【6】日立という地名の使われ方


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【6】日立という地名の使われ方 [2020/2/13]

日立という地名が使われている例があります。

静岡市清水区日立町

今は静岡市清水区ですが、静岡市と合併する前は清水市であり、清水市日立町でした。

この清水市日立町ができたのは1967年(昭和42年)4月1日で、清水市村松の一部が日立町になった事が、静岡市のサイトにある「住居表示の実施に伴う旧新住所変更対照表について」というデータから確認できます。

柏市日立台

柏市日立台というところがあります。プロサッカーチーム柏レイソルのホームグランドである日立柏サッカー場がある所です。

日立台という地名は、○○市○○町○丁目○番○号という一般的な地名表記と照らし合わせると、○○町に当たるところです。

ちなみに、柏市では○○町というのは少なく、たとえば日立台の周囲では、西はひばりが丘、北は千代田、南は永楽台、東が亀甲台町です。

通称"日立通り"

習志野市東習志野に、通称ですが、"日立通り"というものがあります。この"日立通り"はネット地図上では見つかりませんでした。

使用例としては、たとえば、習志野市の「町づくり会議」の資料に「日立通り(一方通行)内の交差点で・・・・」という記述があり、また、"ラーメンデータベース"というサイトの習志野市内のあるラーメン店のアクセス情報に「通称『日立通り』を直進して・・・・」という説明が見つかります。

こちらは通称ですから、最初の二つのケースとは立場が違います。

なぜここで取り上げたか

私は日立製作所に入社し、30年以上勤務していました。入社してそれほど過ぎていないときに、「日立製作所としては、日立という名前は地名には使わないのが伝統である」という事を聞いていたからです。「地名というものは歴史的に受け継がれたものであり、企業の名前を使うべきではない、という考え方である」という趣旨だったという記憶があります。

ですから、「日立製作所の何らかの施設のある場所に"日立"の名前を使うことはない」と思っていたのです。

では、日立製作所という名称はどのようにして決まったか、というと、このシリーズの第一回目の記事に書きましたが、ここでまとめてみます。

1889(明治22)年 日立村が誕生
1905(明治38)年 日立村にある赤沢銅山が日立鉱山と改称される
1911(明治44)年 日立鉱山の修理部門が分離し日立製作所と称する
1924(大正13)年 日立村が町制に移行し日立町となる
1939(昭和14)年 日立町と助川町が合併し日立市となる

日立村という所で創業したから、あるいは親会社の名前(それ自体が日立村という村名に由来する)を採用して日立製作所が生れたもので、何れにしても日立村が出発点です。


現実に静岡市清水区に日立町、柏市に日立台という地名ができてしまっているのでどうしようもありませんが、本来なら、いつ無くなるか分らない企業の名称を地名にするのはおかしい、という思いがぬぐえません。

会社の名前を地名に使うべきではない(その土地の伝統をまもるべき)、という"見識"があったはずなのですが、残念という気持ちです。


余談ですが、静岡市清水区、柏市はどちらもプロサッカーJリーグの本拠地になっていますね。清水エスパルス、柏レイソル。これは偶然でしょうね。


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