日本語のあれこれ日記【4】

「え」列の長音の発音 =その2=

[2014/1/31]


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前回の記事の後でいろいろ考えていると、「もともと、日本語(大和言葉としての)には長音は基本的にない」と気付いた。細かく言えば、感動詞と擬音語はあるにはある。たとえば現代の日本語では「えー」とか「へー」、ヤギの鳴き声としての「メー」などである。そこで、「感動詞と擬音語は除く」という条件付きで考える。

古典語で「え」列の長音は本当にないか

これを調べるには辞書を丁寧に調べるほかにない。やってみた。大和言葉とそれ以外(現実には漢語ということになる)の区別は、迷った時には久松潜一監修の新潮国語辞典―現代語・古語― を参照した。この辞書では、見出し語を和語はひらがな、漢語、外来語はカタカナとしており、判断の基準になる。私が持っているのは以下である。

改訂 久松潜一監修 新潮国語辞典―現代語・古語―  新潮社  昭和53年10月30日改訂第6刷

調査対象とする辞書だが、先ず収録語数の小さなもので見当を付け、そのあとで収録語数の多い辞書にあたることにした。収録語数の小さなものとして小西甚一著 基本古語辞典を取り上げる。これは受験・学習用のもので、約6000語である。語数は少ないが、収録された言葉についての解説は詳しい。

小西甚一 基本古語辞典[新装版] 大修館書店 2011年5月10日 第2刷発行

「え」列の長音だから、「えー」、「ええ」、「えへ」、「けー」、「けえ」、「けへ」というような言葉を、「え」列の音の「えけせてねへめれゑ」(ただし濁音、半濁音も含む)について探していく。

その結果は以下だった。

え・・・・えい(感動詞)

け・・・・×

せ・・・・×

て・・・・ていど(副詞、おもに狂言で「きっと、たしかに」の意で使われるようである。久松の辞書でも「ていど」とひらがななので大和言葉と考えられる。もちろん「程度」とは別の言葉である。なお、小西の辞書では「現代の狂言では『ていと』と発音されるが・・・・」とある。この場合、発音としては「テイト」なのか「テート」なのかは分らない。手元の数種類の辞書では、用例が全て狂言からとられている。いっぽう、この言葉は、小学館古語大辞典では、"「テイド[Teido]」<日葡辞書>"と記載されている。日葡辞書に収録されていることから狂言以外でも使われていた可能性がある。

ね・・・・×

へ・・・・×「べい(助動詞)」があるがこれは「べし」のイ音便ということなので対象外。

め・・・・×

れ・・・・×

ゑ・・・・×

見つかったのは一つ、"ていど"(副詞)だけだった。予想通り少ない。

では次に、収録語数がもう少し多い辞書をチェックする。

久保田淳・室伏信助編 角川全訳古語辞典 角川書店 平成14年10月20日

結果は以下だった。

え・・・・"えい"(感動詞)、"えいえい"(感動詞)とこれから派生した"えいえいごゑ"(名詞)、"えいえいごゑ"(名詞)がある。そのほかに、裛衣(えひ)、裛衣香(えひかう)がある。これは香の一つという。"裛"の漢字は初めて見たが、漢和辞典を見ると、「香をたきしめる」の意味があり、"裛衣"は「香をたきしめた衣」とある(全訳漢字海)。これで、裛衣(えひ)、裛衣香(えひかう)は漢語に決まり、と思いきや、久松の辞書では、"えいコウ"との見出しがあり、"えい"は和語ということになる。"裛"の字音はいすせれも漢音でユウ(イフ)、ヨウ(エフ)とある。カッコ内は歴史的仮名遣いである。よくわからない。倭名類聚抄にも、巻十二 香薬部一八 香名類第百五十四に裛衣香がある。香は仏教とともに伝来し広まったとされているので、起源は漢語ではないかと思われるが、断定することはできない。

け・・・・けい[怪異](名詞・形容動詞ナリ)がある。久松の辞書では"ケイ"とあり漢語としてよさそうとも思うが、和語で"け"とは"怪しい"という意味があるので簡単に済ませることはできない。"物の怪"などである。漢語でないかもしれないと思うもう一つの理由は、手元の中日辞典(*2)に"怪異"という言葉が見つからなかった事である。"怪"の一文字で"怪しい"などの意味としている。

せ・・・・せい[背]があるがこれは"せ"の変化したものとされるから別扱いにすべきだろう。関西弁ではよく出てくる。たとえば目、手、毛はそれぞれ"メー"、"テー"、"ケー"と発音される。

て・・・・"ていど"がある。小西の辞書と同じである。

ね・・・・"ねいる[寝入る]"があるが、これは"寝[ね]"+"入る"だから対象外である。"寝[ね]"は"寝[ぬ]"という動詞の連用形である。

へ・・・・×

め・・・・"めひ"[姪]がある。これは和語だろう。倭名類聚抄にも「和名米比」とある。"おひ"[甥]と比較すると、"めひ"の"め"は"女"、"おひ"の"お"は"男"であり合成語だろうが、たった2音の言葉であり、合成語というニュアンスは薄いと思われる。ただし、"めひ"はこのように書くのだから昔の発音は"メヒ"でありイ音便により"メイ"になったものと思う。他の例で甲斐は"カヒ"であり、イ音便によって"カイ"になったのであろう。ということは、"メヒ"が"メイ"になったのであるから発音はあくまでも"メイ"であり"メー"ではないと考えるべきであろう。

れ・・・・×

ゑ・・・・×

調査結果は?

まとめると、「え」列の長音は感動詞以外では明確なものはなく、主として狂言で使われる"ていど"と、明確ではないが"けい"[怪異]位である。"ていど"にしても上記の様に日葡辞書に「テイド[Teido]」とあるのを見ると発音は"テイド"であり、"テード"ではなさそうである。大和言葉としての日本語には「え」列の長音は殆どない、といえる。

二重母音

日本語には二重母音がない。"愛"は"ア"+"イ"であり、"栄"は"エ"+"イ"である。そこに中国語が入ってくる。古代中国語の発音がどうだったのかは私にはさっぱり分からないが、現代中国語の発音なら、初心者向け中国語の参考書を見ればすぐ見つかる。二重母音はai, ei, ao, ou,ia, ie, ua, uo, űeなどがある。

日本と中国は古くから交易があり、また仏教も中国から朝鮮を経て伝えられた。人の往来も多かったろうし、次第に相手の国の言葉を理解し言葉を交わすことができる人が少しずつ増えてきたに違いない。日本人は中国語の"ei"をどのように聞き取ったのだろうか。

詩吟の「川中島」

「川中島」は「べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる」というもので、おそらく詩吟の作品としては最も広く知られているものだろう。どうしてこれを思いついたのかわからないが、ふっと「そういえば、これは『ベンセイ』と発音していたなあ」と思い出した。

インターネット社会は便利なもので、詩吟を吟じている様子を動画で見ることができる。

たとえばこの様なものがある。詩吟「川中島」

もうひとつ。詩吟「川中島」

"ei"という音はこの中に4個所ある。「鞭声」、「千兵」、「流星」、「光底」である。それらの"ei"の部分はどちらの動画でも全て"セ"+"イ"と発音されている事が分った。即ち、「ベンセイ」、「センペイ」、「リュウセイ」、「コオテイ」である。「リュウセイ」、「コオテイ」が「リューセイ」、「コーテイ」なのかどうかはよくわからないが、いずれにしても、「イ」の音ははっきり発音されている。

日本人が中国語の"ei"をきいて、それを日本語で表現しようとした時、「エ」+「イ」としたのではないだろうか。その点からは、ひとつ前の記事で森昌子の「せんせい」も「センセイ」と発音するのがオーソドックスなのではないだろうか、と思われてきた。

二重母音の"ei"を「エ」+「イ」という二つの音として理解したのは、もともと二重母音がなかったこと、そして和歌に見られるように二重母音を取り込むことは従来の音と調和しないからではないだろうか。日本語の音の構造として二重母音が入り込むすきまはなかったのだ。


と、まあ、この分野の事を何も知らない人間がいろいろ思いついた事を書いているだけなのだが、「先生」を「センセイ」と発音することのためらいが少し薄れてきたような気がする。そして"page"についても"ペイジ"と言っていいような気がしてきた。

ひとつ前の記事の冒頭で

「丁寧」の振り仮名は「ていねい」であるが、読みは「テーネー」である。これは問題ない。

とかいたが、"丁寧に"言うときには「テイネイ」という発音も可能かもしれない。「先生(せんせい)」は「センセイ」、さらには"page"は「ペイジ」という発音がむしろ標準的なのかもしれない。


【引用文献】

(*1) 中田祝夫解説 倭名類聚抄 元和三年古活字版二十巻本 勉誠社 1996年3月31日 第四刷

(*2) 相原茂監修 講談社中日辞典 第二版 2002年12月3日 第2版第2刷 講談社



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