一等、二等、と言ってしまうので、この理由ではない。

"20"と"18"は、比較として少しわかりにくいので、"16"と"14"にした、というところだろうか。

もちろん、勝手な推測である。


助数詞の"疋"を"杯"に変えた理由もわからない。

"疋"は"匹"を連想して、"匹"はアワビに対しては違和感がある、という気はする。

日本国語大辞典には、"ひき【匹・疋】"の項目に、こう書かれている(一部抜粋)[*1]。

動物・昆虫・魚などの数を数えるのに用いる。もとは馬や牛など獣類にいったが、次第に小動物にもいうようになった。上に来る語によっては「ぴき」「びき」となる。

例文として源氏物語から一つ取られている。

*源氏〔1001~14頃〕若菜上「御むま四十疋」

[*1]引用元
”ひき【匹・疋】”, 日本国語大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://yw.jkn21.com>, (参照 2012-05-17)


実は、映画と原作が違っている(映画化するときに変更した)というところは数多くある。


たとえば、上記の"ハンドバッグ"を説明するところで、映画では、

「白は若向き、茶は中年向き、黒は御老人向き」、

といいながら、高くさし上げて見せている。

一方、原著では、

「青は若向き、茶は中年向き、黒は御老人向き・・・・」

という表現である。

原著では「青は若向き」と言うのに対して、映画ではそれを「白は若向き」と変えている。一方、「茶は中年向き」と「黒は御老人向き」は同じである。

考えてみると、「青いハンドバッグ」というのはあまり見かけない。ここは「白」のほうがぴったりくるように思う。


もう一つの例。

観的哨(かんてきしょう)という廃屋で新治と初枝が偶然出会って、少し会話した後で分かれる場面である。

島の人たちの噂になることを恐れて、「二人でこうして出会ったことは内緒にしよう」、と言うのだが、原著ではこれは新治の言葉であるのに、上記の映画では初江の言葉なのである。

こういうことについて原作の内容を変える必要があるのだろうか。



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