[2024/1/25]
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岩波文庫の「漱石書簡集」
前々回の記事の末尾に、「岩波文庫に『漱石書簡集』という1冊があるので、比較してみたい」ということを書きました。
(以下では、この岩波文庫の「漱石書簡集」を単に「漱石書簡集」と書きます。)
このたび、ようやくその本に目を通すことができたので、比較してみようと思います。
といっても、私の一連の記事で取り上げた漱石の書簡は18通だけで、「漱石書簡集」がとりあげた158通に比してまるで少ないです。
そこで、私が取り上げた18通が「漱石書簡集」で取り上げられているか、という観点で比較することにします。
比較結果
表 1
項番 | 書簡の日付 | 書簡の概要 | 「漱石書簡集」での扱い |
1 | 1912(明治45)/7/28 | 校正の指示 | なし |
2 | 1912(明治45)/7/28 | 校正の指示 | なし |
3 | 1912(明治45)/7/29 | 校正の指示 | なし |
4 | 1912(明治45)/9/4 | 校正の指示 | なし |
5 | 1903(明治36)/6/4 | 大学の図書館の職員などの話し声が大きくてうるさいから静かにしてもらいたいとの要請 | なし |
6 | 1906(明治39)/8/31 | 出版社がつけたふりがなに対する不満 | なし |
7 | 1913(大正2)/11/12 | 校正の指示 | なし |
8 | 1913(大正2)/11/12 | 上記で書き漏らした事項の追加 | なし |
9 | 1915(大正4)/9/28 | 電話の不在をわびる | なし |
10 | 1914(大正3)/4/7 | 読者からの人生相談の答え | なし。ただし、同人に対し、別の日付で類似の内容の書簡が取り上げられている(1914(大正3)5/25) |
11 | 1916(大正5)/1/13 | 同上 | なし。上記の項目を参照のこと |
12 | 1914(大正3)/4/24 | 小学生の読者からの手紙の返事 | あり |
13 | 1915(大正4)/1/22 | 女子大生からの面会希望に対する返事 | なし |
14 | 1915(大正4)/1/25 | 女子大生からの面会希望に対する返事 | なし |
15 | 1915(大正4)/5/31 | 女子大生からの面会希望に対する返事 | なし |
16 | 1871(明治24)/11/11 | 旧知の正岡子規への手紙 | なし |
17 | 1915(大正4)/6/15 | 武者小路実篤に対するアドバイス | あり |
18 | 1914(大正3)/3/29 | 絵画の師である津田青楓への真情の吐露 | なし |
比較結果について
かなり違っていました。
共通だったものは、項番12の小学生への手紙と、項番17の武者小路実篤に対するアドバイスの2点だけです。
ただし、項番10,11は同じ人への類似の内容で、その人への異なる日付のもので類似の内容のものが取り上げられているので、3点が共通といっても良いでしょう。
まず、正岡子規ですが、「漱石書簡集」では、最初の9点が全て正岡子規宛のものでした。
わたしが取り上げた1871(明治24)/11/11の書簡は、たまたまそうであっただけで、かなり多い正岡子規あての書簡のどれを取り上げるか、については詮議をしても意味がないと思います。
漱石が作品の出版の際にやりとりをした校正に関する書簡は、「漱石書簡集」では取り上げられませんでした。事務的な内容ということで見送られたのでしょうか。あるいは、書籍の出版につきもののことであり、新鮮みに欠けるということなのでしょうか。
私は、漱石が言葉についてかなりの"こだわり"を持っていることが分かり、かなり興味深いと感じました。
「「魚と肉の間位」此時の位は「ぐらゐ」と必ず濁って読む」とか、「端は俗語にては皆はじなり・・・・中略・・・・「はじ」は動かしがたき心地す」のようなところです。
また東京弁に対するこだわりとして、「ぶち込むなるべし。打(う)ち込むといふ言葉は東京にて使わず」とか、「それで好(よ)い」は東京語ならず東京ではいつでも「それで好(い)い」などがあります。
項番5は、漱石の神経衰弱的な側面が現われていて、これも大変興味深いと感じます。イギリス留学から帰国してまもなく一高と東京帝国大学に奉職したばかりの時期で、当時の漱石の精神状態がよく現われていると思うのです。
項番17の武者小路実篤への手紙は、これはどうしても取り上げないわけにはいかない、というところでしょう。
その点では、項番18も同じと思われます。晩年の漱石の心情が非常によく現われていると思います。
「漱石書簡集」の巻末にある解説のなかに、次のような言葉があります。
とくに作家の書簡は、ことばにかかわって生きる人間の自己証明として、作品とはまた違った別の魅力で読者を誘うものである。なかでも、夏目漱石の書簡は長文の手紙を書くことを苦にしなかった旺盛な筆力とともに、その誠実な真情の吐露、歯に衣着せぬ率直な表現、受け手に応じた自在な語り口などによって、この作家の人間と思想の振幅を伝えるものとして定評がある。
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漱石ほどまめに手紙を書きつづけたひとはめずらしい。
やはり、漱石の書簡は特異なものなんですね。量から言っても、また質から言っても。
以前に、高村光太郎の書簡集に目を通したことがありましたが、何かを送ってくれてありがとう、というようなお礼のようなものが多くて、ちっとも引きつけられませんでした。
この「漱石書簡集」を読んでいくと、すぐに強く惹かれる文章が頻繁に現われます。
上で引用した解説に「作品とはまた違った別の魅力」とありますが、私には、書簡集が一つの魅力ある作品と感じられます。もちろん、漱石はそのような意図は持っていなかった訳ですが。
備考
(1) 本記事の基になった書簡集(補遺を含む)については前の記事に書きましたので、ここでは省略します。
(2) 書簡集で、文字の書き間違いなどの疑問があるところを特に修正しないときは"(原)"と表記してありますが、ここではこのサイトで今までしてきたように"(ママ)"としました。